1月20日/オーストラリア、メルボルン⇨シドニー
誰もいないオフィスにお礼を書いた置手紙を残して僕は出発した。
外に出ると小雨が降っていた。
ヒッチハイクはなんとかできそうなくらいか?
これからシドニーを目指すわけだが、メルボルンは大きな街なので初めに電車に乗って郊外まででなければならない。
今回も”hitchwiki”でヒッチハイクをやるのにいい場所はどこかを事前に調べておいた。
ただ、問題があるとすれば、シドニーまでは700km以上も離れていることだ。
だいたい300kmが一日に進める目安だと僕は思っている。
メルボルンからシドニーまで行く人っているのかな?
サウス・クロス・ステーションまで向かうのにトラムに乗った。
メルボルンでは一定のエリア内であれば無料でトラムに乗ることができる。
トラムに乗っている間に雨脚足が強まり、しばらくしてまた弱まった。
こういう日には出発を延長したいとも思わなくもないが、滞在を延長したところでグダグダしてしまうのは目に見えているので、前に進むことにする。
郊外に出るのは簡単だった。
確か5ドルちょっとでチケットを買ってクレイグバーンとかいうラインの同じ名前の駅で降りればいいだけだった。
終点駅に出るとそこは閑静な住宅地が広がっており、線路の横にはハイウェイが見えてた。僕はニュージーランドを思い出した。どちらかといえば、ニュージーランドはこういう静かな場所が多かったから。
駅から少し歩いて、洗車場の屋根を利用して段ボールに行き先を書いた。
「よっしゃ!」と声に出して気合いを注入し、僕はヒッチハイクポイントへと向かった。
ヒッチハイクポイントはハイウェイ手前の信号でそこには車が止まるようになっていた。
僕はメルボルン方面から来る車と、クレイグバーンから出て行く車の両方に向けて親指を立てた。考えてみればこれがオーストラリアで一発目のヒッチハイクだ。一体どんなレスポンスが返ってくるのだろうか?
小雨はり降り続いているままだった。
朝一のヒッチハイクだとどんな顔をして親指を立てていいのか分からない。いつもヘラヘラしてヒッチハイクをしているように、ブログを読んでいる人は思うかもしれない。だけど、ヒッチハイクをやるテンションっていうものもあるんだよ。
ぎこちない笑顔を浮かべながら僕は親指を立てボードを掲げていると、クレイグバーンから出て行く車の窓が開いた。
「ここよりいい場所に連れて行ってやるよ?」という申し出に僕はありたく車に乗せてもらうことにした。
「あそこでヒッチハイクしていたヤツを見たのはこれで三度めさ」
と運転手のエサッドさんは言った。
エサッドさんはトルコ出身だった。トルコでヒッチハイクをした時を思い出す。あの時はトラックがよく止まってくれたっけ。「ドンドルマ(トルコアイス)と言ったら、カフマランマラッシュ(トルコアイスの発祥地)ですよね〜!」という鉄板のギャグを口にすると、エサッドさんとの距離はすぐの近くなった。
エサッドさんは大型トラックが止まるガソリンスタンドで僕を下ろしてくれた。「テシュケレデレム」とトルコ語でお礼を言うと、エサッドさんはニヤッと笑った。
あまりに短い出会いだったので、僕は写真を撮らせてもらうのを忘れてしまった。残念。

ガソリンスタンドには何台か大型トラックが止まっていた。だが、中は運転手がいる気配は感じられなかった。
ガソリンスタンドの出口で僕は引き続きヒッチハイクを開始したのだが、雨脚が強まってきたので、一旦ガソリンスタンド併設の売店へと避難することになった。
中に入って驚いたのはコーヒーの安さだった。セブインイレブンの1AUドルでさえ安いと思っていたのに、そこでは80セントで一番安いコーヒーを買うことができた。
僕はコーヒーをすすりながら外に出ると、そこでガソリンを入れていた車から声がかかった。
うはーーー!親指を立てずに車に乗せてもらるパターンだ!

運転手のジェイクはここからメルボルンとシドニーの1/3ほど離れた場所にあるオーベリーまで行くところだった。けっこうな長距離だ。
オーストラリア人とのマンツーマンのフリートーク。駅前留学にありそうなシチュエーションだ。あれ?これって死語かな?
ジェイクとは年齢的にほとんど一緒だったので会話も弾んだ。ただ、ネイティヴの英語はやっぱり早くて会話の半分はジェイクがなんと言っているか聞き直さなければならなかった。そんな僕に合わせてジェイクは聞き取りやすく話そうとしてくれたみたいだった。まぁ、僕も日本語の話せる外国人にあっても、無意識にはっきりとした口調と簡単なワードで会話をしちゃうけどね。
オーベリーに着くと、ジェイクはハイウェイ近くのガソリンスタンドで僕を下ろしてくれた。ジェイクと別れると、僕はガソリンスタンドで再びコーヒーを買い、おまけにミートパイも買った。
ニュージーランドでもそうだったけど、オーストラリアでも「パイ」がポピュラーみたいだ。さっきジェイクとも「ミートパイはオーストラリアのソウルフードでしょ?」なんて冗談を言っていた。
いや、あれ、高いんだけど、あ、オーストラリアはなんでも高いか。美味しいんだよね♪
エネルギーを補充すると、僕はマップアプリで現在地を確認した。
ガソリンスタンドではヒッチハイクをせずに、そのままハイウェイの方へ歩いて行った。
この頃には雨も止んでいた。さぁ、今日はどこまで行けるかな?
30分ほどで本日三台目の車が止まってくれた。
フィルさんは60kmくらい離れたホルブルックという町まで僕を車に乗せてくれた。「あそこは観光地だからシドニーに行く車がきっと見つかるよ」とフィルさんは希望に溢れた言葉をかけてくれた。

