▷11月30日/アルゼンチン、エル・チャルテン
三日間山道を歩いてきたんだからさすがに今日くらいはのんびり過ごすことにした。
8:30にみんなが起きたタイミングで僕も二段ベッドの上段を降りた。
チリのラ・フンタから一緒に旅をしてきてアメリカ人のマック・ベイカーとは今日でお別れだ。
彼はこれからもっと南の方まで行き、大学の友達と合流した後、もう一度エル・チャルテンへと戻ってくるらしい。
昨日、今までのお礼にアウトドアメーカーパタゴニアの40%オフのクーポン券をプレゼントした。アメリカのベンチュラでスタッフからいただいたものだ。マックも僕と似たようなパタゴニアファンなので、あげるのには相応しい人だったろう。
9時になると、宿までバンが迎えに来た。マックがいなくなると、僕はスペイン語の話せるヤツがいなくなって、ちょっと苦労するだろうなとか、そんなことを考えた。
マックを見送った後、僕は両替ができる場所を探しに行くことにした。
ここはもうアルゼンチンだ。インフレが凄まじく、自国家の紙幣に対する信用度が低い。国民は米ドルを持ちたがるという話を高城剛氏が話していたのを思い出した。
つまりアメリカ・ドルのレートがいいのだ。もちろん公式なレートもあるのだが、闇レートだと1.5倍くらいで取引されるらしい。
さすがにそのレートは首都のブエノスアイレスでのことらしい。パタゴニアだともう少しレートは下がるようだ。
昨日1ドル=13ペソで両替してくれるレストランを見つけた。
また、闇両替と言っても、そんな店の裏手だとか地下室で取引するわけじゃない。エル・チャルテンの町では宿やレストランで両替することができる。
僕はいいレートで米ドルを両替してくれる場所を探すことにした。昨日マサトさんからいくらか金を借りている。その分も返さないといけない。
手始めに今泊まっている宿や周囲のレストランなんかにレートを訊いてまわっていったが、よくて12〜13がほとんど。話に聞くところによると「$1=1.5ペソ」というレートは少し前のブエノスアイレスのレートだったようだ。今はドルの価値そのものが下がっているという。一体どういったわけだろう?
たまたま昨日のトレッキングで知り合ったサンフランシスコ出身のおっちゃんと町で出くわした。
いいレートで両替できる場所を知らないかと、僕がおっちゃんに尋ねると、彼は近くにあった薬局に入って行き、スペイン語で闇両替ができないかと店員に尋ねた。店員は「13.5」とレートを伝えた。ずいぶんあけっぴろげな闇両替だ。
なんでも闇両替で使うドルを「ブルーダラー」と呼ぶらしい。また闇レートをチェックできるサイトもあるようで、アルゼンチン人はそれをみてリアルタアムのレートをチェックしているようだ。
結局僕は140ドル分の米ドルと、7000チリ・ペソを両替した。150ドル分のお金が25,000円くらいのアルゼンチン・ペソで返ってきた。だいたい7,000円くらいの得だ。
なぜだか米ドルよりもチリ・ペソの方がレートがよかった。僕が両替してした宿では1.57倍で取引されていた。
手元にもとの価値以上の金が残ったが、僕はあまり得をした気分にはなれなかった。なぜならその分、どこもかしこも値上がりをしているからだ。キオスクで缶のコーラが240円で売られているの知った時、「一体どこの金持ちがこれを買うのだろう?」と疑問に思った。
宿に戻って一息つくと、僕は宿のテーブルで漫画を描くことにした。
別のテーブルでは、ちょうど宿に泊まっていた日本の外国語大の女子大生二人とマサトさんが楽しそうにお喋りをしている。
マサトさんは「へ〜」とか「ふ〜ん」と熱心に相槌を打つと、女のコの一人は熱心に話をしていた。マサトさんは聞上手なのだ。
誰かが同じ空間にいると、怠け防止にもなる。頭のどこかで「見られている」という意識が働くのだろう。
そういうわけで僕は集中して漫画を描くことができた。
休憩がてらに明日の食料を買いに宿の近くのスーパーにマサトさんと向かった。
町には二軒くらいしかスーパーがなく、ツーリストたちで混みあっていた。
陳列された商品とそこに書かれた価格が合致しておらず、同じ商品を見つけ出すのに手間がかかった。レジは一台しか開いておらず長い列ができてしまっていた。
日没は21時を過ぎてからだった。空が明るいままだと、ちっとも夜になったという実感が湧かない。
なんだかんだで深夜1:00まで夜更かしをしてベッドに向かった。
いよいよ明日はフィッツロイを見に行く。
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