「左側の席は灼熱地獄」

世界一周589日目(2/8)

 

 

“盛る”

のが好きだ。日本人は。

 

 

どこそこがラピュタの舞台になったとか。
世界一綺麗な村がどこそこにあるとか。
あそこの国の女のコは美人が多いとか。

 

 

そして、今回の移動も

「世界一過酷な移動」

と呼ばれる道だった。

 

 

 

バスの出発時間が4時半

早く起きるために、昨日は21時前には寝ていた。

パッキングを済ませて宿を出ると、
そのまま町の中心地に向かった。

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まだそこまで人が集まっておらず、
僕はチケットを買ったバス会社のオフィスの前で
バックパックを降ろした。

他のバス会社のバスが先にやって来て、
乗客を乗せるとナイロビに向けて出発していった。

 

 

オフィスの前で待っていると、ズタ袋を持ったおっちゃん
「荷物を入れないか?」とバスを待つ乗客たちに
そのズタ袋を売りつけていた。
日本だったら”土嚢”を作るのに使うようなやつだ。

おっちゃん曰く、砂を防ぐためらしい。

 

 

僕は基本レインカバーをバックパックに取りつけている。
盗難防止にもなるし、バックパック本体が
汚れないようにする役割もある。

一瞬買うのはやめようと思ったが、
ここは「世界一過酷な移動」だ。

備えあれば憂いなしと言うじゃないか。

 

 

他の外国人客がそのズタ袋を買っているのを見て、
僕もそれを買い求めた。
100円くらいで、ケニアにしては高いと思った。

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4時半過ぎにバスはやって来た。

大型バスの割にはずいぶんと年期の入った赤いバスだ。

荷棚がギターは置くことのできるスペースがあったので、
今回はギターを前に抱える必要はなかった。
まずは不安がひとつ減った。

 

 

見たところそこまで大きな荷物を車内に持ち込む人はいない。

座席の配置は左側二列、右際三列。

座り心地も、快適までは言えないまでも、悪いわけではなかった。

もともと僕に割り当てられたのは
左側の通路寄りの席だったが、外の景色が見たかったので、
勝手に窓際の席に移った。

そこに座るはずだった乗客は何も言ってこなかった。

 

 

 

乗客で席が埋まると、バスは日が昇る前の道を走り始めた。

聞いていた通り、道路は舗装されていないので、
始終ガタガタと揺れた。

感覚としては遊園地の絶叫系マシーンの揺れくらいだった。

なんだこんなものかと僕は安心して目を閉じた。

 

 

モヤレから出てすぐに検問があった。

バスが止められ、パスポートがチェックされた。
そこで時間を食った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間が経つ

につれて、
だんだんと周りの景色が見えて来た。

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前を走るバスからは砂煙が濛々と立ちこめ、
僕たちのバスはその舞い上がった煙に
突っ込むような形で山道を下った。

辺りはほんとうに荒涼としている。
人が住めそうな感じはしない。

 

 

Jake Buggを聞きながら僕はウトウトしていた。

なんだ。これなら耐えられる。

 

 

 

 

 

走り出して2時間を過ぎた頃
バスは時折舗装道路を走るようになった。

工事がまだ終っていないので、
道がところどころ分断されており、
バスは一度道を離れなければならなかった。

未舗装道路はボコボコの砂利道。
振動と音で音楽がよく聞こえない。

周りの景色は山道からどこまでも続く大地になり、
木が茂っているが、動物が生息していそうな豊かさは
感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄

がやって来たのは日が昇ってからだった。

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窓際に座った僕を直射日光が照らし出す。

カーテンを閉めようと思って気がついたのだが、
バスにはカーテンというものがついていなかった。

 

 

 

 

ジリジリジリジリと太陽は僕を照りつた。

僕はたまらなくなって、持ちこんだボタンシャツを頭から被った。

まるで日陰のない砂漠を歩いているような気持になった。

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「アツイ…」

 

 

 

