▷短編小説 #1

 

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チェコ

に住むある一人の科学者がひどいアレルギー性鼻炎に悩まされていた。

アレルギーの原因となっているのは「空気」だった。

窒素78%、酸素21%が主な酸素の成分となっているが、その他に酸素に含まれる二酸化炭素やアルゴンなどのごくわずかな気体に対してアレルギー反応を起こしてしまうのだ。

この地球上に住んでいる以上、その科学者はアレルギー性鼻炎と戦わなければならなかった。

 

 

 

科学者は生まれた時からそのアレルギー鼻炎を患っていた。

どこへ行くにもポケットティッシュが手放せず、いつも洟をかんでいるせいで鼻がかぶれて赤くなっていた。また洟をかむ時の音も決して小さくはなかった。よくそれが原因で学校の教師から散々注意されるはめになった。

 

 

彼の少年時代、「鼻(洟)」はコンプレックスの対象だった。

友達からはいつもからかわれていた。

「トナカイ」というのが彼のつけられたあだ名だった。当時彼ほどあの「赤鼻のトナカイ」の気持ちが理解できる青年はいなかっただろう。

いつだったか自分の抱えたその想いを学校の作文の授業でぶちまけたことがあった。それは実に見事な作文でもあった。読む者の心を震わせる何かをそこには感じ取ることができた。

国語の教師は彼の作文にえらく感動して、彼が止めるのも聞かずに州のコンクールに勝手に応募してしまった。その結果、彼の作文(タイトル「赤鼻とトナカイ」)は銀賞を獲得することになった。その経験は彼のコンプレックスを多少なりとも和らげてくれる出来事のひとつでもあった。

 

だが皮肉なことに、その作文が彼のあだ名を広めるのに一役買ってしまったのも事実だった。

彼のいた町はとても小さな町だったので州のコンクールで銀賞を取るような人間は誰一人として存在しなかった。一般人が有名になるとしたら急性アルコール中毒でぶったおれてそのまま凍死するくらいしかなかった。年に一人か二人はそういった類の人間が彼の町には、いた。新聞(の死亡欄)に自分の名前が活字になって載ることは名誉ある死とも考えられていた。そんな微笑ましい小さな町で彼は育ったのだ。

 

ジングルベルが聴こえてくる頃になると彼は注目の的となった。あたり一面が雪で覆われるチェコではその赤っ鼻は一段と目立ったからだ。アレルギー性鼻炎で赤くなる鼻と寒さで赤くなる鼻の色合は決定的に違っていた。文字どおり「赤い」鼻だったのだ。

そして四六時中洟水が垂れてきていた。寒さで気をつけなければ流れ出る洟水が凍ってしまうので気をつけていなければならなかった。友達からプレゼントのリクエストを受けるのが彼の悩みだった。

 

 

 

 

 

 

その年、彼に奇跡的にガールフレンドができた。

その女の子は彼の通っていた中学の同級生だったが、彼とはクラスも離れていたし、彼と一緒のクラスになったことは一度もなかった。口さえ一度もきいたことがなかった。赤の他人といってもいいくらいだ。

休み時間に同じクラスの女の子を経由して本を手渡された。本の内容は児童向けに簡単に描かれた「レ・ミゼラブル」だった。中に巧妙に隠されたラブレターがあった。これほど巧妙に手紙を隠せるのであれば、きっと刑務所のような閉鎖されて監視された空間でも手紙のやりとりができるだろうなと彼は思った。思わず同じようにして「Ano(yes)」 と返事を書いて手紙を本に忍ばせた。こうして彼にガールフレンドができたのだった。

 

 

ガールフレンドができたという事実に彼自身も驚きだった。どうして自分なんかを好きになってくれるのかが気になってしょうがなかった。友達が自分をからかっているのではないかと勘ぐったほどだ。

