世界一周667日目(4/27)
カールには
車でヒッチハイクの場所まで送ってもらった。
ハイウェイは渋滞にしたため、僕たちは一般道で向かったのだが、
朝のシカゴは交通量も多く、信号待ちで地味に足止めを喰らった。
カールは少し眠たそうだった。
会話も弾まず、カセットデッキでiPhoneの音楽を聴ける機械を通して、
カールのお気に入りの曲を聴いた。
40分ほどでヒッチハイクの場所に到着した。
僕はこの二日間のことに対して改めて礼を言い、カールと別れた。
また路上の日々が始まるのだ。
今度はアメリカ西部にある
“Denver”(デンバー)という街を目指そうと思っている。
サル・パラダイスがディーン・モリアーティに会いに向かった場所だ。
僕の向かう方角は西のはずだが、
今僕は北行きのハイウェイのジャンクション前に立っていた。
それはなぜか?
冗談ではなく、
シカゴには本当に
ギャング
がいるらしい。
前日の僕のヒッチハイクの計画は、
そのまま西にあるアイオワ州の州都であるアイオワ・シティーを
目指そうとしていた。
だが、アイオワ・シティへと続くハイウェイ付近は
治安があまりよくないとのことだった。
バスの値段も調べてみたのだが、なんと40ドルもするのだ。
僕が払えるのは20ドルくらいまでだ。
そのことをカールに言うと
「シミのセーフトラベルの方が大事だから」
と半額を払いそうな勢いだった。
さすがにここまでよくしてもらって、
その上さらにバス代を折半してもらうわけにはいかない。
調べたところによると、シカゴから北部へはヒッチハイクで
簡単に行くことができるそうだ。
北部であれば治安も大丈夫らしい。
目指すはミルウォーキー。
カールの彼女が住んでいた町らしい。
「あそこなら大丈夫だ」
そうカールは言った。
30分で最初の車が捕まった。
ドライバーのティムさんは消防士だった。
週の半分を24時間のフル・シフトで働き、
残りは休みという特殊な働き方をする人だった。
娘さんが二人いるらしい。
大学に通わせるのにはお金がかかるね、とティムさんが言った。
大学に行くのに金がかかるのは日本も同じなんだなぁと
僕はティムさんから分けてもらったコーヒーをすすりながら
そんなことを考えた。
ティムさんにはミルウォーキーの半分ほどの距離に位置する場所で
降ろしてもらった。
僕はティムさんに別れを告げて
いつものようにハイウェイの入り口へと向かったのだが、
そこはあまりにも交通量の少ない場所だった。
20分ほど親指を立ててみて
僕はその場所がヒッチハイクに適していないことを悟り、
場所を変えることにした。
次のヒッチハイクポイントと思われる場所は、
果たしてヒッチハイクが可能かどうかは分からなかった。
いつも利用しているハイウェイよりも少し規模は小さくなるのだが、
マップアプリを確認するとハイウェイと書かれている。
果たしてここでヒッチハイクをしてもいいのだろうか?
もちろんどこの州も
ハイウェイ内でヒッチハイクをすることは禁じている。
僕はそのグレーゾーンに向かって歩き始めた。
郊外のアメリカの町を歩いてみて感じたことは、
どこの国も都市の外はほとんど変わらないのではないか?
