▷ペルー、クスコ
ウォールペイントが終わったタイミングで僕はリマを離れようと思った。
日本人宿「桜子」では昼ドラのような人間模様が展開されており(僕は当事者じゃないよ)このままここに居続けても、特に何もせずにグダグダしてしまうんじゃないかと思ったからだ。
三日後にBBQパーティが行われるのは心残りだったが、僕はクスコに向けて出発することにした。
先に宿代を二日分払ってしまったので、一日分返金してもらうのは少し気分が悪かった。旅のスケジュールを土壇場で変更するのは僕の悪い癖だ。
リマから25時間かけてクスコに辿りついた。クスコは山の上にある街なので高山病になるかもしれないという話は聞いていた。僕の場合はそこまでひどくなかったが、寝過ぎで軽く頭が痛むそんな感じだった。
一泊目は欧米人向けのホステスに泊まることにした。よくある話なのだが、ネットで調べたのよりも金額が上がっていたため、安宿にありつけなかったからだ。一泊35ソル(¥1292)。南米にしちゃ高いよな。
クスコに到着した日はちょうどハロウィンの日だった。街は人で賑わいを、仮装した子供達の姿が多く見られた。
僕はさっそくギターを持って夜の街に繰り出した。
だが、聞いていた通りクスコの路上演奏の取り締まりは今年になってから一気に厳しくなっていた。
今年になってアクセサリーを売るアルゼンチン人が警察に悪態をついたため、強制退国させられた話を耳にした。前年度よりも25%も警察の動員数がアップしているみたいだ。
もうかつての「稼げる街クスコ」はここには存在しないようだ。
また、高所に来たせいで声の質が変わってしまった。腹から声を出すことができない。どうしても喉を使った声になってしまう。
宿の近くの公園で一時間半ほど演奏することができた。アガリは15ドルほど。コインの他に飴玉が入れられていたのはハロウィンならではだろう。
次の日も一日かけて、バスキングに挑戦してみたが、やはり人通りのある場所は警官がいてストップをかけられた。
ここへ来た目的は、他の観光客と同じく僕もマチュピチュが目当てだった。
日本にいた頃から何度もあの写真を見て憧れを抱いてきた。
クスコ滞在三日目にコレクティーボに乗り、七時間かけてトレッキングが始まる水力発電所まで向かった。
水力発電所からマチュピチュ村までの道のりは「スタンバイミー・ロード」などと言われてるらしい。どれだけの人があの映画を観てきたのかは分からないけど、確かに道は映画の世界の雰囲気を味あわせてくれた。
息を吸い込むと草木の匂いや、近くを流れる川の匂いがした。
僕は黙々と線路沿いを歩いていた。
時々僕のように歩いてマチュピチュ村を目指す他の人間の姿を見かけたが、大抵は僕の視界には誰も入ってこなかった。ジャリジャリとKEENのサンダルが砂利を踏む音が続いていた。ただ黙歩いているその行為自体が楽しかった。
僕は一人でいることが嫌いじゃない。そりゃ、時々Facebookで友達が和気藹々している写真を見ると『おれはなんでいつも一人なんだろう?』とメゲる時もあるんだけど。
『いつから僕はこの孤独を受け入れたのだろう?』
そう考えた時、思い出すのは19歳の時に青春18切符を片手に鹿児島まで行った一人旅の記憶だ。
あの時、僕は周りの人間に無理矢理自分を合わせなくてもいいんのだと、それからの僕の生き方を決定づけた。100はないんだ。僕は自分に合う人を大切にしていけばいい。
そう考えると、僕は七年も孤独を引き受けているのだ。そう言えば細美さんも孤独癖があるとか言ってたっけ?
孤独であることがマイナスなわけではない。今目に映る全てが自分一人のものだ。感じること、考えること、会う人、食べるもの、その他もろもろが全て自分一人のものになる。
一人旅の良さというのはそういうところにあるのではないだろうか?
二時間かけて僕はマチュピチュ村まで辿り着いた。
129ソル(¥4,763)でマチュピチュに登るチケット買った。宿は20ソルでシングルルームに泊まった。
僕は節食をしていたのだが、ついつい我慢できなくなって10ソルの炒飯を食べた。
ペルーでこの値段を払うと日本で言う二人前くらいの量のメシが出てくる。どうして少量や普通のサイズがないのだようと考えてしまう。これがペルー人にとっての一人前のサイズなのだろうか?貧乏性の僕は二人前の炒飯と一緒に出てきたワンタンスープを残さず食べた。
宿に戻るとすぐにベッドに横になった。
マチュピチュへは朝5時過ぎから登り始めた。
外は軽く雨が降っており、辺りを囲む山には靄がかかっていた。
12ドルも払えば村からバスで一直線でマチュピチュまで行くことができる。僕はもちろん歩きだ。
10分ほど歩くと階段が始まった。登り始めてすぐに汗をかき始め、息が切れた。
僕は宿に荷物を置いたままにしていたので、持っているのは入場券とパスポートくらいのものだった。
なぜだか、僕以外の登山者はバックパックを背負っている者が多かった。そのままマチュピチュでキャンプでもするような装備に僕は首をひねった。
急な階段を一時間登り続け、ようやく入場ゲートの前に僕は辿りついた。
水を持ってきていなかった僕ははぁはぁと息をつきながら、自販機に駆け寄ったが、受け付けているのはコインのみ。隣のトイレにいた集金係の女性に「両替してくれませんか?」と尋ねたが、彼女は仏頂面して「ノー」と言った。
仕方がないので近くのホテルで(こんな場所にホテルがあるのだ!)同じように両替を頼んだが、ホテルのスタッフは「小銭がない」と言った。
「お客様、18ソルで水を販売しておりますが」という言葉に思わず僕は「バカか!」と呟かずにはいられなかった。宿代じゃねぇか!
