世界一周620日目(3/11)
今日という日が
日本人の僕たちにとって何かしらの転換期になったことは
間違いないだろう。
偉そうなことは言えないけど、僕はこの日を忘れないし、
今は自分勝手に生きているけど、
いつかは何かしらの形で力になれたらと思う。
もうここでは長く書かない。
悲観するよりも、「何ができるか」だ。
きっと僕にもできることがある。
それを日本に帰ったら見つけて行こう。
4時半に
アラームがなった。日はまだ昇っていない。
日が昇る前はiPhoneじゃ撮れないのよ…。
なんとか上体を起こして、
ズボンをずりおろすように寝袋から抜け出す。
脱いだジーンズを履いて、歯を磨きに行った。
テントの中に散らばった荷物を片付けるのには地味に時間がかかる。
その時間は宿にどれだけ長く滞在したかに比例すると思う。
これだったら前日に少しはパッキングしておくべきだったな。
ここはマラウィ、ンカタン・ベイ。
これから向かう先は首都のリロングウェだ。
パッキングを終えてさあ出発だって時に限って、
宿のWi-Fiはスムーズに動き始めやがる。
別に急ぐわけでもないし、ここにもう一泊するのもありかな?
と考えるが、またテントを立てる手間を考えてそのまま宿を出た。
坂を下り、リロングウェ行きのバスを見つけた。
乗客は僕の他にまだ一人しか来ていなかった。
5時半に出発というのはさすがになかったか…。
バスの荷室は使わせてもらえなかったため、
バックパックは車内に持ち込むことになった。
マラウィで通常サイズのバスに乗るのは初めての経験だった。
シートの3分の1は薄汚れた黄色いスポンジがむき出しになっていたり、
中のフレームが露わになっているものさえもあった。
そんな車内までもオンボロなバスがマラウィのバスだった。
僕は入り口付近の席に座った。本も読めそうな明るさでもなかったし、
パソコンは壊れたままで、iPhoneで日記なんて書く気には
全然なれなかったので、音楽を聴きながらそのまま目を閉じた。
徐々に外が明るくなり始めると、乗客たちも増えて来た。
満員というわけでもないが、
その代わりに穀物か何かがたっぷり入ったずた袋が
いくつも車内に運び込まれた。
6時半にバスはンカタン・ベイの町を離れた。
バスは快調に飛ばした。
細いハイウェイをぐんぐんと走る。
道路を歩いている人々をうまいことかわして行く。
きっと運転手も歩いている人たちもお互いの
「間合い」みたいなものを理解しているのだろう。
そんな人たちを横目に
僕は昨日買ったクッキーを朝食代わりに食べた。
バス移動の最初の数時間は何度も
うたた寝を繰り返していた。
きっとこれは、ただじっと座っていることに対して
脳みそが退屈を感じているサインなのだと思う。
脳みせって『つまんねぇ~…』って感じると、
体を眠らせようとするのは何でだろう?
学生の時はいつもそうだったな。
退屈に感じた授業はいくら頑張っても頭で船を漕いでいた。
浪人生の時だってそうだった。
いや、あれは単に睡眠不足かな。
無駄に3時間睡眠とかかましてたもんな。
スポ根で大学に受かるのであれば、
僕はそこそこレベル値の高い大学に行けていたかもしれない。
(もちろんそんなことはないのだけれど)
退屈な時に眠気を感じるのは、
脳みそが体力を温存させようとしているのではないだろうか?
や、甘やかされてるのか?