そして気がついたのだが、
暑さに喘いでいるのは僕だけだということだった。

隣りに座った男性はジャンパーを
着ている余裕ぶりを僕に見せつけた。

日陰の方に腕を延ばすと、涼しささえ感じた。

 

 

『畜生…。こういうことか…』

 

 

僕ができることはただひたすら耐えることと、
太陽がバスの真上に昇るまで待つことしかなかった。

僕はひからびたゾンビのように声を漏らしながらじっと耐えた。

 

 

 

何度も検問があり、その度にバスは止まった。

ほんとうにしょっちゅうバスが止められるのだ。

カーキ色の制服を着たヤツが入ってきて
乗客のIDをチェックする。
僕が黙っていると「パスポートを見せろ」と言ってくる。

だって、ほんのついさっきも見せたんだぜ?
何も問題なかったからここまで来たんだろう?

もう僕は意味が分からなかった。

 

 

 

「あんたらは…馬鹿だ…」

 

 

 

僕は日本語でそう呟いた。

 

 

バスにカーテンがないのも、

必要以上の検問も、

道路のコンディションの悪さも。

 

 

 

 

『この日差しさえなければ…』

「世界一過酷」だなんて大げさだとは思ったけど、
さすがにこれは堪えた。

 

 

 

 

昼前の休憩で道路脇のレストランに立ち寄った時に
まずは第一ラウンドが終った。

僕はトイレを済ませて、水とクッキーを買った。

アフリカに来てから食欲は以前に比べるとかなり落ち着いた。

朝から何も食べていないはずなのに、
ちっともお腹が減らなかった。

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ここでもインジェラって…。

 

 

 

 

14時頃にようやく僕は日差しから開放された。

バスは依然として舗装道路と砂利道の間を
行ったり来たりしていたが、悪路自体は堪え難いものではなかった。

17時頃に、一度バスのタイヤが
パンクいして止まることがあったが、
スタッフたちは手際よくタイヤを交換した。

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iPhone4Sって最強じゃないかな?
この独特のチープさがいい味出してるよね。
そんな僕もかつては一眼レフというやつを持ってたんだよ?

 

 

 

 

タイミングよくアイスキャンディー売りがやって来たので、
僕は棒つきアイスを食べた。

アイスキャンディーはアイスボックスの中に
ぎっしりと詰め込まれており、
パッケージングされていなかったが、
しっかり冷たいままで食べることができた。味は微妙だったけど。

 

 

 

そして、思っていたよりも早くに道は完璧に舗装道路になった。

他の乗客に聞くと、もう4~5時間で
ナイロビについてしまうということだった。

24時間なんてかからないのか。意外だったな。
てっきり宿代が浮くものとばかり思っていたから。

 

 

 

 

 

途中の町で食事休憩を取った。

みんなバスから降り、乗客の多くはレストランに流れていった。

僕はその前にバナナとマンゴーを買って食べていたので、
近くの売店で水を買い直し、クッキーを食べた。

 

 

そんな風にして日が沈み、
バスは快調にナイロビまでの距離を縮めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイロビ

に着いたのは23時だった。

 

 

世界でニ番目に治安の悪い都市、ナイロビ

こいう噂だけ先立つ評判を僕はあまりあてにしてはいなかったが、
今回ばかりは少し不安になった。

時刻も遅いこともあり、
夜道をバックパックを背負って歩いていたら
身ぐるみを剥がされるかもしれない。

こまめにマップを確認し、自分の現在地を確認した。

 

 

 

バスの窓から見えるナイロビの街はどこか暗く、
道端では山積みされたごみがブスブスと燃えていた。

見るからに「治安の悪そうな街」だった。

 

 

一方、乗客とバス側で揉め事のようなものが起きていた。

見ているとそれはかなりファニーだった。

乗客は自分の好きな場所で降りたいと主張し、
バスはしぶしぶ止まるのだが、乗客を振り落とすようにして発進する。

身勝手な乗客たちはポロポロとバスからこぼれていった。

 

 

 

 

僕はチェックインする宿の目星はつけておいた。

NEW KENYA LODGE」という
日本人のツーリストに有名な宿がナイロビにある。

バスを降り次第、タクシーに乗らなければならないだろう。

 

