友達のゲンタ
が働く原宿の明治通りにある輸入服をメインに扱う店
“RAWDRIP2nd”
の移店パーティで似顔絵を描いてきた。
お店は明治通りの拡張工事に伴い移店することになったようだ。
新しい店舗の場所はまだ決まっていないが、またどこかで新しく店を始めるらしい。
店の移転パーティは11時から始まっており、僕は15時に店を訪れた。
店の入り口にはA4のフライヤーがさりげなく貼っているだけで、大々的に告知はしていないみたいだった。建物の二階にある店なので、外から見るといつもと変わらないように思えるが店内は違っていた。
商品もいつも通りに陳列されているが、店内にはコーヒーとDJブースが既に出ていた。まるでホームパーティみたいだった。
僕は店内の一角で似顔絵を描くことになった。
コーヒーをすすりながら僕はゆるゆると似顔絵を描き始めた。
最初はアップがてら隣でDJをしていた人の似顔絵から描き始め(チラ見しながら描いていたから、途中で他の人と混ざった似顔絵になってしまった)
それからはゲンタがお客さんに勧めてくれるおかげでオーダーは途絶えなかった。ぶっ通しで似顔絵を描いていたと思う。
レスポンスは好調だった。
僕はべつに自分のことを本職の似顔絵屋だと思っていないので好きなように絵を描いている。
しっかりとした色紙でもなければ紙も白じゃない(ブラウン)。おまけに筆ペンで描いて、着色はポスカなどを使ってる。顔だけじゃなくて体全体を描くことによってその人の雰囲気に似せていくのが僕のスタイルだ。
プロの似顔絵師の人たちが書くような、フルカラーで顔の特徴をビシっと捉えた似顔絵を描くことはしない。
つまり僕の似顔絵は「王道」ではなく「邪道」だ。
それがプラスに作用することも多い。
拙い似顔絵でも割と喜んでくれるし、レスポンスもいい。
中には「LINEのプロフォール画像に使います!」なんて人もいる。
その時には『え?これでいいのかな?』と思ったりもしなくもない。
店は始終賑やかだった。
音楽が鳴り響き、酒が酌み交わされ、冗談を言い合い、笑い声が聞こえた。
商品を見る人に対して接客する姿もあった。
そして誰か一人の客が帰る際には、まるで友達に「バイバイ」とでも言うようにフランクに「ありがとうございました!」と声がかかった。
店から出て行く人の顔がほころぶのが見えた。
『あぁ、パーティってこういう感じだよな』
と僕は思った。
そのアットホームな雰囲気がもとからそこにあったように思えたが、
よく考えてみたら当然そんなことはない。
このパーティはゲンタたちが作ってきた”RAW DRIP 2nd”という店を通して人々と触れ合い、そして「店員と客」以上の関係性を築いてきたからこそできたパーティなのだ。
店にやってくる人全てが店員の誰かの友達のようだった。
隣でコーヒーを出しているお兄さんは、元々はお客さんだった。店員さんの一人とルームシェアまでした仲なのだと僕に話してくれた。まるで映画みたいな話だ。「東京にやって来た二人の男が、店を通して出会い、共同生活を始める」。それだけでなにかストーリーができるような気がする。
DJをしている方もお客さんとしてこの店に来たのがきっかけだった。
中には10年近く店に足を運んでくれる人もいた。
そういう人たちと僕は話し、似顔絵を描いていった。
もともとはゲンタたちとお客さんの間には何もなかった。まったくの他人だ。
最初はお互いのことなんて知るわけもない「店員とたまたまそこを訪れた客」の関係。
そこからゲンタたちは自分の好きな「服」というものを通して、店を訪れる人と少しずつ親密な関係性を築いてきたのだ。
いや、僕たちの暮らしている社会なんてそんなものなのかもしれない。
東京には大勢の人がいるのにそのほとんどは他人だ。お互いのことなんて何一つとして知らないし、知ろうともしない。
それが普通だし、時には孤独感を感じることもある。一体この世界にはどれだけの人がいて、一生の間にどれだけの人たちと関ることができるのだろうと考えたこともある。自分の身の回りにはたくさんの人たちがいるけど、それら全ての人々と知り合うことは到底できないのだ。
きっと僕たちは接点を持たないだけで、もしかしたら趣味や気の合うヤツがいたり、助け合えたり、友達や恋人、家族といった関係性になれたりするのかもしれない。
見た目は強面でも、案外お花が好きだったりするのかもしれない。よくあるベタなギャップのあるキャラクターだ。そんなステレオタイプな人もいるのかもしれない。
出会えていないだけで、一生の続く関係になれる「誰か」がどこかにいるのかもしれない。
人と関り合いの集体が僕たちの生きる社会をつくっている。
かぼそい繊維が糸になり、幾重にも重なって服を作るように。
縦と横方向に交わって生地を成すが、その中には交わらない糸もある。
一本一本の糸をたどれば服というものがどれだけ多くの糸で形成されているかがわかるだろう。
今回のパーティはまさにそうした人々の織りなすドラマから生まれたものだったのだ。
「服」をきっかけに繋がった人たちが生み出すドラマだ。
服を売って金を得ることは単純に言えば生きるための手段のひとつだ。
もちろんそれだけじゃない。店員と客との間には服を通して様々なものが交換されたのだ。
新しい服を手にした誰かは、それからの自分の生活の一部に手にした服を加えていく。
「店は人だ」とゲンタはいう。
僕もそうだと思う。
いくら高価で高品質な服を買っても、それが味気ない場所だったりしたら、その服は単なる物に成り下がってしまうような気がする。量販店で買う礼服なんてそうじゃないだろうか?あれは単なる服にしか過ぎない。きっとそういう店は「機能」としての服を売っているのだろう。
だけど、服とはそれだけじゃないのは確かだ。
服にはストーリーがある。どういう場所で、どんなメーカーが作ったのか。そして誰がこの服を売ってくれたか。
服がなくても僕たちは生きられる。それでも新しい服が欲しくなるのは、自分の人生を服を通して楽しみたいからだ。
自分をワクワクさせてくれる店、気持ちよく服を手に入れられる店があったら、そこへ足が向かうのは自然のことだろう。
タバコを吸いにゲンタと外に出ると、雨は上がり独特の湿気を肌に感じた。
「あ〜〜〜..、ちょっと寂しくなるな」とゲンタはボソッといった。
夜10時過ぎの明治通りはシャッターを閉めた店が多かったが、”RAWDRIP2nd”の明かりはついたままだった。
先ほど、パーティの終わりに店員たちがひとことずつ喋った。
口下手で恥ずかしさをごまかすようにお互いを茶化しあっていたが、心の底では自分たちが作ってきた店が閉じること対して感慨に浸っていたのかもしれない。
このパーティは自分たちの作った店が役目を終える節目でもあったのだ。
またどこかで、彼らは新しい店を始めるのだろう。
新しい船出だ。
ここにやって来た人たちは必ずまた次の店にも足を運んでくれることだろう。
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