▷超早起きの話

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久しぶりに

イラストや漫画の作品以外に(現在はインドガイドブックなるものを製作している)

エッセイ的なものを書いてみようと思った。

まあいつもの気まぐれみたいなものだ。

 

 

というのも、数日前から僕は

朝4時前に起きて作業するというのにハマってしまったからだ

1日がすごく長く感じられる。

 

 

サイクルはこうだ。

前日の夜8時だか10時には眠ってしまい、八時間くらいしてからむくりと起床する。

誰もが寝静まったこの時間だ。そんな時間に僕は机へと向かうのだ。

外からは鈴虫の音が聞こえ、窓からは涼しい風が入ってくる。

それ以外にもの音はほとんど聞こえない。時々車の走行音が聞こえてくるくらいだ。

 

 

いつもだったら重い腰をあげるのに時間がかかる場合がままあるのだが、

この太陽のまだ登らない涼しい時間帯に目を覚ますと、意識が「しーーーん…」と静まっているのがわかる。頭の中には余計な考えが一切浮かんでいない。睡眠によってリセットされているからだ。

そのようにして静まった心をもって、自分の作品に気持ちをすみやかに向けることができわけだ。

目覚めたばかりなので意識も散漫になってない。下手にYouTubeを見たりすることもない。

そうして机に向かった僕は、夏がようやく折り返し地点を過ぎたことを嬉しく感じながら、ミルクコーヒーを机の脇に置いて液晶タブレットの上にペンを走らせる。

 

この夏は思うように作業ペースをつかめなくて苦労したけれど、

この「早朝作業」が今の僕にとって一番ベストなように思えた。

自分でも驚くほどの高い集中力を発揮することができるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

この「超早起き」のメリットは

夜型と朝方の両方の性質を兼ね備えているところだろう

夜に集中できるあの感覚も朝4時に起きれば味わえるし、余裕綽々で朝日を迎えることができる。そこには自分の不摂生に対する罪悪感なんて微塵も存在しない。「オールしちまったな…」なんて自己嫌悪に陥る必要なんてさらさらないのだ。

また、今の時間だったら生きていることが嬉しくなるような朝日を拝むこともできる

5時前に空がぼんやりと明るくなり始め、5時半には少しひんやりした空気の中で清涼感のある光を放つ太陽の姿を見ることができる。夏を折り返した5時の朝日がどれだけ美しいか、僕は色んな人にオススメしたいくらいだ。

 

 

 

 

そして超早起きの一番のメリットは心理的な余裕だ。

それまでだったら集中するまでに時間を要し、時には思うように作業にノれず「ああ、もうこんな時間か…」なんて、相乗効果的にやる気を損なってしまうこともあった。やる気を失う負のスパイラルだ。

だが朝4時から作業することによってその考えはほとんど感じない。

早起きしたという時点で、その日を「うまくやってる」というポジティブな気持ちでスタートさせることができるからだ。

 

ああなんて素晴らしいんだ早朝起き!

朝4時に起きて作業するだなんて村上春樹くらいしかできないと思っていたよ!

いや、うちの親父も今でもやってるよ!すげえよ!親父!

 

 

 

 

 

 

だが、早朝作業にもデメリットのようなものがある。

 

 

夕方を過ぎた頃から一気に眠気が襲ってくるということだ。

 

それはきっと高密度の集中をしたことによって、

エネルギーが一気に消費されてしまうからなのではないかと僕は考えている。

 

そうなってくると、集中力が途切れてしまった頃にはもう何もする気が起きなくなってしまう。

僕としてはまだまだ作品作りに時間がかかる。できるだけ起きている時間を作業に当てたいとは思うのだがそうもいかない。

無理して作業しても別の日でまったく描く気が起きないという状況がおきてしまう。

一番いいのは毎日書き続けることのできるバランスなのだ。無理をしたって全然いいことはない。そんな「寝る暇を惜しんで書き続ける」なんて鉄人には僕はなれない。なぜなら僕は後天的に絵を描くというスキルを身につけていった人間だからだ。

そういう「トータルで作業できるバランス感覚」を鍛え、平均値のパフォーマンスをできるだけ高く保っておくことがポイントだ。

究極な理想としては「1日4時間の超高いパフォーマンス」だけどね。

さっきも言ったように、絵を描くとなるとそうは言ってらんないんだけども。

 

 

 

 

話はそれるけれど、

何かを創る上で二つスタイルがあると僕は考える。

それは不可分ではなく、境界線も曖昧では時にはどちらかに針が振れたり戻ったりする場合だってある。

その創作にまつわるスタイルとは

短時間で効率的な生産性を生み出すことのできるスタイルもあれば、

ただただ時間をかけて作品を作るスタイルもあるということだ

 

黙々と時間を注いで作るものと書いてイメージするのは「絵」だ。特に絵画。

一枚の絵に100時間以上をかけるアーティストだっている。一枚にそこまで時間をかけたからこそ、彼らの作った作品は心を動かすし、それに見合ったお金も生まれる。

僕はそこまで一枚の絵に向かうことができないので、漫画を描いている。

だが、その漫画やイラストでさえ、短時間で作れるものではない。

 

漫画のアシスタント制のように作業を分業化することによって一人の負担を減らすことはできるが、いいものを作ろうと思えば時間がかかってしまう。

デジタルで漫画を編集することができるようになったり、漫画を描くツールそのものが進化したとはいえ、

できることが増えていけば増えていくほど、新しいことを試したくなってしまうのが作り手の心理というものだ。

だって、そりゃ同じことばっかり繰り返してたら飽きちまうからさ。

 

いずれにせよ絵を描く人間ってのは、

あれこれ考えちまうもんなんだよきっと。

 


 

 

 

久しぶりにこんなつらつらと文章を書いてみて、

久しぶりすぎて思うように頭から文章がうまれないように感じた。やっぱりこれも練習なんだね。

別にエッセイ形式のブログは遊びみたいなものだから気の向いた時しかやらないけどさ。

 

 

さて、今日もまた1日が始まる。

きっと夕方すぎた頃には頭がヘロヘロになってしまって、

しまいにはもう1ミリも手が動かなくなってしまったように感じるのだろう。

ほんのちょっと作業に向かってみて、それでもダメなようなら、諦めてグダグダするようにしている。

この「何もしない」時間が明日の集中力を作るからだ。

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