究極の下書きを。

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シャーペンにせよ鉛筆にせよ

 

絵を描く上で、ほとんどの人が下書きをする。

まぁ、中にはキム・ジョンギ先生みたいに精密な絵を記憶力をたよりに一発描きする超人的な人もいるわけだけれど、

ご存知の通り、僕はそこまで突出したスキルを持っているわけではないので、もちろん下書きをする。

マジすげぇ。

 

 

「下書きのやり方」なんてものがあったら聞きたいのだけれど、

やり方なんて人それぞれだと僕は思っている。

 

中にはデッサンのように薄く、細い線を「シャッ!シャッ!」と重ねていく人もいるだろうし、

ペンでなぞることのできる線が描けるまでゴシゴシ消しゴムをかけながら下書きをする人もいるだろう。

 

まぁ、スタイルなんて人それぞれで、僕はどっちのやり方でも下書きをするのだけれど、

面白いのは、絵を描きまくっていると、

 

 

一発で正解の線が引けるようになってくる

ということだ。

 

 

 

 

 

僕の場合は

三時間とか五時間とか、ずっと作業していると、

「ふっ」と下書きの精度が上がっていることに気づく。

 

そして、そういう時は下書きの前に、

さらにバーチャルの下書きというものができるようになってくる。

 

存在しない架空の下書き。想像の下書きだ。

どういうことかというと、

頭の中で線のイメージができるようになってくるのだ。

 

そう!シュートした後のボールの軌道がすでに思い描けているように。

でも、これは意識しないとできないし、夜寝て次の日になったらできなくなってるとかあるけどね。

線の色にしたってそう。着色するときはいくらかグレーよりにしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絵=頭

 

最近僕が思うのは

 

絵は頭で描くもの

 

だということ。

 

 

頭に器具をつけて描くとかそういうんじゃない。

いかに頭の中で絵の完成像をリアルに再現できるか

が重要になってくるのだ。

 

 

 

下書きというのはある意味「自分の描きたい線を探す作業」でもある。

下書きが線でいっぱいになってしまう人は、どういう絵を描くべきか、自分でもわかっていないから、何度も線を重ねるのだと思う。

絵の上手い下手って、イメージできているか否かってのもあると思うんだよね。

あと、思い描いた線どおりに手を動かせるかとかもね。

 

 

反対に究極の下書”きというのは、

頭の中で下書きをして、そのままダイレクトに清書をすることだろう

ここまでいけたら無敵!

さっきも出てきたけど、僕が知る中では韓国のアーティストキム・ジョンギが唯一それをできてる人だと思う。

 

 

 

では、下書きをしないで絵を描くには一体何が必要なのか?

それはいうまでもなく、

「記憶力」だ

 

 

ジョンギ先生が言っていたのだけれど、

「自分は絵を描く時に、色々なもののディテール(細部)をありありと思い出すことができる」

というのだ。

幼少期に見た家の作りなんかも再現できるとかできないとか。うそだろ..?!

脳みその作りが他の人と違っているんだろうね。

 

 

 

残念ながら、僕には何も見ずにものを再現できる立派な記憶力なんて持ち合わせていないので、描きたいものがあると資料を探したりするし、

描いたことのないものを描く場合には、なかなかそれがうまく再現できない時だってある。

(漫画を描き始めた当初はそれにちょくちょく落ち込んでた)

 

 

 

 

 

 

 

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脳みそ用のHDDが欲しい!

 

自分の脳みその容量には限りがある。それをどうやって増やすかといえば、

追加容量を購入するわけにもいかない。

外付けハードディスク的な外部メモリとして、記憶しておきたいことをストックすることが必要になってくる。

つまりメモだ。

 

 

人によっては「ネタ帳」などと呼ぶかもしれないし、

「落書き帳」に描きたいものをスケッチしていく人もいるだろう。

でも、これの難しいところは、自分の必要な時にすぐさまそのデータをひっぱってこれるかっていうとこ。

自分がどこにストックをしたのか忘れてしまっては、ただの落書きにしかならない。

 

 

 

また、絵が描けるようになる方法のもうひとつとして

体に覚えさせる

というのもある。

 

同じような対象を何度もなんども描いて、資料を見ずに描けるくらいに、体と頭に叩き込んでいくのだ。

漫画のキャラクターの描き方なんてまさにこれ。

 

 

 

手塚治虫が漫画のデフォルメを切り開いたと言われている。

体に比べて頭が大きいキャラクターは彼が漫画に取り入れたのだとか、いないのだとか、

映画評論家の町山智浩さんにいわせれば、その影響が今の漫画には受け継がれているんだって。

そんなこと知ったこっちゃねえよ。

 

でも、何かキャラクターを描く場合には、

まずは似たようなキャラクターの模写から始まり、

それから自分のキャラクターを作り上げていくことになる。

浦沢直樹の「ビリー・ザ・バット」の1巻(しかよんだことないけど)に描いてあったね!

 

繰り返し、同じようなイラストを描くことによって、何も見なくとも、キャラクターが描けるようになってくるわけだ。

頭のよくない僕がやっていることだ。

カラートーンってどういう風に使うのが効果的なんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

よくいえばゴーイング・マイ・ウェイ

 

僕は絵の描き方なんて学んでこなかった。

「かくあるべき!」みたいな方法に囚われたくはなかったからだ。

それにそんな絶対的な絵の描き方なんて存在しないのだ。

絵の描き方は千差万別。好きに描けばいい。

そこからオリジナリティが生まれると僕は考えている。

 

 

我流で学ぶぶん、歩みが遅く、場合によっては回り道になってしまうこともあるだろう。

それでも8年、絵を描いてきているのだ。

その間には、絵を描くこと以外をした時間も含まれている。

世界中を旅をしながら描いた約三年間だってある。

そういった肉体的な期間も含めて僕の絵を描くスタイルというのは成り立っている。

 

 

 

いろんなスタンスで絵を描いてきたけれど、

今が一番、絵と向き合えていることは間違いない。

毎日が自問自答、試行錯誤の繰り返しだ。

 

 

 

 

「これは一体どういうことだろうか?

どうしたらもっとうまく描けるだろうか?」

 

 

そういつも考えている。

 

もう自分のスペックもわかったし、限られた時間の中で、僕は絵を描くことに時間を費やしたい。誰から蔑まれようとも。

ここまで正規ルート(とされているもの)から逸れてしまったのだったら、つきぬけるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

「シュバッ!」

バシッ!!!」っと

絵が描けるようになる。

 

 

これが僕の目標だ。

 

 

 

じゃあ、なんでブログなんて書いてんの?ってわけだけど、

文章を書くのも好きだからさ。そりゃ。

これも一種の創作活動だからね。

 

そして発信していかないと、誰にも伝わらないからね。

そんなわけで、今日も描(書)くのさ。

 

現在は4月27日から30日の四日間、三井住友ホールで開催される世界一周学校文化祭のサポーターさんたちの似顔絵をガッツリ描いている。

バスキングから始めてから、一体何人の人の似顔絵を描いただろう?

それでも描き続けることによって、「あれ?おれ、また上手くなったかも!」というポイントがくるのだ。

絵を描いていて嬉しいことのひとつ。

 

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