「保険申請はマジでダルいね」

世界一周801日目(9/8)

 

 

占有状態

だったドミトリーに同居人が来てしまった。

 

 

たっぱ(身長)のある欧米人のお姉さんが愛想よく
「ソーリー」と入って来た。

その時僕は机の上に思いっきり私物をぶちまけていたので、
どこか居心地が悪くなった。

だってほら、ドミで散らかしている人がいたら嫌でしょ?

ってそれは今まさにそうなんだよ。

 

 

ここはグアテマラ、アンティグア
「HOSTAL EL BIAJERO」は一泊40ケツァール(626yen)。
その上朝食も出るらしいが、僕は一回も食べたことがない。

 

 

 

 

 

この日は雑務に追われていた。

グアテマラを出る前に雑貨を日本の相棒の元へ
郵送しようと思っている。

聞いたところによると1kgあたり1600円らしい
それなら他の国と比べてみても平均的な価格だ。
モロッコのマラケシュだと1700円くらいだったかな?
エジプトはもうちょい安かったかな。

そして雑貨と共に
保険申請に必要な書類も郵送してしまおうと考えていた

 

 

チェコで見舞われたこの旅一番のハプニング。
バックパックとギター、そして集めていた雑貨の全てがなくなった。
その時持っていたのはパスポートとパソコンと筆記用具、
それと寝袋だけだった。限りなくホームレスに近い状態だった。

23キロあった荷物が一気に軽くなった。
原稿用紙やインクもなくなってしまったので
漫画の新しいスタイルを打ち出さなければならなかった。
自分にとってプラスになる側面もあることにはあった。

だが、バックパックや衣類などは買いそろえなければならず、
出費としてはかなり痛手を被った。

 

 

これから中南米と旅して行くにおいて、
保険申請するタイミングなら今しかないのだ。

 

 

ポリスレポート(盗難届)はエジプトから
雑貨を送った際に同封しておいた。
保険申請の際に必要不可欠な書類だ。

IMG_9919

これその時の写真。これらの雑貨や私物と一緒にポリスレポートを同封したんだ。

 

 

雑貨はいつも相棒の家に送っている。
書類がどこにあるのか?
僕はメキシコにいる時から相棒に連絡を取っていた。

 

 

そのポリスレポートが見つからないと言うのだ。

 

 

えっ…?ちょっと待って下さいよ?
それがないと、わたくし、
大変に困ったことになるんですけど…???

カイジだったら「ざわざわ..」という
オノマトペが挿入されるシーンだ。

 

 

 

エイジプトから送った際に同封していた
漫画を描いたノートやシーシャは無事に届いた。
その確認は取れている。
この間もFacebookに仲間と一緒に近所の公園で
シーシャを吹かしている写真がアップされていた。

 

 

じゃあなんでポリスレポートだけないのだ?

相棒は「いつも家に届くと段ボールを開けて雑貨を整理するから、
送られてきた国ごとには保管していない」と抗議した。

そこには
『うちにあんなに沢山雑貨を送りつけて何を言うんだ?』
というようなニュアンスが感じ取れた。

相棒の家が雑貨まみれになっているのは理解できる。
現時点でクリアケース6箱分くらいの量の雑貨がヤツの家にあるそうだ。

けっこうな量になったなぁ。探しだすのも時間がかかる。

 

 

 

 

なぜ僕が仕入れた雑貨を
自分の家ではなく相棒の家に送るのか?

 

 

それは一緒に雑貨屋”Drift”をやっているんだという
連帯感を感じて欲しかったからだ。

日本にいた頃から「何かやろうぜ!」とバーで言っていた、
その「何か」だ。

僕がこうして世界をプラプラしていながらも、
相棒は僕のことを気にかけ、
待っていてくれていることには非常に感謝している。
相棒との関わり合いが僕を日本と繋ぎ止めていると言ってもいいだろう。

僕たちが掲げるミニマリスト寄りのスタンスとは逆を行くが、
雑貨が手元にやってくれば充足感を得られるだろうし、
そう遠くない先の未来に僕たちが雑貨屋を開くのだという意識、
モチベーションが上がるだろうと僕は考えていた。

 

 