だが女の子は積極的な子だった。けっして美人というような顔つきではなく、度の高いメガネをかけており、髪を一本の三つ編みにしていた。表情豊かで、笑った時に見せる八重歯が彼女のチャームポイントだった。同じ歳の他の女の子と比べると胸も膨らんでいた。通学用のバッグにはいつも図書館から借りてきた童話の本が何冊か入っていた。口数は多く、いつも黙っている彼の代わりに沈黙を埋めてくれた。そうでなかったら洟水をかむ「ズビビビビッ..!」という音が代わりに鳴り響いていたことだろう。

そんなガールフレンドとの一ヶ月が過ぎた時、彼は思い切ってどうして自分のことを好きになったのか訪ねたみた。すると彼女はそれが双方の了承を得ているとでも言ったようにこう宣言した。

「赤鼻のトナカイが好きだからよ!」

そんなガールフレンドといた期間は彼にとって間違いなく幸福であった。

 

 

 

 

 

アレルギー性鼻炎に悩まされていた彼の唯一の特技はテッシュを使わずに手だけで洟をかむことだった。これだけは誰にも負けない自信があった。

立ち振る舞いは実に見事で手洟をかむ瞬間だけは英国紳士にも劣らないほど優雅だった。

その所作は「手洟をかむ人」という題で写真に収められ区役所のホールに額に入れられて飾られるほどだった。

いかに美しく手洟をかめるかでギネス記録に載るほどだった。

彼が手洟をかむときは指の一点しか汚れない。彼は背筋をピンと伸ばして洟をかむ。少し聞き苦しい音が一瞬だけ響き、指に付着した洟水は美しい放物線を描いて地面へと落下する。ここまでわずか1.5秒しかかからなかった。あとは指先についた洟水を胸のポケットにいれたハンカチーフで紳士的に拭き取れば一連の儀式は終了した。天気のいい日にはそこに小さな虹が確認できるほどその儀式は華麗で威厳があった。町の占い師によると「彼の前世は”洟かみ師”だった」らしい。

華麗な手洟をかめるのはアレルギー性鼻炎をわずらった彼の唯一の特技でもあった。

 

 

 

 

 

嘲笑の的になるのも彼が高校生になるといくらか収まった。

なぜなら周りの人間はしょっちゅうビールを飲んでおり、顔を赤らめていたからだ。チェコはビールが市販の水より安く、三人に一人はのんだくれだった。周りの連中は一日中ビールを飲んでいたのでだいたい顔が赤かった。授業中はカラビナボトルに酒を入れて隠れて飲んでいた。教師は教卓の後ろにシグボトルにウォッカをたっぷりいれてチビチビやっていた。クラスの半数以上が授業中に酒を飲んでた。そんな微笑ましい学校で彼は多感な学生時代を過ごした。

もちろん彼自身もビールが大好きだった。中でもピルスナーが彼のお気に入りだった。

 

 

彼が友人と地元のパブでぐでんぐでんに酔っ払った時のことだ。ビールを飲むとアレルギー反応が収まることに彼は気がついた。

友達は(四六時中鼻が赤い)「おい、今日はいつものあれねえのかよ?」と酒臭い息とともに彼に訪ねた。彼自信も自分の変化には気がつかなかった。なんせ17年以上も彼は洟水をたらし続けていたからだ。その変化に彼は驚き、感動さえ覚えた。『両方の鼻の穴で呼吸できることはここまで素晴らしいことなのか!』と。

 

 

どうやら彼のアレルギー反応はアルコールを一定量を摂取するとおさまるらしいのだ。

体の神秘を解き明かそうと彼は勉学に打ち込むことになった。自宅のデスクにはいつも酒が置いてあった。大学院まではビールととも過ごした。

酒を飲んでも勉強ができることにも彼は気がついた。彼の家族は言うまでなく大酒飲みの一族だった。家系図とこの町の歴史をたどっていく六世代前に伝説の大酒飲みがいることがわかった。彼の先祖が打ち立てた地元の記録は未だ破られていない。

 

 