だけど、いざホルブルックに来てみるとどうだろう?
そこはかなりちっぽけな町だった。公園に大きな潜水艦が展示されてはいたが、観光客が好んでやってくるような場所ではない。軍艦とかが好きなお父さんが無理やり子供を連れてきそうな場所だ。
僕は仕方なしにハイウェイへ続く道を歩き出した。
オーストラリアに入ってから、僕は汗をかくようになった。それも嫌な汗だ。ジーンズがベトベトして肌にまとわりつく。オーストラリアは夏のシーズンで、空気は湿度を含んでいる。
利点と言えば、洗濯して濡れたままのTシャツを着てもすぐに乾いしまうことだ。それでもまたすぐに汗をかくんだけどね。
ホルブルックからのヒッチアウト(ヒッチハイクで町を出ること)は一時間以上かかった。車の量が一気に減ったからだ。大型トラックも何度か通ったのだが、止まってくれる気配はない。

車が、、、こ、来ない。
そんな中で止まってくれたのはオーストラリアに住んで一年近くになるイギリス人のニックとミミの夫婦だった。今日はメルボルンから車を走らせてきたらしい。

最初ニックさんは自分たちがガンダガイという町までしか行かないのだと言った。「お前?英語分かってるのか?」とでもいう風に「Do you understand???」と付け加えて(笑)。いや、マジで中学校の教科書に間違いなく出てくるフレーズで僕は少し感動したくらいさ。
それでも、僕が少しは英語がしゃべれることと、僕が日本人であることが分かると、一気に心の壁のようなものが取り払われたような態度になった。僕も追い打ちをかけるように自分の漫画を見せて、自分がどういう者であるかを説明した。
ニックさんが日本に興味を持っていたみたいだ。「もう日本にサムライはいないのかい?」なんて冗談がベタすぎておかしかったな。けっこう寿司も食べてるようだったし。
二人は僕をハイウェイ脇のガソリンスタンドで下ろしてくれた。
時刻は16時過ぎ。
シドニーまで半分くらいは進めただろうか?今日はここまでかなと思いつつも、トイレでTシャツを洗濯した後、僕は再び親指を立てた。
車はなかなか止まらなかった。あと一時間やってダメだったら、今日はガソリンスタンドの隣にあるバーガー屋で時間を潰して、近くにテントを張ろうかと思ったくらいだ。
だが、こんな時でも車が止まってくれるのだ。しかもシドニー行きの。
いやぁ、 なんだんだろう。「おれはいかなる時もヒッチハイクを成功させてきた」と自慢するのと違うし、オーストラリアでのヒッチハイクが簡単だというのも違う気がする。僕みたいなのを車に乗せてくれる寛容な心の持ち主は世界中どこにだっていると思うから。

あーーー、マジで申し訳ないのは、運転手さんの名前をメモすることを忘れてしまったことだ。
いや、もちろん、車に乗っていた時は覚えていたよ?でもメモを取るのを忘れちゃったんだよ。
けっこうファンキーなお父さんでさ、眠気覚ましにマリファナをちょびっと吸うような茶目っ気も持ち合わせていたな。会話もけっこう弾んだんだけどね。なんせ癖の強い英語でこらまた話の半分以上は僕が勝手に理解して適当に喋っていただけなんだ。

楽しかったです!ありがとうございました。おとうさん!
そんなわけで僕はシドニーへとやって来た。
時刻は22時前だったと思う。
僕はそのまま電車に乗り街の中心地へと向かった。特に行く場所もなかったけどね。まぁこれは僕の旅の行動方針みたいなものだよ。
セントラルステーションで降りると、僕は特に目的もなくオペラハウスのある方角へと歩いて行った。夜のシドニーはどこか東京を思い出させるところがあった。飲食店が多く、しかも韓国人やら中国人が大勢いたからだ。

そんな繁華街を通り抜け、僕はあるものを探していた。
汗だくになって到着したのは丘の上にある公園で、ハーバー・ブリッジ越しに対岸の夜景を眺めることができた。
その公園には寝るのにちょうどいい屋根付きの展望台があるのだ。野宿をする者の間では有名な場所と言ってもいいだろう。
そう、その名もー、
「イクゾー・ハウス」

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