▷銀杏祭

 

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あたりまえの話だけど、僕もかつては高校生だった。

10年くらい前の話だ。

 

 

自分では十代の後半というのは人生において決定的に大事な時期のひとつだと思い込んでいた。そこでどう過ごすかによって人生が大きく変わってしまうような。

一般的に十代の後半は「青春」と呼ばれることが多い。きっとほとんど人はそのまま進学して、残された4年間(あるいは2年間)の大学生活という名のモラトリアムの中で次第に大人になっていくんだろう。

僕はそう思っていた。

学生であることを終えればそこで自分の中のなにかが完璧に終わってしまうのだとさえ思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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先日、自分の通っていた高校の文化祭に遊びに行った。

僕はランニングの折り返し地点を高校に設定している。文化祭の前日に走りに行った時に校舎の中に仮設テントを見つけたのだ。ホームページで確認するとその翌日に文化祭があることがわかった。普段は気軽に校内には入れないので、いい機会だなと思ったのだ。

10年前高校生だった僕はあの時と同じようにいつものバス停からいつものバスに乗って高校へと向かった。

 

 

 

 

深夜にたびたびランニングで高校の前まで来ているとはいえ、日中に訪れるのはほんとうに久しぶりのことだった。

思い返してみれば以前ここへ来た時も同じように文化祭の時だったはずだ。世界一周の旅に出るまえに文化祭に来たのだ。

 

校門には文化祭用の看板が二箇所設置されていた。それがどうも味気なく見えた。自分が高校生だった時はもっと装飾に手間がかかっていたようにも思えた。

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校門を抜けるとまずは受付でパンフレットをもらった。受付用のテントのすぐ脇には窮屈そうに飲食店のテントが3つほど立ち並んでいた。

売られていたのはカレーとかき氷とポップコーン。文化祭によくある定番商品だ。しかも利益なんて度外視した良心的な値段設定だった。高校の文化祭は金がかからない。

僕はあとで何か食べようと、まずは校舎の中に入ってみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

校内の様子は10年前とちっとも変わっていなかった。

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中にいる人間のほとんどは当然ながら高校生で、そのうち二割ほどが外からの客だった。週末だというのにもかかわらず一般の来場者の数はそれほど多くない。

高校生だれけの環境に入ると、当時の自分と今の高校生たちを重ね合わせてしまい、その初々しさに思わずニヤけてしまった。

イベント特有の楽しげな感じや、顔つき、店の手作り感。

あぁ、僕もこんな感じだったっけ?

 

 

 

 

 

「おばけ屋敷」があるのは毎度のことだった。

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だいたいどこの高校の文化祭にもあると思うんだけど、あれってしきたりなのだろうか?

「高校生は文化祭において”お化け屋敷”をやらなけらばならない」みたいな?

たぶん当時の僕だったら(今の僕でもそうだけど)こっぱずかしく思っていただろうし、客の方も遊園地にあるような本物のお化け屋敷に入るつもりではやってこないだろう。高校の文化祭のお化け屋敷。あれってなんか不思議だよね。

 

 

 

縁日的な店があるのも見慣れた光景だった。

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それは10年たっても変わらない。きっとクラスルームで何をするか決める時に、「そんなのやってられるかよ!」という中途半端にいきがったヤツがクラスの過半数を構成する場合、「じゃあ、仕方ないんで縁日やります?」みたいな流れで決まるのだろう。あくまで僕の想像だけどさ。

だって高校生が自ら進んで縁日的なお店をやりたいだなんて思えないからね。

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校舎

の上から僕はひとつひとつ丁寧に教室を見ていった。

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科学部の水族館を見たまでは客として楽しめていたのだが、すぐに違和感をおぼえた。

 

 

『当時僕が感じていた文化祭の空気感はもっと熱かったのではないか?』

という気がしてきたのだ。

 

 

出店のレパートリーの少なさや作り込みの甘さもそうだが、なんだか高校生そのものが幼くなったような印象さえ受ける。

そりゃもちろん彼らと僕の年齢が離れすぎているせいもあるのだけど、僕が感じた違和感はそれだけではなかった。

 

 

 

 

一体何が彼らを幼く見せているんだろうと僕は注意深く観察した。

すると10年前との「差異」に気づくようになっていった。

 

まず第一に上履きが違っていた。

当時の僕らはトイレで使うようなサンダルを履いていた。赤・紺・グリーンの三色で学年ごとに違う。僕は三年間赤いサンダルを履いていた。きっと校内で走り回らないようにあえて歩きにくサンダルを履かされていたのだろうが、脱いだり履いたりしやすかったため、僕はどちらかといえば便利だなぁとさえ思っていた。

だが、今の高校生たちはどうだろう?

