それは
なんの前触れもなく
やってくる。
それまではしっかりと描けていたはずなんだけれど、
何かの拍子に、とたんに描けなくなってしまう。
そんな状態が時々やってくる。
その状態はクリエイターの間では「アートブロック」や「ライターズブロック」と呼ばれ、
僕も絵を描き始めてから幾度となくこの状態に陥ってきました。
もうあまりにもアートブロックを患いすぎて、「また来たか」と思えるぐらいに。
対処法もいくつか知っているし、「絵の描けない無気力状態」がいつまでも続かないともわかっているのだが、
実際にアートブロックに陥ると
相当キツいのです。
どんなに絵の上手い人間でも、
同じような無気力状態に陥ってしまうことがあるみたいです。
それを知って僕はいくらか安心したのだけれど、
これって、もしかして一種の鬱状態なんじゃないの?って思ってしまいました。
いやー、なんでこうなっちゃったのかなぁ?
予兆としては
作業にピッタシの音楽を探してて、SoundCloudで1時間探したあげく全然しっくりくるのが見つけられずに時間を無駄に過ごしてしまい、「無数にある音楽と一緒で自分の作品も誰からも見つけてもらえないようなそんなもんなのかー…」って作品を届ける難しさを改めて痛感したあたりですかねえ?(←これだろ!)
何もする気が起きないから、とりあえずベッドの上でウダウダとしている。
SNSなんか見れない。
動けないゆえの自己嫌悪。
ああ、一体おれは何をやっているんだ…???
何もする気が起きない。
これって、「躁鬱病」を公言している坂口恭平さんもこんな感じなのかな?
と思ったり。
この無気力状態の時、僕はとりあえず映画を観ることにしています。
考え方によっては、もしかしたらこれは「映画を観る状態」だとも思えるくらいにずっと映画を観る。
この二日間で観た映画の本数は6本。
一日3本だとしてもトータルで約12時間分。
ということは、一日の4分の1は映画に費やしているってことになります。おお。マジすげえ。
映画を観るのはご存知「Amazonプライム」。
年間費3980円なんだから、元を取っていることは間違い無いでしょう。
今回観た映画は以下の6つ。
ネタバレにならない程度に、僕なりの感想を描いていきたいと思います。
もしAmazonプライムの会員だったら、観てみるのもいいかもね。
それでは、ざっくり映画レビュー的ななにかを
今からつらつら書いていきたいと思います。
気になったら観てみてね!
映画レビュー1本目:「ブルーに生まれついて」
ジャズトランペッター、チェット・ベイカーが麻薬中毒者のどん底から再び表舞台に復帰するまでを描いた映画。
レビューを見る限り、この映画を評価はふたつに分かれるみたいです。
ひとつは「イーサン・ホーク最高!渋い!面白い!」というもの。
もうひとつは「事実に基づいてない!チェット・ベイカーはもっとダメ人間だ!この映画は盛りすぎだ!」
というもの。
僕としては純粋に楽しめたし、そもそも映画って作り話だし、完全に事実に基づいていなくてもいいと思いました。
物語の流れをよくしたり、話の整合性をとるためには、いくらか脚色を加えてもぜんぜんオッケーだとも思います。
むしろ、フィクションとリアルの境界線がごっちゃになる方が上手い話の作り方なんじゃないかな?
とりあえず、実物よりも”クリーン”だとはいえ、この映画でもチェット・ベイカーはダメダメな人間。
落ち込んでる時に見ると、「ああそうか。かのチェット・ベイカーでさえ、こんなにダメダメだったんだから、僕の描けない状態なんてまだマシな方だよな」と思わせてくれました。
いや、どん底にいる時に自分を支えてくれるパートナーがいるって、ベイカーさん、そりゃ贅沢ですよ!