ということだった。
生活水準は変わるかもしれないが、人口の規模だったり、
生活に必要な物が手に入るマーケットがあったりと、
根本的には変わらないように僕には思えた。
たとえGDPが世界一位に輝いていたとしても、
ここに住む人たちにとってはあまり関係ない様な気がする。
郊外ではみんな慎ましく暮らしているのだろう。
2kmほどを歩き、僕はハイウェイと呼ばれる道路に出た。
そこは確かに道路の幅が狭く、片側二車線ほどしかない道路だったが、
車はスピードを出して走り抜けて行った。
僕はひとまず右側車線へと渡り、
ハイウェイ沿いの小さなレストランの前の芝生に座って、
バックパックから食パンとジャムを取り出すと、簡単な食事をとった。
13時
になると僕はヒッチハイクを開始した。
パトカーを見かけたが注意されることはなかった。
どうやらここは本当にグレーゾーンらしい。
開始から10分ほどでトラックが止まった。
自分でもこんなにうまくいくとは信じられなかった。
「お前さん、ラッキーだな。
こんなところでヒッチハイクしてても、
ミルウォーキー行きなんて止まらないぜ?」
と言うドライバーのエドワルドさんは
金色の前歯を持ったメキシコからの移民だった。
僕はメキシコには非常に興味を持っている。
「いやぁ~!タコス美味いっすよね~!」
という導入から始まり、
まくしたてるようにエドワルドさんとはトークをした。
僕が時折バスキング(路上演奏)をするのだと言うと、
エドワルドさんは「どうして金を稼ぐのだ?」と僕に質問を投げかけて来た。
旅の資金が残り僅かの僕にとって少しでもお金が欲しいところだが、
バスキングをする理由はそれだけではない。
単純に外で思いっきり唄うことは楽しいし、
それでお金という形でレスポンスが入るのであれば嬉しい。
リスナーが何も感じなければ、僕の唄はBGMにさえもならない。
路上でパフォーマンスをしてお金を稼ぐ「バスキング」という文化は
程度の然こそあれどこの国にも存在するし、
そんな明確な理由を持っていなくてもいいように思える。
バスキングを生活の糧にする人もいれば、
気楽に音を鳴らすヤツもいる。まぁ僕なんかがそうだろう。
タコスの話をしたせいか、
エドワルドさんは僕がタコス好きだと思ったようだった。
ミルウォーキーの町に着くと、
僕にタコスとダイエット・コーラをごちそうしてくれた。
「町で一番のタコス屋」
だというケータリングのトラックの販売するタコスは確かに美味しかった。
こんな美味しい物がメキシコにあると分かっただけでも、
メキシコには訪れる価値があるのだと思う。
ミルウォーキーの町に思ったよりも早く着いてしまった僕は
そのままヒッチハイクを続けることに決めた。
ミルォーキーの町にはメキシコ人が住む地区のような物があり、
その一部を見たせいもあり、どこか治安が悪そうに思えたのだ。
今は連日キャンプをしているが、
もちろんメキシコでは宿を取るつもりだ。
楽しみにしているけど
治安は気をつけていなければならないポイントだろう。
大きな橋
を渡り、
僕はハイウェイの入り口でカード・ボードを掲げた。
行き先は少し離れた「Madison(マディソン)」という町だ。
今度はなかなか車は止まらなかった。
こうして色々な国でヒッチハイクをしている僕だが、
黒人の運転する車には一度しか乗ったことがない。それもカナダだ。
ヒッチハイクをしていると、
何台か黒人の運転する車を目にすることがあったのだが、
彼らの表情はアジア人の僕がここでヒッチハイクをしていることを
不思議がっているように思えた。
ヒッチハイクは白人の文化なのだと思う。
日本人だか中国人だか韓国人だか分からないが母親と息子、
アジア人二人が運転する車が止まって、僕は2ドルを頂いた。
旅を応援してくれたのだと思い、有り難く頂いておいた。
「Thank you so much」とお礼を言っても、
彼らは一言も言葉を発さなかった。
若いホームレスと思われているのだろうか?それもそれでウケるけど。
ヒッチハイク開始から一時間半が経過し、
『今日はここで野宿かもな..』と諦めかけた頃、
ようやく一台の車が止まってくれた。
大柄のデイヴィッドさんは
窮屈そうに運転席に収まっていた。
大半のアメリカ人は話し好きというのが
僕の勝手なイメージだったが、
ディヴィッドさんは口下手でゆっくりと喋った。
彼は盗まれた車を引き取りに行くために
ミルウォーキーを訪れたのだと言っていていた。
だが、話していくうちに、テンポというものが掴めて来たのか、
だんだんと話が弾むようになっていった。
「うちでは、ね、外国人の家政婦を雇うんだよ。
アジア人が英語の勉強がてらうちで働くことがあるんだけど、
韓国人はダメだね。彼らは韓国人同士でしか固まらないんだ。
以前うちで働いていた〇〇という女のコがいたんだけど、
彼女も韓国人同士でしかつるまなかった。
お見合いでアーミーで働いている在日韓国人と結婚したんだけど、
うん、あれは凄かったな。出会って二週間後に結婚だもんな。
そんでソイツが暴力を振るうヤツだったんだよ。
私は以前警察官でね。
もうこれは私の出番だとすぐさま仲裁に入ったよ。
私が警察官を終えたあとは
輸入車を売る仕事に就いたんだ。兄貴と一緒にね。
その仕事の中で日本人の研究者と会ったんだけど、
あ、この辺には分子衝突を実験する研究所があるんだけど、
そこで働いていたんだよ。彼は。
彼はどちらかと言えば一人で孤立するようなヤツだっただ。
あるクリスマスの日に私たち家族が彼を食事に招待したんだよ。
翌年も同じように彼を招待して、その時に鞄をプレゼントしたんだ。
つい最近新聞で彼の名前を見てね、
『あ!アイツじゃないか!』とメールを送ったんだ。
そしたらなんとアイツ、
私がプレゼトした鞄をまだ使ってると言うじゃないか!