 

 

 

 

バスはターミナルではなく、どこかのオフィス前で停車した。

スタッフたちはここが終点だと言う。
僕は荷物を持ってバスを降りた。

周りには雑居ビル以外に何もなく、
アフリカの首都特有のごみごみした感じがした。

 

 

すぐに「ニュー・ケニア・ロッジに行くのか?」と声がかけられた。

一人でタクシーを見つけるのは少々怖かったので、
この時ばかりは客引きに感謝さえもした。

値段は1500シリング(1,972yen)。

高いが、安全を買うと考えて割り切るしかない。

いつもはケチってタクシーにはほとんど乗らないが、
今回ばかりは素直にタクシーに乗った。

 

 

 

バスが停まった場所から8分ほどで宿のある場所に着いた。

自分の調べておいた場所と現在地が合うことを
GPSで確認してお金を払った。

 

 

 

「NEW KENYA LODGE」は建物の二階にあり、
入り口には鉄格子の扉がついていた。

スタッフに扉を開けてもらい僕は自分が
生きてこの場所に立っていることに嬉しささえ覚えた。

大げさかもしれないけど、やっぱり治安が悪いって言われると、
そう感じてしまうのだ。

 

 

宿のスタッフのおっちゃんはかなりフレンドリーだった。

こんな遅くにチェックインする旅行者に対して、
そんなに親切に対応してくれることも嬉しかった。

ドミトリーは一晩750シリング(986yen)。なかなかに高い。

だが、ここではこれがベストだと思う。

 

 

二日分の宿代を支払って、僕はソファに腰を下ろした。

ズタ袋に入れていたはずのバックパックも、
着ていた服も全てが砂まみれになっていた。

モヤレからナイロビまでの道のりが
どれほどタフなものであったことを
それらの砂汚れが物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シミくん!お疲れぇ~!」

 

 

マサトさんがわざわざ起きて、僕を迎えてくれた。

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エチオピアで会ったカナエちゃんからもらったステッカーは
マサトさんに繋げました。

“Kanappeace prpject”
(カナッピース・プロジェクト)

夢を語り、繋ぐプロジェクトです。

「もしあなたの夢がひとつだけ叶うとしたら?」
という質問に答えなければならないのですが、
僕が思い浮かべたのは

「旅する漫画家になる」→なっても食ってけなきゃダメ。
「素敵なお嫁さんをゲット」→いやいや、
漫画家でやってけることが前提条件でしょ?

で、思いついたのが

「楽しく生きる」

でした。

うん。楽しいの一番だよ。
漫画を描くことも、誰かと一緒にいることも、

この世界を生きることも。

そう感じられることって、つまることの幸せだと思うから。

 

 

 

 

 

マサトさんはほんの数日前まで他の人たちと
行動を共にしていたみたいだったが、
一人ここに残り作業をしていたようだ。

なにやらまた“とてつもないこと”
チャレンジしようとしているみたいだった。
その準備があるらしい。

 

 

マサトさんとは再会できたことは嬉しかった。

エジプトのカイロぶりだった。

 

 

夜も遅かったのが、声のトーンを落としてお互いの旅の話をした。

エチオピアでは会えずじまいだったが、
こうして再会を果たすと話したいことが沢山あった。

 

 

話を聞きたい人、話したい人がいることって
実は幸せなことなんだろう。

マサトさんが眠ってしまったあとで、
僕はドロドロの体をシャワーで洗い流した。

バスの中ではたっぷり睡眠をとっていたので、
この日は寝ないで久しぶりのWi-Fiを使い倒した。

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うん。「世界一」過酷ではなかったと思います。

ただね。窓際の席は気をつけた方がいいよ。
ってかなんでカーテンないんだよ!

『あっつぅ~~~…死にそう…』って思わないの?

そうか。バスを降りて「やっと開放されたぁ~~!」
ってみんなそのままクレームも言わずに去っていくんだね。僕みたいに。

 
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