「ガリフナ族はどこにいる?」

世界一周805日目(9/12)

 

 

明け方に

アラームが鳴り、僕は荷物をまとめて部屋の外に出た。

5時45分になるとスタッフが
僕をローカルバスの止まる場所まで案内してくれた。

グアテマラ以降からよく見るようになった黄色いスクールバスだ。

 

ここはホンジュラス、コパン・ルイナス
これから向かうのはラ・セイバという町だ

中米南下二日目

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「ラ・セイバ」の名前を聞いたのは
メキシコのグアナファトの宿でのことだった。
その宿に泊まっていた建築学部生(休学中)のオカノくんが
この町にいる「ガリフナ族」という部族の話を僕にしてくれた。

奴隷貿易が栄えた時代にガリフナ族は人身売買には屈せず
独自の文化や音楽を育んできた、そうオカノくんは話してくれた。
オカノくんは目を輝かせながらこの話をしていたが、
旅程が既に決まっていたたこともあって、
ラ・セイバに行くことは叶わなかったらしい。

 

 

「僕の代わりに行ってきてくださいよ」

そうオカノくんは冗談っぽく言っていた。
自分でもまさかラ・セイバに行くとは思わなかった。

 

 

 

 

バスに乗り込むのは現地人の他にバックパックを背負った
欧米人の女のコが一人いた。
よくあるTシャツとデニムショーツといった格好だ。

僕がバックパックを荷室に預けたのに対し、
彼女はバックパックを車内に持ち込んでいた。
きっと荷物の盗難に気をつけているのだろう。

 

 

僕は席に着くとシートに深くもたれるようにして体をうずめた。

今朝からどういうわけだか腹が痛んだ。
昨日ビールのつまみのバナナチップスを一気食いしたからだろうか?
僕は腹を抱えるように両腕を巻いた。

バスは6時になると走り出した。
いつもだったら外の景色を見て楽しむのに、
腹痛のせいでずっと眠っていた。

 

 

 

 

4時間ほどして「サンペドロ・スーラ」という
大きな街のバスターミナルに到着した。

話に聞くところによるとここは治安が悪いらしいが、
見た感じそんな印象は受けなかった。
バスターミナル中では多くの人々が忙しそうに行き交っていた。

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バスを降りると「ラセイバ!」と叫ぶスタッフに案内され、
待ち合い室のような場所で待機することになった。

待ち合い室のモニターにはウィル・スミスの息子と
ジャッキー・チェンが出演する「ベスト・キッド」が流されていた。
もちろん全て観ることは叶わなかった。

 

 

旅先で観させられる映画を最後まで通して観れることは
極端にすくない気がする。

なんでバスに乗ったタイミングで映画を始めてくれなかったんだろう?
特に小学生の時なんかはそうだった。
どうせ細かい内容は分からないのだから
最初の10~30分は飛ばしてくれてもよかったじゃないか。

って僕は何に抗議しているんだか。

 

 

 

朝から何も食べていなかったが、何も食べたいとは思わなかった。
水を飲むと少し腹が痛んだ。

ホンジュラスに来てから湿度がぐっと上がった。
座っているだけなのに汗をかいた。

汗で濡れたジーンズみて『そろそろ洗濯しなきゃな』と僕は思った。

そしてまた目をつむった。

乗り換えたバスの中でも僕は眠っていた。

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はぁ、腹痛い..。

 

 

 

 

 

 

 

それから

5時間ほどしてようやく僕はラ・セイバの町に到着した。

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バスを降りるとタクシーの運転手たちが
「ホテル!」などと行き先をわめきたてた。

僕は宿をチェックしていたので歩いてそこまで向かうことにした。

腹痛は大分収まったが、それでも食欲は湧かなかった。
露店で売られているビニール袋に入れられたパイナップル・ジュースを
10レンピラ(50yen)で買った。

 

 

歩きだしてすぐに気がついたのだが、
ラ・セイバの町はコパンの町よりもずっと大きいということが分かった。

ピザハットやバーガーキングなどのチェーン店の他、
ショッピングモールなんかも目に入った。

そして町には黒人の姿を見かけるようになった

ラ・セイバはカリブ海に面した町だ。
キューバやジャマイカなど黒人が住む国々はあるが、
中米で見る黒人はどこか不思議な感じがした。

 

 

