僕をクラウドファンディングへと駆り立てた張本人は
タカくんであることは間違いない。
ちなみに世界一周で始めてタカくんに会った時のブログはコチラ
話は4月上旬にまで遡る。
その時僕はタカくんから連絡を受け、名古屋に向かっている最中だった。
タカくんが一年ほど製作に打ち込んでいた「竈神様(かまがみさま)」がようやく完成し、神社で祭事を行うらしいのだ。
竈神というのは日本の東北地方に伝わる風習らしい。
竈の上に厳しい顔の面を取り付け、火の神を奉るのだ。
恥ずかしい話だが、タカくんから「交通費出すから来てよ!」という提案がなかったら僕は行かなかった行けなかっただろう。
なぜなら、度重なる自動車免許の不合格で貯金が尽きかけ、にっちもさっちもいかなくなっていたからだ。
新宿から名古屋まで5時間ほど。
そこからローカル線に乗り県境をまたいだ。
三重県にある麻生田駅についた時には夕方になっていた。
タカくん、アサミちゃん、息子のらんまくんの一家と会うのは一年ぶりのことだった。
前回会ったのは宮城県、石巻で行われた「カレー屋Disco」の開店祝いだ。
あの時一緒にイベントを盛り上げたメンバーの何人かにもここで再会することができた。
祭事はタカくんたちのアトリエから30分ほど車を走らせた場所にある
滋賀県の「惟喬親王御陵(これたかしんのうごりょう)」と呼ばれる神社で行われた。
祭事当日に初めて竈神様を見た時、僕は
「なんて禍々しいものを作ったんだ…」
と困惑せざるえなかった。
というのも、
屋久杉の根の形を利用した竈神の顔は左右非対称に歪んでおり、
口からは牙が生え、まるで何かを食らう寸前のような顔をしていたからだ。
重さ50kg以上ある竈神様を作るのに、彼は一体どれほどのエネルギーと時間を注いだのか?
竈神の歯には水晶を砕いたものがちりばめられており、その上から金箔が塗られていた。
素材となる屋久杉自体も切り倒したものではなく、自然に倒れたものを使っているという。
明らかに今まで見て来たタカくんの作品とは違った。
そこには目には見えないなにかが宿っていた。
これはただの彫刻じゃない。僕たちが死んだ後も美術館で飾られているようなものだ!
僕はここでひとつの「祭事」が生まれる瞬間を目撃したのだ。
タカくんが祝詞をささげ目に瞳を入れると、それまで不気味ささえ感じていた竈神の顔に優しさが宿ったような錯覚を覚えた。
祭事が終わった後、
僕はタカくんに自分が世界一周で描いた漫画を電子書籍として販売する予定なのだということを話した。
タカくんのパートナーのアサミちゃんから何度か「旅をしていた時のような元気がないね」と言われてしまったことがショックだったこともある。
毎日がどこか不安で、焦ってただ闇雲に漫画を描く毎日。
自分が前に進めているのだということをわかってもらいたくて、半ば自分を肯定するかのように電子書籍化のことを話していたのだ。
そして電子書籍化は自動車免許の試験を受けるため金をわずかながらでも作るためでもあった。
僕の計画を聞いていたタカくんが言った。
「おれは電子書籍より紙の本の方がいいな。
シミくんの本なら5,000円でも買うよ!
なんなら10部買ってもいい!」
衝撃だった。
僕の漫画にそこまで価値を見出してくれている人間がいることに。
そして僕の頭の中では即時に皮算用が展開されていた。
『…ってことは5万は確定っことだろ?
自費出版で本を作るとなるとどれくらいかかるんだろう?10万くらいかな?それなら半分はクリアってことだろ?それならやっぱクラウドファンディングじゃないか??!!
西野(亮廣)さんも先に読者を囲った上で本を作ってるわけだし!
残りの金額は、知り合いに声をかければいけるんじゃないか??!!
とりあえず見積もりだけでも出してみようか…』
そうなのだ。
「世界一周で描いた漫画を書籍化したい!」のプロジェクトは
タカくんの一言によって背中を押され、打算によって動き出したのだった。
もちろん最初はうまくいくわけないと考えていた。
クラウドファンディングなんてのはよっぽど魅力のあるプロジェクトでなければ成功しない。
新素材の防水バッグだとか、超軽量小型スピーカーなどの便利な新製品だったり、もしくは多少名の知れたある程度のフォロワーを獲得している人間のプロジェクトの場合だ。
僕はフォロワーもTwitterで400人未満。
インスタグラムで750前後。
Facebookは友達の数は多いが半数は旅先であった外国人だし、日本人の友達といっても連絡しない人の方が多い。
旅をしていたのは三年も前のことで、今更その作品を編集したところで、一体誰がそんなものを欲しがるというのだ。
ダメでもともと。失敗する可能性の方が大きいように思えた。
だが、結果は挑戦してみるまでわからない。
成功しないかもしれないが、失うものもない。
何より、ここで何も行動を起こさなければ千年以上残る大作を仕上げた目の前の男に失望されるんじゃないかと思ったのだ。
「まあ、お前なんてこんなもんだよな。口先ではあれこれ言うけど、実際に行動しないヤツさ」と。
大学時代、僕は散々未来についてあれこれ語ってきた。
「何かやろうぜ!」が口癖だったが、その何かが実現することはほとんどなかった。
安定を捨て、リスクを冒して旅に出たことによって、ようやく自分の人生が始まった気さえした。
旅を終え、「旅漫画を描く!」と言っているくせに、僕はあの時と同じことを繰り返しているんじゃないだろうか?
これはチャンスだ。
失敗したっていいじゃないか。
何かに挑戦したことにより学ぶこと得ることだってある。
祭事を見届け、再び長距離バスで家に戻ると、僕は見積もりを出すことにしたのだ。
[ad#ad-1]とりあえず夜はみんな陽気だった。
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