なんと僕の母校で履いているのは小学校で使うようなゴム上履きだった。つま先だけが色違いで全体は白ベース。使い込むにつれてどんどん黄ばんでいくあれだ。想像に難くないだろう。

もし、僕があんな上履きを履かされていたのであれば、みじめさがあいまって登校拒否になっていたにちがいない。いくらなんでもあれはダサすぎる。

しかも誰ひとりとしてそのダサさに気がついていないように僕には思えた。

誰かしら洒落っ気のあるやつが校則を崩していてもいいものの、ほとんどの子たちは決められたルールに則ってそのゴム上履きを履いているように僕には思えた。

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次に目についたのはTシャツだった。

何人かはクラスで作ったTシャツを着ていたのだが、そのデザインのほとんどにやる気を感じなかった。

クラスTシャツ。通称「クラT(ティー)はクラスの一体感を高めるのに重要な役割を果たしていた。

僕は率先してクラTのデザインに臨んだのだが、クラスメイトには悪いが納得のいかないしょっぱいものを三年連続で作っていた。「みんなの意見を取り入れるとロクなものができない」という真理をこのときに学んだ。

クラTは夏の球技大会の直前に作るものだ。必ずいくつかのクラスはデザインの凝ったものを作ってくる。クラス対抗の行事がある際にはみんな好んでクラTを着ていた。

 

今回の文化祭では一着だけタイダイに模したプリントTシャツがあった。彼らはそれがどのようなものであるかはわかっていなかった。タイダイはヒッピー・カルチャーから生まれ、フェスとかで好まれているだとか、木村カエラのインスタグラムのアカウントのプロフィール画像のアイコンもタイダイだとかそういった事実に。

ほとんどのクラTはメーカーが用意したテンプレートに個々人が好きなフレーズを載せるといった具合で、見ていておもしろくなかった。

それは彼らにもわかるのか、好んでクラTを着ているようには見えなかった。ただお仕着せのように着ているだけだった。

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高校生そのものが若干幼くなったように思えるのはなぜだろう?全体的に身長も低くなったようにも思える。いや、僕も慎重が高いわけじゃないけど。全体として、ね。

10年前の方が髪を染めているヤツが多かった。制服を着ていてもお洒落なヤツはいた。『コイツには勝てねぇな』というイケメンもいた。もちろんかわいい女のコもいた。少なかったけどギャルみたいなコもいた。女のコのスカートは短かったし、夏であろうとも彼女たちのソックスはひざ下まで伸びていた。ルーズソックスもごく自然にファッションに取り入れていた。化粧もばっちし決めていた。あれ?僕女のコしか見てないな。

 

僕が当時感じていた「高校生であること」に対する高揚感はなんだったんだろう?

あれは自分がその時高校生だったからこそ感じていたもので、今も当時の感情は彼らの心の中にもあるのだろうか?

地元とのつながりが深かった小中学校を卒業し、自分の志望する高校へと進んだ。『もう子供じゃないのだ』という意識さえ持っていた。あんなに背伸びして大人になったような気がしていたのに、大人から見たら結局は子供のようなものだったのかもしれない。

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校舎を亡霊のようにウロウロしているうちに時間は過ぎていった。

僕としてはカフェみたいな場所でまったり時間を過ごしたかったのだが、ここにはそんな場所はなかった。

いくつか店に入ってみたが、売られているものが極端に少なかったし、売り切れているものが多かった。文化祭が終わる1時間も前には外の飲食店は店を閉じてしまっていた。おかげで僕はろくなものを食べることができなかった。ウガンダの露店の方がまだいろいろな物が売られていたなと僕は思った。

しょうがないので僕は自販機で缶コーヒーを買うと、文化祭のトリを飾る吹奏楽部のコンサートを聴きに体育館へと向かった。校庭に一番近い出入り口付近にごろんと横になった。そこからカップルが外にある階段の一段めに仲良く並んで座っているのが見えた。

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もうここには僕の知っている人は誰一人としていないのだ。

わかりきったことだし、別に寂しさは感じない。

ただ、自分が10年前に感じていた何かを、今現在ここにいる高校生たちには見出せなかったことにすこしがっかりしていた。

同じ場所にいるのにもかかわらず、そこにあるものは違ってしまっている。時代や流れってやつだ。

きっと僕より10年上の世代も僕たちに対して同じことを感じていたのかもしれない。

女のコがマキシ丈のスカートを履いていた時代もあっただろうし、スケバンや番長がいた時代だってあったはずだ。校内が荒れていた時代だってあったろう。みんながビートルズを聴いた時代だってあったはずだ。原付を持っていることがひとつのステータスになった時代だってあったかもしれない。

そういう時代に生きた僕たちの先輩も『自分たちの時代の方が学生みんなが楽しそうだった』なんていうのかもしれない。

 

 

 

 

そして僕は今の高校生たちをみて、いかに自分が閉じられた世界、コミュニティーで三年間を過ごしていたのかを理解した。

いろいろな世界を覗いていくうちに、自分がちょっとでも外の世界に働きかければ多くの人とつながれることを知った。

今の自分なら文化祭をおもしろくするためにこうするだろうなという妄想さえしてしまう。

 

 

当然のことだけど、世界はそこでは終わらずにそれからどんどん広がっていく。

自分がどのような未来を歩むかは自分で選択することができる。

 

もし、当時の僕が今ここで高校生をやっていたら、

どんな風に生きていただろう?

 

 

 

過去に戻るなんてナンセンスし戻りたくもない。

ただ、

事にしたい想いもある。

 

 

もう二度と感じることのない十代の心の震え。

きっと僕はそれが自分の心の中に残っているか確かめに行きたくて高校の文化祭へと足を運ぶんだと思う。

だからまたきっと来年もここへ来るのかもしれない。

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売店のおばちゃんは変わらなかった♪仲良くなかったけど(笑)

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