「歩いて国境を越える」

▷11月28日/チリ〜アルゼンチン

 

 

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部屋の外が騒がしい。もう起きる時間か。

そう思い二段ベッドの下を確認すると、マサトさんもマックもまだ毛布にくるまって寝ていた。どうやら部屋の外にいるのは他のツーリストらしい。
僕は深く眠りに落ちないように横向きになって目を閉じた。しばらく眠るとアラームが鳴り、マサトさんたちが身支度を始めたので、僕もそれに続いた。

 

 

これから僕たちはフェリーに乗って湖を渡り、歩いて国境を越える計画を立てていた。別に密入国とかそういう違法めいたことではなく、トレッキングのルートとして旅行者に開けているようだ。

 

 

 

 

フェリー乗り場まではバスで行くことになる。3000ペソ(¥519)ほど。8人乗りくらいのバンは予約でいっぱいになることもあるらしい。フェリー乗り場までは8kmもあるのだ。乗れなくなったら歩いていくしかないのか?

フェリーが港を離れる時刻は8:30なので、もし宿から歩かなければならなくなった場合、5:00くらいには出発しなければならない。

 

 

バンがフェリー乗り場に到着するまでどれくらいの距離なのか、僕は窓かあたりの景色を眺めていたが、乗り場まではゆうに8km以上あった。バンに乗って正解だ。幸い、歩いてフェリー乗り場を目指すツーリストの姿は見かけなかったのでホッとした。

 

 

 

 

フェリーはそれほど大きくない船で、バックパックは甲板の下にある荷室に詰め込まれた。中には全部で70席くらいのあった。

ハイシーズンにはフェリーやバスが満席で乗れなくなることもあるらしい。その場合は次の便までその場に留まらなければならない。宿代や食費がかさむだろう。今がパタゴニアを旅するのがいいタイミングのように思えた。

 

 

 

船が乗り場を離れしばらくすると、コーヒーとクッキーが配られた。コーヒーはミルクなしの砂糖がたっぷり入ったもので、マックは「砂糖を入れたコーヒーは飲まないんだ」と言って僕に飲みかけのカップをよこすと、本を持ってデッキへと上がっていった。

マサトさんはアタカママラソンでチームメイトからもらったというビジネス書みたいなのを読んでいた。軽量化と称して読んだページはごっそりと破り捨てて来ていたので、マサトさんの手にあるのは最後の十数ページくらいだけだった。気になる箇所はiPhoneにメモをしていた。マサトさんなりの読書術なのだろう。

 

 

 

 

 

一時間くらいして、僕はデッキへと上がってみることにした。

乗客の1/4くらいはその場にいたと思う。冷たい風が吹き付けまわりの人間はフードをすっぽりかぶっている。
湖面はエメラルドグリーンをして波打っていた。どうして水の色がこんなにも緑色になるのか分からない。

雲の隙間から太陽の光が差し込み湖面を照らした。キラキラとエメラルドグリーンの湖がゆらめく。

こういう美しい光景を目にした時、僕は思った。60ドルもする船代はこのためにあったのかもしれないと。

ケチケチした旅を続けてきた僕だが、今回は「機会」をとった。パタゴニアに、フィッツロイになど、今後二度と行くことができないかもしれない。行くなら今しかない。そう思ってマサトさんの誘いを受けここまでやって来た。交通費や宿泊費がそこそこにかかったけれど、それ以上の価値があると思う。この選択は間違いなんかじゃない。

 

 

 

『今僕がこの場所に立っている事実は、一体どれくらいの奇跡が重ならなければ起こらなかったのだろう?』

 

そう考える時もある。僕がここにいるのは、十代、二十代前半のうまくいかなかった挫折や失敗があってこそだ。あの時、人生をそこそこにうまく乗り切っていれば、僕はこの生き方を選ばなかっただろう。

幾度も感じた劣等感や挫折感は僕をここまで運んできてくれたのだ。

いつだって僕は「今」を生きている。

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11時にはフェリーは湖の対岸へと到着した。バックパックを背負うと僕たちはトレイルを歩き始めた。

歩き始めてすぐのところで湖を見を見下ろせる見晴らしのいい場所があった。マックは足を止めて「so beautiful!!」と感激の一言を漏らした。

 

 

チリ側のイミグレーションは船着場からすぐの所にあった。スタンプを押してもらい、出発しようとすると、カーキの制服を着た国境警備員が僕のギターを見て「一曲披露してくれよ」と声をかけてきた。