いや、おれだったら嬉しいけどな。
海を渡って海外から雑貨が届いたらさ。
それをどう別の人に届けるか考えただけでもワクワクする。

いつものスタンスで小難しく書いているが、
単純に雑貨を受け取った相棒がワクワクしてくれるだろうな、
そう思ったからだ。

保険申請で戻って来る金なんてたかが知れている。
マックスで30万円。日本で働いたのあればすぐに稼げるような額だ。

僕たちの関係は10万円そこらの金で崩れるようなものじゃない。
そう信じている。

 

 

だが、悲しいかな。旅をしている今この時点で、
その金が必要なのだ。

アカタママラソンを走るマサトさんが、
砂漠で乾きに喘いでいるような状態だ。
「日本に行ったら好きなだけ水が飲めるでしょ?」みたいな。
でも、その水が今手元にないのだ。

 

 

保険は一年半で18万支払った。
その18万が戻ってくればどれほど気持ちが楽になるか…。

『大切な書類なら自宅に送るべきだろう?』というのも一理ある。

でも、相棒の家も僕の家も似たようなものじゃないか?
「似たようなもの」というのは変な言い方だけど、
それだけ信頼しているのだ。

 

 

いずれにせよポリスレポートはまだ見つからないようだ。
弱ったなぁ..。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保険申請

に必要な書類を近所のネット屋でプリントアウトし、
カフェに向かった。

IMG_9904

 

 

不安が一定値を越えるとお腹が痛くなってくる。
コーヒーはまだカップに残っていたが、僕は宿に戻ることにした。

まぁ、カフェにもトイレはあったんですけどね。
他にも書類用のペンだとか忘れ物してたしさ..。

カフェを出る前に10ケツァール(160yen)で
アメリカーノを追加でテイクアウトし、
宿に戻ると机の上にコーヒーを置いた。

 

 

 

僕はドミトリーの作業机の上で書類を埋めていった。

一番面倒だったのは、
失くなった物をイラスト付きで埋めていく箇所だった。

IMG_9907

 

 

ひとつの紙に5個までしか書けないのだ。

数百円単位の物はさすがに書くのをためらった。
というかどこまで保証してもらえるのだろうか?

 

 

 

保険申請書類を完成させた頃には夕方になっていた。
雑貨は明日送ることにしよう。焦って不備を出すよりはマシだ。

近所の文房具屋で書類用のファイルを買い、
書類や大事な漫画のネタ帳などはそれにいれることにした。
これなら一目で分かるだろう。

 

 

 

 

何度も書くが、あと必要なのはポリスレポートだけだ。

一段落ついたので外に夕食を食べに出た。

宿をまっすぐ行ったところにある教会の周りに
安い屋台が出ていることが分かった。
5ケツァール(80yen)で野菜が乗ったタマレスなどを食べることができた。

最初はあまり好きになれなかったアンティグアだったが、
徐々に居心地がよくなってきたように感じるから不思議だ。
まさに「住めば都」ってね。

 

 

食事を済ませて宿に戻ると再びドミトリーの作業机に向かっていた。

今朝方やって来た欧米人のお姉さんは21時半には
頭から毛布を被って寝ていた。
そんな部屋で電気をつけて作業することが悪いような気もした。

ドミトリーの消灯時間って大体何時なんだろう?と考える。
まぁ、それは泊まっている人によるのでしょうけど。

23時には電気を消して外で作業していた。

 

 

 

“TABI LABO”がシェアしていた記事を読んでいると
関連記事に興味深いものがあった。

記事の内容は、
1995年に亡くなった油絵画家のボブ・ロスという人物が描いた
美し過ぎる灰色の絵」だった。

 

 

黒と白だけで立派な風景画を完成させるのだ。

彼の手さばきからは、使っているヘラだとかハケが
どのような線を引けるのか完璧に脳内で再現出来てるように思えた。
その太刀筋は一瞬も迷いがなかった。

テレビ番組の30分という枠内で一枚の絵を完成させるボブ・ロスは
一流のアーティストだった。

茂みからやって来る蚊に刺されないように足をこすり合わせながら、
僕はパソコンの画面に釘付けになった。

 

 

あぁ、なんだか良いもの見たぜ。
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