世界一周788日目(8/26)
時計を見ると11時。

外から音楽が聞こえる。
近くにバーかなんかあるのか?
隣りの欧米人が別のヤツと英語で話している。
外に出ていたテーブルふたつのうちひとつは
自分の部屋に運び込んでしまったので、
空いているテーブルは僕の部屋の前のひとつしかない。
だから話すとなるとそこのテーブルについている
ふたつの折りたたみ椅子に座って話すことになる。
なんだか外に出て行きにくい。
なんだか寝過ぎて目が腫れぼったいな。
そりゃそうだ。昨日寝たの22時とかだったもんな。
そうして僕はゆっくりと大きなベッドの上で上体を起こした。
ここはグアテマラ、サンペドロ・ラ・ラグーナ。
アティトラン湖が見える宿「サンフランシスコ」に
30ケツァール(461yen)で泊まっている。

外の欧米人二人がどこかに行ってしまったので、
バケット(箱)買いしてしまったマルボロ・オリジナルを一本吹かした。
宿の二階から見えるアティトラン湖が綺麗に見えた。
対岸に見える大きな山々にはうっすらと白い雲がかかっている。

パタゴニアのショート・パンツとサンダルといった格好で僕は外に出た。
朝ご飯とも昼食とも取れない食事を求めて
とりあえずメルカドまで行く。
朝からタコスなんて食べる気もしないので
(そもそも屋台が出ていない)、適当にバナナを買った。
フルーツの種類もそこまで多くはない。
野菜を摂らなければならないことは分かっているのだが、
調理する場所もない。まるかじりできるものならトマトくらいだろう。
キャベツみたいな葉の野菜はさすがに生で食べる気がしない。
シェラで会ったタカ君が言った
「まともに食事するとなると20(307yen)はかかりますね」
と言った意味が分かった気がする。
まともに食事するとなるとやはりレストランか食堂しかないだろう。
しっかりと作られたものはそのくらいの金額がする。
メキシコがいかに旅人にとって豊かだったかが身にしみて理解出来た。
そもそも屋台の種類が豊富だもんな。
メルカドでバナナを四本ほど買って宿に戻った。

自分の部屋に机を運び込んだのはいいが、
これといって作業する気にはなれない。
自分でも自分のことは分かっているのに、
その自分をうまく管理することができないのには困ったものだ。
僕のモチベーションは環境に左右されやすい。
何かやるにはそれなりの環境を作るか、もしくは期限に追われるか、
どこか作業しやすい場所に移動するしかない。
自然光が一方向からしか入らないこの部屋で作業をするためには、
マグカップに入ったコーヒーは不可欠だろうなと僕は思った。
言っておくけどここにはメキシコ全土にあったような
「oxxo(オクソ)みたいな」コンビニもない。
サクサクのように思われたWi-Fiは二日前に
ピタリと動かなくなってしまった。
僕が今泊まっている宿意外にも、宿が隣接しているので
Wi-Fiは流れて来るのだが、パスワードが分からない。
何も手につかないままベッドに横たわると、気づいたら寝ていた。
左の眼球を動かすとにぶく痛んだ。

17時
になって、屋台で夕食を済ませた。
あまり動いていないので、そこまで食べる必要もない。

宿の前にある小さなカフェに「Wi-Fi」のマークがあったので、
そこで10ケツァール(154yen)でコーヒーを注文し
Wi-Fiのパスワードを入手したのはいいが、
店内は作業には不向きで、30分もいないで僕は店を出た。
世の中の半分のカフェのテーブル(もしくは椅子)の高さが
極端に低かったり(高かったり)、座り心地が悪かったり、
照明が暗過ぎたりするのは、客が長居するのを防ぐためだろう。
それってどうなの?って思う。
僕みたいなあからさまに作業するヤツはごく少数として、
他の客はここに何しに来るのだろう?
コーヒーだけ飲みたいのであれば、
自分で良い豆を買って淹れた方が美味しいコーヒーを飲めるだろう。
僕は「カフェは空間も売りものにしている」と思う。
チェーン店は別として、お洒落でセンスのいいカフェだと、
居心地も抜群にいいのでまた足を運びたくなる。
「もう一杯コーヒーいかかですか?」
なんてフレンドリーに営業をかけられたら、
「それじゃあ..」という風に僕でももう一杯注文するだろう。
リフィル半額とかだったら絶対二杯目も注文するな。

宿の自分の部屋に戻ったのはいいが、
さっきのカフェのWi-Fiは残念ながらここまで流れてこなかった。
宿のWi-Fiも同じだ。ウンともスンとも言わない。
Wi-Fi事態は検知されているので、
ネットの通信料なんかを宿側が払っていないんだろう。
隣りの欧米人は帰って来るのが遅かったので、
僕は思う存分に自分の部屋でギターを弾きながら
大声で唄うことができた。それでいくらか気分はスッキリした。
テーブルで二日ぶりに絵を描くとペンタッチが少し鈍っていた。
どこかでまとまった時間を作らなければならないだろう。
そろそろキュレーション・サイトの「世界新聞」に
また漫画を寄稿する時期だと思う。
もしWi-Fiもネットもない世界を僕が旅していたとしたら、
大量の本を持って、そしてどこでも漫画を描いていたことだろう。
なんだかそっちの方が健全な気がする。
こんなしがない日々の泡のような文章が
何かの肥やしにはなってくれればいいのだけれど。

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