バスを降ろされた場所から宿までは微妙に離れていた。

30分も歩くと汗でぐしょぐしょになり、
ジーンズが肌にまとわりついている。

探していたのは「バナナ・リパブリック」という宿だった。
ブログでこの宿の名前を見つけたのだ。
欧米人にも人気らしく7ドルで泊まれるようだ。

宿のある場所に大体の検討は着けておいたのだが、
なかなか見つからなかった。

地元の人間に訊いても「NO」というばかりだ。
この「ノー」が「知らない」を意味するのか、
「そんな宿は存在しない」という意味なのかが分からない。

旅をしてきて思うのだけど、
意外と地元の人は観光客が泊まる宿なんて知らない場合が多い。

宿があるはずのエリアをバックパックを背負ったまま
ウロウロした時の疲労感はなかなかに堪える。

 

 

 

町にはタクシーが流しで走っているので、
僕は宿がどこにあるか尋ねてみた。
運転手は親切に詳細に場所を教えてくれた。

そこには確かに「Banana Repabulic Guesthouse」
と書かれた建物があったのだが、
どう見ても営業している気配はなかった。

金網の向こう側からおばちゃんと娘がやって来て
僕に何かをスペイン語で何かを言っている。

何度も同じようなやり取りをして、ここが宿ではないということと、
近くに僕の探していた本物の宿があるということだった。
移転したのだろうか?

 

 

 

 

Banana Republic

は功名に隠されるようにして周囲の建物に溶け込んでいた。

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扉は閉まっており、呼び鈴を鳴らすと
中から生気の抜けたスタッフの青年がやって来た。

いやな予感はしていたが、僕はとりあえず宿泊料を尋ねてみた。

 

 

「ん?12ドルだよ?表にも書いてあるだろ?」

 

 

僕がここの宿の情報を手に入れたブログは一年前のものだった。
わずか1年で値段がそこまで上がるのか?!

僕以外に宿泊客の姿は見られない。
どう見ても宿は儲かっているとは思えなかった。

これが1ドル~2ドルの値上がりならまだ許せるのだが、
5ドルも上がってしまうともう泊まりたくなくなってくる。
コパンの宿でさえ8ドルだったのに。

スタッフも無愛想だったのも
泊まりたいという気持ちを削ぐ要因のひとつだった。

僕はそっけなく「グラシアス」と言って外に出た。

 

 

 

見た感じここ意外に安宿はなさそうだった。

観光地なのかどうかは知らないが、
10ドル以上は確実のように思われた。
近くのボロホテルでさえ同じくらいいの値段だった。

マップアプリに検出された
「ホテル・パリス」にいたっては桁が違っていた。
建物にプールが着いているようなやつだ。

 

 

 

中央公園にツーリスト・インフォメーションがあったが
営業は終了していた。

ベンチで休んでいるとホームレスがやって来て立て膝をついて
煙草だか金だかを人々にをねだってまわった。

僕は肩すかしをくらったような感覚に陥っていた。
ラ・セイバは僕が持つイメージにほとんど合っていなかったからだ。

下調べさえちゃんとしておけば町の空気感も掴めただろうに。
僕はオカノくんから聞いた話のイメージだけでここに来てしまったのだ。

どこにもガリフナ族らしき人間の姿は見られなかった。
音楽さえかかっていない。

 

 

 

 

せっかくカリブ海が見れる町まで来たのだからと、
僕は海沿いまで歩いて行った。

そこには桟橋がかかり、海面は太陽が反射してきらめいていた。

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そのまま海沿いの道を歩いた。

途中で見つけたガソリンスタンドでトイレを貸してもらうと、
タオルに石鹸水をふくませて体を拭った。

アメリカで野宿をしていた時によくやった手段だ。
シャワーがなくてもある程度体を清潔に保つことができる。

 

 

1kmほど歩くとそこには小さなビーチがあった。
特設ステージが組まれ、ちょっと昔のアメリカのヒットソングが
大音量で流れている。

その隣りにはトランポリンや人力のメリーゴーランドがあり、
子供たちがはしゃいでいた。

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ぼーっとそれらを眺め、僕はバックパックを背負った。

ひとまずテグシガルパ行きのバスが明日の何時に出るのか調べに行こう。
それに今日はバスターミナルで寝ればいいだろう。
ここの町は治安がよさそうだ。

 

