フジロック最終日④

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フィールド・オブ・ヘブンについた時には、そこには多くの客が集まっていた。

肩から斜めにかけているアークテリクスのポーチからZカードを取り出してタイムテーブルを見ると、そこには「LOVE  PSYCHEDELICO」の文字が書かれていた。

ラブサイケデリコだなんてすごい懐かしい感じだ。

 

 

僕が思い出すのは、いつぞやのウォーターリング・キスミントのCMに彼女たちの楽曲が使われていたということだった。

 

 

あれが一体いつの時代に流れていたのかわからない。たぶん高校生くらいだったと思う。

真面目な顔をした女優さんと口の中でガムがくちゃくちゃいう音と巻き舌を強調した「ウォーーターーールリリリリィィィィィィングッッッ!!!」というセリフだけ。

あのよくわからないCMをどうして僕は今でも覚えているのだろうか?

高校生の時は割とウォーターリングを買ったような気もするけれど、あれって容量少ないし、もっと噛んでたいんだけど、そこまで味も長続きしないし、お得な感じはしないのだけれど、それでも独特のジューシーな感じが嫌いじゃなかった。

 

 

まぁ、僕にラブサイケデリコを思い出させる要因はグリコのウォーターリングキスミントだけなのだ。

僕はバンドの演奏を聴いて行くことにした。

だが、あいにく近くにはまともに座れるような場所はほんどなかった。みんな雨の中でじっと佇んでいる。結局は僕もそれに習うことになった。

 

 

 

 

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ややあって、歓声が上がった。

ステージにボーカルの女性が上がったようだが、ヘブンにはスクリーンがないので、舞台上がどうなっているのかはほとんどわからない。

っていうか、いつも思うのだけれど、ステージ脇にあるスクリーンってコンマ何秒くらい微妙にズレているよね。ボーカルを観ているぶんには別にそこまで気にはならないんだけど、ドラムなんか動きの早い人が画面に映ると、そのズレがよりはっきりとわかるような気がする。

そういうズレを認識した時に、僕はなんだか体のノりも一緒にズレてしまうような錯覚に陥るのだ。

 

 

2〜3曲聴いていると近くのベンチが空いた。

ありがたいと思い、僕はそこに座ると急に眠気を覚えた。

雨に打たれながら、腕を組み、楽曲に耳を傾けているうちに瞼が重たくなってくる。改めて思うけど、フジロックってタフなイベントだよなぁ。体力がなくちゃぜったいやってけないよ。まぁ、別に遊びは各々の裁量によるんだけどさ、休みたかったら休めばいいし、踊りたかったらずっと踊り狂っていればいいだけの話だ。来場者にシフトなんてない。

 

 

僕はラブサイケデリコの曲なんてちっとも聴いていなかった。

もし近くにベンチつきの東屋か何かがあったら、僕はそこで仮眠したことだろう。それくらい眠たかった。アーティストをはしごするほどの気力は僕にはなかった。

 

 

30分くらいは眠っていたと思う。

意識がほんの少し戻ってくると、頭がボヤボヤした。

メガネケースの中からタバコを取り出した。フジロックでの喫煙のルールはイマイチよくわからない。どこでも吸っていいのか悪いのか。

ただ、僕の周りには他にもタバコを吸っている人がいたので、「まぁ、いいかな」という気分になったのだ。

 

灰皿ケースは昼ごろ、クレープを食べた頃にメビウスのブースでテイスティングをしてもらってきたのだ。タバコもその時にもらったものなのだが、火がない。

近くにいたお兄さんにライターを貸してもらって、軽く一服をする。

 

 

ステージからは音が流れる。割とはっきりと聞こえるし、PAの人がいいんだろうなと僕は思った。

 

 

他のみんな一体どうしているだろうか?