僕はいつもの”Stand by me”を一曲披露した。警備員は「音楽を理解するのに言葉はいらないよな」と気の利いたことを言った。

すぐ近くで聴いていた一人のチリ人が「Good luck!!!」と言って僕にスナックとカシューナッツの入ったジップロックをくれた。

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イミグレーションを出発すると、すぐに登り坂が始まった。

盗難に遭ったあと、荷物が大分減ったとは言え、今回は食料を二日分持ってきている。手にはギターだ。

マサトさんは見るからにもっと大変そうだった。荷物がバックパックに収まりきらず、体の前にはサブバックを抱えている。

マックは完全にキャンプ使用の装備だ。

今回も最初の30分がキツかったが、それを越えるとあまり息切れせずに進むことができた。

 

 

 

なだらかな砂利の坂道を喋りながら登る。マサトさんのバックパックにはスペインのカミーノでもらったという貝殻がとりつけられていた。

現在歩いているのはチリでもアルゼンチンでもなかった。ここはどこの国にも属さない雄大なパタゴニアの自然の中だ。

 

 

 

一時間半ほど歩いた頃だろうか。マック・ベイカーが何か叫んだ。そこにはフィッツロイが顔を出していた。

僕たちは岩の上に登ると、フィッツロイを眺めながらそこで昼食をとった。みなカメラを向けたが、距離と背景の明るさに差がありすぎて写真にはっきりとフィッツロイの姿を収めることはできなかった。

自分が目にしているフィッツロイだけが真実だ。綺麗な写真は山ほどあるけど、やはり自分の目で見たものがいちばんしっくりくる。とうとうここまでやって来たのだ。

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いくつも坂を登り、何本か川を渡った。何回か休憩を挟んだが僕たちはずっと歩きっぱなしだった。

アルゼンチンの領土を示す看板にでくわしした時、僕はイミグレーションまでもう少しだと思ったがそれは違った。

マックは「あぁ、チリから離れたくないな。できればアルゼンチンなんて行きたくないんだけど…」みたいなことをボヤいた。

 

 

アルゼンチン側に入るとトレイルは目に見えて変わった。チリ側が砂利道でなだらかな坂道が多かったのに対し、アルゼンチン側は泥でぬかるみ、トレイルは森の中へと続いて行った。

先にここを通ったであろうチャリダーたちの車輪の跡に泥水が溜まっている。そもそもこんな場所を自転車で通ろうなんてどうして考えたのだろうか?

僕たちは足を濡らさないようにゆっくりと進んだ。森の中のトレイルはクネクネと曲がり、坂道も急だった。アルゼンチンに対する僕の第一印象はあまりよくない。

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さすがに六時間以上も歩き続けていたので、足に痛みが来ていた。バックパックを背負った肩も痛い。何度もバックパックを背負い直した。

狭い道を抜けるとようやく開けた場所へと辿りついた。そこには別の湖が広がっていた。

 

 

イミグレーションはこの時間でも開いており、僕たちはそれぞれのパスポートに入国スタンプを捺してもらった。

イミグレーションのスタッフたちは気さくなヤツらで、僕のペットボトルに水を入れてくれた。

 

 

イミグレーションオフィスの周りでは他のツーリストのテントが立てっていた。僕たちも芝生の上にテントを立てた。

マックが使っているテントはコロラド発のアウトドアメーカーのもので、300ドルくらいしたらしい。オシャレな二人用テントにはライト灯った。

僕はというと、一年以上使った40ドルのボロテントを今でも使っている。何度もこのテントで野宿したことか。

 

 

 

テントを立てると食事を取った。昨日作ったオニギリはバックパックの中に入れていたせいでオニギリ同士がくっついた塊になってしまったが、そんなこと気にせずに食べた。

 

 

食事を済ませるとあとはやるこながなくなってしまった。ここにはWi-Fiもなければ電気もない。

何処からかともなく毛艶のいい白黒のブチ猫がやって来た。僕がオニギリの米をちぎってやると、すぐに懐いた。僕は「ネコマル」と勝手に名前をつけた。

ネコマルは膝の上に乗っかり体を丸める。暖をとる姿が可愛らしかったが、僕が膝からどかそうとすると嚙みつこうとするおかしなヤツだった。

さすがにテントの中で一緒に寝ることは抵抗があったので、ネコマルには悪いが寝る際にはテントの入口をキッパリと閉めた。

 

 

 

夜の湖畔には風が強く吹いた。風よけにガレージの中にテントを移動したのだが、コンクリートが冷たくなかなか寝付くことができない。

あぁ、やっぱり寝袋って大事だな。

サバイバルシートをひっぱりだして体の上にかけるといくらかマシになった。

 

 

歩きすぎて足が痛いよ…。

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