「一月下旬、オーストラリアの東海岸は雨季」

1月31日/オーストラリア、ヌーサ

 

 

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8時前には目を覚ました。

どうもホームステイをすると、人のベッド使いたくない気持ちになる。僕みたいな汚いやつが人のベッドを使っていいのかと考えるらだ。

前日の夜もシェフ(彼の名前ではない。名前メモするの忘れちゃったんだよ!)の息子さんの部屋で寝かせてもらったのだが、寝袋をしいてカーペットの床の上に寝た。キャンプでは銀マットが必要な人もいるかもしれないが、僕は砂利じゃなければたいていの地面で銀マットなしで眠ることができる。きっと骨の形とか、いくらか変わってしまったに違いない。

 

 

朝のコーヒーをいただくと、シェフとガールフレンドと一緒にヌーサ・ドライブまで車で送ってもらった。もちろん今日は彼らも仕事がある。

 

僕は今日も一日ヌーサに滞在するつもりだ。

昨日壁にイラストを描く依頼はmpらったが、バスキングはまだやっていない。それに今日はイラストのギャラとしてランチをごちそうしてもらえるのだ!

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へぇ、コアラもいるんだ。まだ一度も野生のカンガルーさえ見たことないけどね。

 

 

 

日中は昨日と同じカフェで過ごすことにした。

僕が席に着くとすぐに雨が降り始めた。先ほどまで通りを歩いていた人たちの姿が一気に少なくなった。

僕はぼんやりと通りを眺めながらいつものように日記書いたり、ブログのアップをして過ごした。少し苦めのダーティ・チャイが美味しい。

 

1月の終わりからオーストラリアの東海岸は雨季に突入する

パプアニューギニアなどの熱帯に近い北部へ行けば行くほどその感じは強くなっていく。今の時期、ケアンズはもっと蒸し暑く、1日に必ず雨が降るらしい。

どうやら東海岸はオフシーズンに突入したようだ。

ビーチリゾートに全く観光客がいないわけではないが、いつもよりも少ないということだ。バスキングにも向かないのだ。

オーストラリアはバスキングで稼げることで有名だけど、稼ぎは時期に左右されるということ。イクゾーくんはオーストラリアにやって来た時期はベストじゃなかったのだ。

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ちょっと小さめの紙に漫画を描いて、裏には落書き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13時になると、僕は約束のランチを食べに昨日の店へと向かった。

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この「CRAWDADDYS」って店にウォールペイントしました。探してね♪

 

 

 

僕みたいな旅をしていると、時々ご飯をおごってもらえる時がある。

中には「なんでも好きなもの注文していいよ」と気前のいいことを言ってくれる人もいるのだが、そう言われても高いものなんて頼めないのが日本人だ。気遣いってすごい文化だと思う。

そしてこのような場合、僕がリクエストするのは「ベジタブル」だ。

 

 

昨日もいただいたサラダとは別のものが食べたかった僕は、小分けでいいので複数のメニーを組み合わせてくれないか?と三点ピックアップした。

だが要望がちゃんと伝わっておらず、いや、伝わっていたけど、ここまで用意してくれたんだろう。

出てきたのは一人前分量の野菜メニューが三品。

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あと一皿出てきて驚いた。

 

 

 

値段にすると30ドルはくだらないだろう。

そんな大きな皿に野菜が大きくよそられている。思う存分野菜が食べられるなんて僕は幸せな気分になった。

もう半ベジタリアンって言ってもいいかもしれないな。漫画でいうと「半妖」とか「半吸血鬼」とかに近いイメージで笑。略して「ハンベジ」。

 

 

バシャバシャと降りしきる雨の音を聞きながら僕は三皿ペロリと平らげた。

不思議と野菜はいくらでも食べられる。まだまだアクセントとなる味付けは必要だけれども。反対にお菓子食べ過ぎや、コーヒーの飲み過ぎで気分が悪くなることがある。

最近毒物に対して少し敏感に反応するようになった。摂取量の限界意識しながら食べないと、ちょっと気持ち悪くなるのだ。これはいい変化なのか?それとも体が弱くなっているのか?でも現在の体調はいいかな?肌ツヤもよくなったな。

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ふ〜〜〜。ごちそうさまでした!