ジャズ好きな人にはオススメ。
チェットベイカーは歌も上手です。作中でイーサン・ホークが本当に歌ってるみたいです。
映画レビュー2本目:「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
AmazonプライムでCMが入ったのでついつい気になって見てしまった映画。
ミシェル・ウィリアムズの嗚咽シーンが説得力があって、どんな映画なんだろう?って観てみました。
ミシェル・ウィリアムズは「ブルー・バレンタイン」にも出ていましたね。
美人なのに幸せになれない女のひとを演じるのが上手いのかもしれません。
ちなみに「ブルー・バレンタイン」はこんな映画。
「ラ・ラ・ランド」で主演だったライアン・ゴズリングが出てます。この映画での彼のダメっぷりはんぱねえです。
ちなみにこの映画でライアン・ゴズリングはダメ夫になりきるためにあえて前髪を薄くしたのだとか。剃ったー…、とかじゃないよね。
とりあえず、役作りの根性すごいなーと思って観てました。
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さて、この「マンチェスター・バイ・ザ・シー」なのですが、
映画としては盛り上がりに欠けます。起承転結のメリハリなんてほとんどありません。渋めの映画とか好きじゃないと「なんだこれ?全然面白くねーじゃん!」って思うことでしょう。
ジャンルとしてはヒューマンドラマですね。先ほど紹介した「ブルーに生まれついて」と同じくらいにダメダメな人たちが出てくる映画です。
観るとちょっと落ち込むかも。
ここで登場するダメダメな人間というのは、
決して自堕落的な人間のことではなく、
どうしてもうまくやることのできない人たちのこと。
そう僕みたいな。
人生において取り返しのつかなくなってしまったことをしてしまったり、
何かショックなことがあって立ち直ることができなくなってしまったり、
どうしても過去の何かが許せなかったり、
何かに囚われていつまでも同じ場所をぐるぐるしているだけだったり。
物事のぜんぶがぜんぶハッピーエンドじゃない。
「生きるのって難しいなあ…」
思わずそう思ってしまうような、そんな映画です。
観終わったあとに考えちゃう映画ですね。
映画レビュ−3本目:「アポカリプト」
トレイラーの画質悪いや。
この映画をシンプルに言い表すならまさに
「リアルおにごっこ」。
マヤ文明後期のお話で、生贄にされそうになった主人公が必死になって逃げるお話です。
え〜っと、特に勉強もしていないので史実だとか、深いことを論じることはできないのですが、
ハラハラドキドキのアクションあり、残虐シーンありの
ビジュアルでもフツーに楽しめる映画ですね。
ただー、
観た後に思ったことは、
文明が発展するある一定の時期までは人を殺すことをなんとも思わない、そんな残虐行為が日常的に行われていた時代があったんだなってこと。
日本でも日照りの時とかに人柱を立てて神様のご機嫌をとるとか、そういう風習があったわけじゃないですか。
そういう時は、きっと同調せざる得ないんだろな。
「自分は貧乏くじをひきませんように!」って肩をすくめて、誰かにとばっちりがいくのを祈っているような、
まあー、そんな人間だと思います。僕は。
ミスチルのHEROっていう曲でも冒頭でそんなことが歌われてますね。
人はね、そんな強くはないんだよ。
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映画レビュー4本目:「マギーズ・プラン」
内省的だったり、ダイナミックだったりで疲れてしまったので、次にみたのは
えーっと、ラブコメ?なのかな?
扱うテーマとしては「体外受精」だとか、「一夫多妻制」だとか、「家族論」だとか、まあ論じるところはあるかとは思いますが、
僕がこの映画を観てみようと思ったのはひとえに
小説家が出てくるから。
それにつきます。
小説家っていいですよね。憧れます。
僕なんかは絶対、学がないのでなれっこないとは思うのですが、
机に向かってタイプライターやキーボードを叩く姿を見ていると、
自分も「何か作らなきゃ!」って気分にさせてくれるからです。
僕は映画に出てくるいろんな小説家が執筆するシーンを見て来ましたが、
今のところ「オン・ザ・ロード」の最後のシーンを超える執筆シーンにお目にかかったことがありません。
さて、こちらの映画に出てくる小説家は、まあー、ダメダメな人間ですよ。
あっちにフラフラこっちにフラフラ。挙げ句の果てには逆ギレっていうね。
道場の余地もないんだけれど、ニクめない文化人類学者兼小説家。
設定は面白んだけどなー、なんかそこまで活きてないんじゃないの?この設定って感じです。
けれど、
思うように小説が描けず、家庭もうまくやることができていないジョンを見ていると、
「もし自分が同じようなシチュエーションにいたとしたらうまくやることができるのだろうか?」
ってことでした。
子供やパートナーのケアはもちろんのこと、自分の作品も作らなくちゃいけない。
どちらかをないがしろにすれば家庭は破綻してしまう。
や、僕もきっとジョンみたいに自分の作品につきっきりになっちゃうんだろうな。
「結婚生活もあれこれ大変なんですよね。想像に難くないです」
そんな映画でした。
映画レビュー5本目:「ゲットアウト」
映画の前半と後半では描かれていることが違うとレビューされております。
公開時は色々と話題になったので、「それならば!」と観てみた作品です。
前半部はアメリカにおけるアフリカ系黒人への人種差別が描かれています。
主人公はカメラマンで洒落た部屋に住んでいてけっこう稼ぎもありそうなんですけど、
白人の彼女の実家へ挨拶へ行くこととなり、居心地の悪さをたびたび感じてしまいます。
「うう…、早く家に帰りたい」ってなあれです。日本にいてもこういうシチュエーションはたびたびあるかと思います。僕はしょっちゅうありますよ!