僕ちょっと疲れちゃって、できることなら、座ってゆっくりしながら、暖かいホットコーヒーでも飲みたい気分だった。でも、ここにはそんな場所はないし、コーヒーはごく限られた場所でしか売っていない。

 

タバコを吸い終わると、僕はラブサイケデリコが演奏するステージを後にした。

 

 

 

 

 

 

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ここまでくると、他に何をしていいのかよくわからなくなってきた。

今日のシフトは18時からなのだが、まだ2時間くらい時間があった。

 

ヘブンステージをグダグダと戻り、アヴァロンにある朝霧食堂であえて高いコーヒーを飲んだ。

もう高いコーヒーにも慣れてしまった。

これ一杯でお腹にたまるようなものを食えたかもしれないけれど、僕は無性にコーヒーが飲みたかったのだ。今は食事よりもコーヒーが必要なのだと体が言っているのがわかる。

 

僕の前に外国人が並んでいて、カウンターの向こうにいる店員たちにいいノリで絡んでいた。

なんだかそれを見ると、どこかホっとしたのだ。

 

僕がどんな状態になろうとも、この会場のどこかではこうして楽しそうにしている人たちがいる。周りの客にもみくちゃにされながらストレスを感じて音楽を聴く人もいるんだろうけど、彼らのように笑顔で楽しそうにしている大人を見ると、どこか救われた気分になるのだ。

 

 

歳をとるごとに楽しむのは技巧的になっていく

「遊び」の性質が変わってきて、下手をすると、一体何が楽しいのかわからなくなってくる。僕はずっと絵を描いているけれど、その行為にはトレーニング的な要素があり、野心的な部分があり、焦りがあって、劣等感や嫉妬が時々見え隠れし、希望があって、そして遊びの部分がある。

今だってこうして絵を描いていないことに対して僕はソワソワしている。あぁ、ちくしょう。自分の時間を提供することで僕は今、苗場にいるわけだけれど、だけどそれは自分の絵を描く時間も一緒に提供していることになるのだ。

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実は去年もお会いした、アレッポ石鹸の社長。

 

 

 

 

 

 

 

ホワイトステージまで戻ると、

そこでは「レキシ」がライブをしていた。

 

本部テントにいるまおが嬉しそうにニヤニヤしてライブを観ていた。

思えば、彼はレキシが活動を始めた時から彼らのことを知っていたよな。一見コミックバンドみたいに見える彼らがこうしてフジロックに出演していることが嬉しいのかもしれない。

 

 

レキシのアフロのボーカルは「スーパーバタードッグ」というバンドのキーボードの人が他の仲間とともに立ち上げたバンドらいしい。

狩から稲作へ」というギャグみたいなラブソングで僕たちはレキシを知ることになった。

 

 

 

当時僕らは大学生でMacBookを開いてまおの家で他の友達と一緒にそれを見ていた。

「縄文土器、弥生土器、どっちが好き?どっちも土器」

っていうフレーズの一体どこが面白いのか、僕にはそのギャグセンスがよくわからなかった。

でも、歌詞の内容はよかったと思う。年下の彼女とか、同棲とか、縄文時代のくせにすげー現代的な内容のラブソングで、そこには家族を養うという一家の大黒柱となる男の心情が描かれていたのだ。

 

 

何年かして、レキシは様々なアーティストとコラボすることになった。その中には10年以上のキャリアを持つ歌姫、椎名林檎やジャズピアニストの上原ひとみなんかの姿があった。

曲もふざけているようでクオリティが高いのだ。

 

 

 

 

 

僕はしばらくホワイトエリアでレキシのライブを観ていた。

こんな雨の中でもお客さんたちは手に旗を持ったりして、ライブを楽しんでいるみたいだった。レキシは愛されているバンドなのだ。こんなに人が集まってくれるだなんて、すっげえいいなよな。

僕は他のお客さんに混じってレキシを聴くことに、若干のためらいを覚えた。ロクに彼らの曲を聴いていない僕なんかのようなミーハーなリスナーが音楽を聴いてはいけないような気がしたからだ。

もちろん音楽はそんな権限だとかを求めはしない。だけど、僕はそう思ったのだ。

 

 

ホワイトエリアの裏手にあるボードウォークを歩いて、僕はグリーンエリアまで戻って行った。

 

 

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