 

 

 

 

 

15時になってようやく雨は止んだ。

今日は木語りのバスキングをしてみることにした。路面はまだ濡れたままだったし、雨上がりの通りで唄いたい気分だったのだ。

また雨が降ってきてもいいように、アーケードの下を選んでギターを構えた。CARAVANの歌を久しぶりに歌った気がした。コインがほとんどだけどレスポンスもボチボチ入る。

それでも、連日の弾き語りバスキングをやらなかったばかっしに、鈍ってしまったことを感じずにはいられなかった。

 

 

一時期は音楽を作ることにも創作意欲があったが、今は絵を描くモチベーションの方が強い。これが本来自分のあるべき姿だとしても、どこか寂しい気持ちにもなる

最近、ギターはただ持ち運んでいるだけのような気がしてきた。これから音楽とどう付き合っていこうか少し考える。

唄うこと自体は今も変わらず好きなままだ。どう喉を震わせればいい音が出せるのか?喉声と腹から出す音の違いはどこか。そういうことを意識してバスキングをしていると、なんだかパフォーマンスが内的になってしまう。

 

持ち歌のワンクールが終わり、二巡目に入って数曲で近くのブティック店のおばちゃんから苦情が来た。

まぁ、オフシーズンの静かな通りでわめかれたら、そりゃイラッとしますよね。それでも「テリブル(酷い)」だなんて言わなくてもいいじゃない。ジャイアンだったら逆ギレだよ?

 

 

 

 

中途半端な時間のストップをかけられてしまったので、僕はまたどこかで時間をつぶさなければならなかった。

あたりをウロウロしていると、先ほど歌を聞いてくれていたであろう女性から「so talentedだったわ!」と言って20ドルをいただけた。まったくレスポンスなんて人によるよね。ありがとうございます。

 

そうこうしているといくつかの店では店内ライブが始まったので、バスキングはやれなくなってしまった。

ヌーサにはアーティストがライブをする飲食店がいくつかある。彼らの演奏する曲はみんなが知っているヒットチューンばかりだが、そこに各々のアレンジが効いているのだ。ミュージシャンの需要はこういう場所にあるのだなと僕は思った。

僕はオリジナルの方が好きだけどね。

 

 

 

ハイクオリティのジュークボックスを目指すのか、味のあるオンリーワンを目指すのか。

誰もが知ってる曲を歌い金とレスポンスを得るためにカバーを続けるのか、自分のスタイルで勝負するのか?

 

模倣なしにオリジナルは生まれない(浦沢直樹のコウモリの漫画にも書いてあったな)。だが、漫画家の僕はオリジナルを作ることに重きを置きたい。そう思っている。だから旅の途中から自分の曲を作るようになった。

とても上手いプレーヤーが最近のヒットチューンばかり歌っていると、なにかがひっかかる。

なぁ、おい。あんたはずっとそうやって誰かが生み出した曲のあとばかりついてまわるのかい?と。

確かにそのアレンジはあんたのオリジナルなのかもしれない。その技法を身につけるのに死ぬほど練習を重ねたのかもしれない。だが、その曲が誰によってどんな風に生まれたか想像してみたことはあるかい?と。アーティストがいて、プロデューサーがいて、エディターやマーケターがいて、その曲は世に放たれたはずだ。

あんたがそこに留まりたいのならそれでいい。そういう生き方もあるさ。別に否定はしないよ。生き方なんて千差万別、多種多様だもの。

 

 

余計な御世話かもしれないけど、僕が心配しているのは

自分の作品を創る楽しみをあんたは忘れちまったんじゃないかい?

新しく何かを創ることは最高にエキサイティングだ。良いものができればレスポンスが得られるし、そうでなければ何も起こらない。

 

周りのヤツらは僕にとっての(反面)教師でもある。

僕がすべきことは路上でガンガン漫画を描くことだ。

 

 

 

 

 

閉店後のフードコートで充電をしながら日記を書いた。

ヌーサにはファストフード店のような低コストで時間をつぶせる場所がないので、寝るまでの時間を過ごすのがキツい。

 

寝る前に公共のシャワーで体をさっぱりさえ、髪が乾くと23時過ぎには近くの公園へ向かった。

そこにある東屋のベンチ横になったが、寝返りを打ったら落ちてしまいそうなベンチでほとんど眠れなかった。

ベンチで眠るときには背もたれが欲しいところだね。

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