自分の人生をかけて研究する分野が見つかったため、彼は人生をアルコールと洟水に注ぎ込むことに決めた。一年も無駄にすることなく試験をパスし、最短ルートで地元の国立大学の研究員になることができた。

だがその間彼は一日も休むことなく酒を飲み続けていた。金のない時は一ヶ月間ビールだけで生きたこともあった。ピルスナー・ビールでいうと一日にひとケースは開けていた。もともと彼自身は倹約家であったため、必要以上に金に困ったことはなかったが、ビールの素晴らしさに気づいてからは湯水のごとく金をつかうようになった。時には酒代を友達に無心することもあったくらいだ。いつしかデスクに置いてあるのはピルスナー・ビールからバーボンへと切り替わったていた。

アルコール中毒者の仲間入りを果たしそうになった時期もあった。その時人生の伴侶に出会わなければ、彼の人生は零落していただろう。彼女はピルスナー・ビールのPR会社に勤めていた女性で、安くピルスナー・ビールを手に入れることができたからだ。「うちのビールをそこまで飲めるのはあなただけよ」というのが彼女のささやかな誇りでもあった。

 

 

 

 

そうしてついに研究を完成させたのは彼が年老いてからであった。

研究には莫大な金と洟水が費やされた。彼自身を含め何人もの人間がサンプルを提供して完成した研究だった。もちろん彼自身も彼の奥さんもサンプルを提供したことは言うまでもない。

研究内容は「洟水によって動くバイオディーゼルエンジン」だった。

アレルギー反応に苦しむ人たちを救うことは彼自身にはできなかったが、彼は自分の鼻の穴から半永久的に出てくる洟水に価値を見出すことができた。

彼と同じように鼻炎に苦しむ多くの人たちがこの研究によって励まされ、世界はよりエコ・フレンドリーな方向へとシフトしていくだろうと彼は予測した。次世代エネルギーはついにここに誕生したのだ。

 

彼の指導のもと、町には「洟水バンクポスト」が設置された。一見するとそれは電話ボックスのように見えるが、その中では衛生的に洟水を貯めるようにできている。デザインはスウェーデンの会社によるもので清潔感漂う仕様になっていた。使用済みのティッシュからも洟水のみを抽出できるように設計されており、洟水バンクポストから直接バイオディーゼルエンジンを備えた車へと燃料を補給できるようになっていた。

アレルギー性鼻炎を患った人は国から補助金が出るようになったのも彼の功績によるところが大きいだろう。

そうして洟水の燃料化はチェコの一大産業へと成長していったのだ。

 

 

彼は一躍有名になり、テレビや雑誌にもたびたび出演するようにもなった。

ある女性タレントが彼にインタビューをした。

 

 

「あなたの次の夢はなんですか?」

「洟水を使って宇宙に行くことです」

 

彼の目には一点の曇りもなかった。

 

 

拍手喝采。これにて幕引き。

チェコのとある科学者のお話。

 

 

 

 

 

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っていうか、今日はマジで洟水が止まらない。

その不満をぶつけるために一時間半で書き上げたショートストーリー。

シミの初短編です。感想お待ちしております(笑)

 

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2 件のコメント

  • 中学時代の彼女がいい感じで登場したので、
    その後も絡む場面を希望します。
    チェコの様子ももっと知りたいと思いました。

    ムーミンやアレッポも家にたくんさんあって、
    興味深かったです!

    • >あっきーさん

      どうもです!
      機能は鼻炎がひどくて鬱憤を晴らすようにぱぱーっと書いたストーリーでしたが、楽しんでもらえたようで何よりです♪
      チェコはまぁ、書きたいことがたくさんあるけど、今度はポートランドとかにしようかな?
      練習がてらにこんな短いストーリーも書いていきたいと思います。

      あぁ、いいですね。おうちにグッズがあるのって。
      アレッポ石鹸はいいですよね♪あれで髪洗ってもあまりパサパサしないですもの。

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