 

ローカルのバスターミナルに行ってはみたものの、
そこからテグシガルパ行きのバスは出ていないと言われた。

いや、彼らの言うことはあやふやなことが多いので
実際はあったのかもしれない。

僕はグレードの高いバスターミナルに連れて行かれ、
そこでチケットを買うことになった。

チケットは280レンピラ(1,541yen)だった。

 

 

そして僕の手持ちはその時点で200レンピラちょっとしかなかった。

ホンジュラスに長居するつもりもなかったし、宿はドル払いができる。
小額でキャッシングして手数料がかかるよりかは
金の節約になると思ったからだ。

明日向かおうとしているテグシガルパの治安も悪いと聞く。
それならここでお金をおろして置いた方がいいと僕は思った。

「ATMはどこだ?」と僕は尋ねると

カウンターの向こうのチケット売りは「モール」と言った。

 

 

僕はバックパックを背負ってそのモールとやらに行くことにした。

行ってはみたものの、閉店したモールには従業員しかいなかった。
ATMを使わせてくれないか?と尋ねても「ノ~~」と言う。くっ..!

中かおっちゃんが出てきて自信満々に
「それなら向こうのガソリンスタンドにATMがあるから
そっちに行くんだな!」と言う。

 

 

「あの~、僕の持ってるカード、
マスターカードなんですけど、大丈夫ですよね?」

「あぁ!」

 

 

僕はその言葉を信じて
さらに離れたガソリンスタンドまで向かった。

バスターミナルがしまるのは21時。あと二時間ほどあった。

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汗まみれでガソリンスタンドへ辿り着いた。

確かにそこにはATMがあった。

だが「VISA」としか書かれていない

もう嫌だっっっ!!!

 

 

近くにいた係員は「それならセントロの銀行だよ」と教えてくれた。
ってそれ中央公園のあった場所の近くやんっ!

再びバスターミナルへと引き返し、
アメリカドルで差額を支払うと僕の手持ちはゼロになってしまった。
レートの悪いアメリカドルだなんてまったくなんなんだよ???

これからATMを探しにセントロまで行かなければならないと言うと、
ターミナルのスタッフはバックパックを置かせてくれた。
ターミルには警備員がいたので、荷物の盗難はないと僕は踏んだ。
これで盗られでもしたら、金輪際ホンジュラスには行かない!

 

 

 

サブバッグだけになると体はかなり軽くなった。
2kmの道のりを黙々と歩いた。

セントロの銀行付属のATMに行ってはみたもの、
そこににも「Master」の文字は書かれていなかった。
だからっ!

近くにあった銀行が営業中だったので、
僕は中に入って窓口でキャッシングができないかと尋ねてみたが、
返答はお決まりの「ノ~~~」だ。くそったれ!

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「それなら外にあるATMでおろせるよ?」

「いや、だから、それはさっき試したんです!」

 

 

なんとか係員を説得してATMまでついて来てもらう。
試してみたがやはり金はおろせない。

係員は別のATMに僕を案内してくれた。

今度こそ間違いなく、そこにはマスターカードの使えるATMがあった。

さっそくキャッシングしようとカードを入れて引き抜くと
(ATMによってはそのようなものがある)
「カードが読み込めませんでした」
とか殴り飛ばしたくなるメッセージを吐きやがる!

ついて来てくれた銀行の係員を呼ぶと、
現地人の間で精通しているような強めのカードのスラッシュで
なんとかカードの読み込みができた。
ってここまで書くのマジめんどくせぇっっっ!!!

 

 

 

 

自分の労をねぎらうために、帰りにジンジャーエールを買った。

バスターミナルに戻った僕はベンチに座り、
何もすることなく頭上の液晶テレビに移された
サッカーの試合を眺めていた。

21前になると警備員が
「21時にはここを占めるから出て行ってくれよ」と言った。

おいおい。あんまりじゃねえか。

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僕はあえなく外に閉め出されることになった。

朝4時発のバスでその30分前にここにいなければならないのに
ターミナルを閉めると言うのだ。

そんな早い出発ならここで待機していてもいいではないか!このアホ!

 

 

 

 

こういう時にテントを持っていてよかったなと思う。

ターミナルの脇の草むらでテントを立てた。

 

 

今日、何も食べてないな..。

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