なんとかして飲み水を手に入れたかった僕は、外でバスチケットを売っているスタッフに頼んでコインを工面してもらうことにした。彼は先ほどのトイレの集金係の女性に両替を頼むと、彼女は渋々20ソル札をコインに両替してくれた。
さぁ、これで水が買える!僕はそう思ったが、自販機にコインを投入しても、コインは返却口から次々に落ちてきた。いやいや、マジで意味がわかんねぇ。
僕は発狂しそうになりながら、猿みたいに何度もコインを投入したが、自販機はコインを返却し続けた。
なぜか5ソルだけ受付たが、返却ボタンを押してもコインは返ってこない。もう石でも投げてガラス割ろうかな?
結局水は出てこず、僕はトイレの集金係に金を返してもらった。
ペルー人にはほんとうにウンザリさせられる。
何かの映画で「頼むからマジでお前死んでくれ」というヒドい台詞があったが、今ならそれを口にしてもいいんじゃないかと思う。
自販機に残されたままの5ソルと、小さな紙パックのジュースが同じ金額なことに気がついた。番号を入力してジュースを取り出し、一気に飲み干した。
マチュピチュ自体は素晴らしいものだった。実物を目にすると思わず声が漏れた。太陽が辺りの山々を照らし出すのにつれ、ワイナピチュは徐々にその姿を露わにした。
そうだよな。おれはどこにだって行けるんだよな。そう思うとどこか嬉しくなった。
宿に残してきた荷物もあったので、僕は一時間半ほどでマチュピチュを後にするとことにした。
そうだ。マチュピチュではパスポートにスタンプが押せるんだったな。それを思い出し、スタンプが押せる場所。探したが、なんと受付は9:00からだと言う。その時時刻は8:15とかだった。
僕は近くにいた警備員に「急いでいるので今スタンプをもらえないでしょうか?」と尋ねると、ソイツは「10ソルよこしたらな」と言った。
ここまでくると、そこまでしてスタンプなんか欲しくねーよ、となる。
さっさと下山してマチュピチュ村まで戻った。
雑貨のことに関しても、少し書いておきたい。『ここでしか手に入らない雑貨があるのでは?』と期待していたが、売られてい雑貨はクスコとあまり変わらないものばかりで、その上値段も高かった。
三年前、相棒からもらったペルーのコインケースを未だに僕は使い続けている。それと比べても、近年のペルーの雑貨のクオリティは落ちているように思える。買うならクスコで十分だと僕は思うね。
12時に宿をチェックアウトし、また一人で線路沿いを歩いていった。
同じ道なのに、同じ感じがしない。行きよりも周りの景色を眺める余裕がある。マチュピチュへ来るのにはそこそこ金がかかったが、このトレッキングも含めて全てがマチュピチュなんだよな。それほどトレッキングは僕にとって味わい深いものだった。
帰りはまた同じ運転手が運転するコレクティーボだった。その時に気づいたのだ。彼は行きも帰りもほとんど休むことなく車を運転していることに。
往復12時間以上。険しい山道を走っている時は、疲労のため運転を誤って谷底に真っ逆さまなんていうシチュエーションを想像してしまう。
けっこうな肉体労働だと思う。外国人相手の仕事で、平均的なペルー人の所得よりも多いだろうが、ここまで来る交通費80ソルのうち、彼はどれだけ手にすることができるのだろう?
腰の低い対応にも好感が持てた。彼のスマートフォンの待ち受けは4歳くらいの子供写真だった。
クスコに帰って来たのは21:30くらいだった。中心地とは言え、行きとは違う場所で降ろされたため、なんだか違う街にやってきたような錯覚を味わった。
荷物を預けていた15ソルの安宿に戻り、再びドミトリーに入った。
15ソルという金額に加え、宿の人は愛想もいいし、Wi-Fiもホットシャワーもある。
唯一の欠点と言えば、ベッドにダニだかシラミだかがいて、夜通し痒みと戦わなくてはならないことだった。
とうとうマチュピチュですか!
サクッと歩いていってらっしゃるその体力が
素晴らしいですね。
>あっきーさん
村からマチュピチュまではかなりしんどかったですけどね。
体力は20代以降の体力はバイト時代が一番あったかもしれません。
意外と旅人って運動しませんから笑。