驚きだよ!13年も前の話だよ?信じられるかい?
あぁ、家族のことだけど、私には二人の息子がいるんだ。
今ミッション系の学校で勉強しているよ。大学生と中学生。
だのに、長男のヤツと来たら無信仰もいいとろこで、
神様のことをあまり信じてないみたいなんだー…」
僕がデイヴィッドさんと出会った時は、
「この人ちゃんと喋れるのか?」と思ってしまうほど
おぼつかない喋り方をした。
それなのに、会話のキャッチボールが上手くなっていくと、
彼のエンジンがかかったみたいだ。
一方的に喋ってくれる人は場合によっては
酷くつまらない時もあれば、聞いていて面白い場合もある。
デイヴィッドさんの場合は僕が話を差し込む余地があったので、
こちらから質問を投げかけることができた。
母国語が英語と言えども、その話者によって聞き取りやすかったり、
「もう、何言っているか全然わかんね」と言う時もある。
デイヴィッドさんは僕にとって聞き取りやすい英語を話してくれた。
そうして僕は
マディソンへとやって来たのだ。
ディヴィッドさんはここを訪れるのが久しぶりのようで、
マディソン川を見た瞬間僕と同じ様なリアクションで驚いていた。
マディソンという町は大学生の町らしかった。
マディソン川沿いの芝生エリアでは
多くの学生たちが青春を満喫しているように思えた。
ランニングする女のコたちがいれば、
上半身裸でフリスビーを投げ合う男子がいる。
そんな青春メロドラマの舞台にでもなりそうな町が
マディソンだったのだ。
僕がミルウォーキーに感じた印象とは大分違う。
僕はディヴィッドさんに別れを告げて、
ひとまずダウンタウンへ行ってみることにした。
だが、時間も18時過ぎということもあり、
そこは人で賑わっているようには思えなかった。
見つけたアウトドアショップにふらりと立ち寄ったり、
売店でクッキーとコーヒーとバナナを買って
ここまで辿り着けたことをささやかに祝ったり、
もらいタバコのついでにベンチの向かいに座った人と
お喋りしたりして時間を過ごした。
大学の近くにはオリジナルのカフェやアパレル店や雑貨屋が
沢山立ち並んでいた。
貧乏旅をしている僕はどうしてもそれらに入ることがためらわれた。
そのままメインストリートを下って行くと、
ちょうどバスキングにいい場所を見つけた。
僕はそこでギターをかき鳴らした。
シカゴで買った足に取り付けるシンバルも試してみた。
夕方の時間帯で人の流れは多くはないのだが、
哀しいほどにレスポンスがなかった。
どこからともなく近くのアパレル店のお兄さんが
5ドル札を入れてくれたくらいだった。
オリジナルの8曲を唄うことを僕は
「1(ワン)クール」と呼んでいる。
なんだかアニメみたいだ。
1クールを終え、ギターを片付けていると、
ここで学生をしているショーナーという兄さんが声をかけてきてくれた。
彼もここでバスキングをしたことがあると話していたが、
レスポンスはかなり薄いとのことだった。
ショーナーとは少し喋ってFacebookのアカウントを教え合って別れた。
少し離れたところで他にもバスカーがいたが、
ギターケースには全くと言っていいほどコインが入っていなかった。
いい声で唄っていたが、学生はお金を持っていないということなのだろう。
24時までマクドナルドで作業をし、追い出されるようにして店を出た。
ヒッチハイクポイントまで9kmあったので、途中までの道のりを歩いた。
バックパッカーは「ハイカー」に近いのではないかと思う。
シティハイカーのトレイルはアスファルトだ。
7km歩いた場所で見つけた公園にテントを張った。
郊外は静かでいい♪
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最近はアメリカジャーナルです。
漫画も描いてるんですけどね。写真撮る良い場所がないんだ。
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