アメリカでアフリカ系黒人として生きるってことは、
それだけで現代的にいくらかのディスアドバンテージになったりもするのでしょうが、
日本人の僕が完全に理解することはできないんだと思います。
以前僕が度々聞いていた宇多丸師匠の映画レビューにおいて
「気遣っているようで逆に差別してしまっているような状況」を「ゲットアウトされる(する)」といってしました。
対等な目線でコミュニケーションを図るてのは難しいんだと思います。
いつだったか旅先で「インド人とは真の意味で友達にはなれない」と誰かが言っていたのを思い出しました。
きっと生活環境も限りなく自分と同じじゃないと話が合わないってことなのかなぁー…?
後半のサイコスリルな展開となっておりますが、まあ予測できたかな?
大学時代は臓物が飛び散るスプラッター物の映画をよく観ていたので、耐性はついていました。
最後まで見終わった後、「え?この説明であのシチュエーション解決できる?」ってのがいくつかありましたね。
話作りにおいて、ひろげた風呂敷をキレイにたたむのも難しいですよね。
あの夜中の全力疾走シーン、なんだったんだろ?
映画レビュー6本目:「リトルフォレスト(夏・秋)」
こちらは漫画原作の作品となっております。
原作は五十嵐大介さんの「リトル・フォレスト」。
読んだことはないのですが、これはあれです!
映画が原作を超えたパターンの作品です。
観てもがっかりしないやつ!
映像が綺麗なことは言うまでもなく、
主演の橋本愛をずーーーーっと観てられるのもいい。
っていうか、作中のお料理テクニックだったり、野菜を育てるための知識、生活の知恵など、情報量がハンパないです。
これを作った五十嵐大介さんも一年くらい自給自足の生活を送っていたと聞きます。
作者の経験が活きてる作品だからこそ、説得力があるんですよね。
この作品を見ていると、映像の美しさから思わず「田舎暮らしをやってみたい!」と憧れてしまいます。
いつかは僕もやってみたい。
この映画を観る前から、オフグリッドな暮らしてみることにはチャレンジしたいという欲求がありました。
けれど、岩手県の集落「小森」に暮らす主人子、いち子は一日中、畑仕事をしていたり、食事を作ったり、生きるための時間を淡々と過ごしています。
そこには余剰時間というものがほとんどないようにさえ思えます。
彼女のように田舎で暮らすということは、ほとんどの時間を生きるための時間に使うってことなんだって、そう思いました。
ですが、悠々自適にスローライフを満喫して要るようないち子でさえ、ずっとここで暮らしていくかには迷いがあるようです。
作中にトマトを育てるためのビニールハウスを購入するか迷うシーンがあるんですけど、
「もし、ビニールハウスを買ってしまったら、ここから離れられなくなってしまう気がして、先延ばしにしている」
というシーンが出てきます。
この気持ちはすっごくわかります。
何かに深くコミットすると言うことは、そこにいくらかでも根を伸ばすと言うこと。
根を張ると、自由には動けなくなる。
一箇所に留まるためには覚悟も要るんですよね。
僕はまだその覚悟を持つことはできていません。
だって、他の場所も知らないし、行ってみたい場所もまだまだたくさんあるから。
「リトル・フォレスト」はすっごくいい映画でしたね。
冬・春版もあるので、早く観ないと!
あとがき
さらっと書くつもりが、長くなっちゃったな。
映画をひたすら観た二日間もこんな風に自分の言葉にすれば、いくらか記憶にも残るってもんです。
描いてはいなかったけど、
その時間は決して無駄ではない。
もしかしたら、心のどこかから発せられる
「そんなずっと絵ばっかり描いていないでさ、
たまにはインプットしようよ」
というシグナルなの、かもしれません。
前向き、ポジティブに状態をとらえ、
そして再び走り出す。
毎日がその繰り返し。
いきなりトップギアまで持って行くのはできないので、
今日はリハビリ感覚でゆるゆるお絵描きしております。
現在製作中の「坂の上のシムラ編」をお楽しみに!
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