昼前に途中休憩で立ち寄った露店で、
フライドポテトと瓶のコーラを飲むと頭は大分スッキリした。
目が覚めると、僕はサブバッグから
“On the Road“を取り出して続きを読み始めた。
サル・パラダイスがメキシコ人移民のテリーという女性と
二人暮らしを始め、職を求めてあちこちさまよい、
テリーの家族の厄介になったりして、最終的には別れていく、
章の最後まで読むとセンチメンタルになるそんな箇所だった。
リロングウェ
に到着したのは16時をまわった時だった。
砂っぽいバスターミナルに下ろされ、
タクシーの客引きたちが乗客たちの周りに群がった。
僕は愛想よく断る気力もなく、客引きたちをかわして
スタスタとバスターミナルを後にした。
マップアプリで宿の場所を確認したが、
宿は3kmほど離れた場所に固まっていた。
リロングウェはマラウィの首都だというのに、
あまりに味気ない町のように思えた。
マラウィの他の町にあった、あののんびりとした感じは一切なく、
首都特有のごちゃごちゃした喧噪があるだけだった。
僕はここにも数日滞在しようと考えたが、
できることならさっさと別の場所に移動したくなった。
宿のかたまる地区のまわりは本当に何もない場所だった。
小さな売店や露店ですらないのだ。
宿のいくつか当たってみたのだが、
テントを張れるキャンプサイトがある宿はひとつしかなかった。
そしてその宿は一番遠い場所にあった。
宿は欧米人向けで、レセプションのスタッフは英語がペラペラだった。
宿代は7ドル。
マラウィクワチャに換算すると3320クワチャ(883yen)。
一気に300円近くも値段が跳ね上がった。
Wi-Fiも有料になり、200メガバイトで
1200クワチャ(319yen)もした。
僕は「もっと安い宿を見つけたら移るかも」と言って、
ひとまず一泊分の宿代を支払った。
三日間泊まるのであれば、
少しディスカウントが受けられるみたいだったが、
それでも数百円くらいだった。
宿には今まで見たこともないような巨大な犬がいた。
犬好きの僕は彼らの頭を撫でようとしたのだが、
「ウゥ~~~…」と唸られたかと思うと、
「ワンッ!」と一括されたので、友好の機会は失われてしまった。
テントは宿の敷地内にある大きな木の下に張った。
テント泊をしている人間は僕以外に誰もいなかった。
テントを張り終えると、僕は近くを散策してみるにした。
宿のスタッフに教えてもらった中央郵便局に足を運んでみたのだが、
17時を過ぎた今では業務は終っており、
また明日出直さなければならなかった。
郵便局の周りではチラホラとパソコンを扱うお店を見かけた。
そのほとんどはシャッターが締まっており、
かろうじて見つけたお店で
「どこかでパソコンを修理できないだろうか?」と訊ねた。
インド人らしい店の男がやって来て僕に言ったのは
「明日またここに来たら、どこで直せるか教えてやる」
という日本人の僕には意味の分からない返答だった。
いや、今でいいじゃないか。
あからさまにオン/オフが切り替えられている。
もう彼はこれ以上働く気はないのだろう。
それでもダメもとで別の店にも足を運んでみた。
すると、お店のスタッフは「それならあっちだよ」
とわざわざ僕を別の店まで案内してくれた。
あれ?これはもしや…???
案内された店は
「ジャンク屋」
とも呼べそうな場所だった。
カウンターは本来ガラスがはめ込まれる部分にガラスがなく、
フレーム部分にパソコンを置いている。
店内にはパソコンの部品が陳列されており、
僕の壊れたMacBook Proを起動させてどのように故障しているか伝えると、
スタッフは明日には直せると言った。
費用は25000クワチャ(6,653yen)。
僕がiPhoneで情報収集したところによると、
中のケーブルの破損が一番の原因らしかった。
日本だったら5千円で修理できるらしい。
ここで試して、ダメだったら南アフリカに賭けよう。
僕はパソコンを預けてジャンク屋を後にした。
近くを歩いてみたが、特にこれと言って
心を惹かれるようなものは見当たらなかった。
そこそこの規模の地元のマーケットがあったが、
もうこの時間ではどこも撤収作業に移っていた。
ここの町でも、
「チン・チャン・チョン!」とおちょくるヤツらがいて、
僕はうんざりさせられた。
比率でいうとおちょくってくるヤツらの割合は多い。
こういう頭が悪そうなヤツらはどこにでもいるのだ。
さりげなく中指を立てると
「ファッキュー、トゥー!」と返して来た。よく見てるなぁ。
彼らは一体中国人に何を求めているんだろう?と僕は考える。
夕食が食べられそうな露店を探したが、
どこを探してフライドポテトかヤギ肉の炭火焼くらいしかなかった。
それかおなじみの焼きトウモロコシか。
どうして、どこもかしこも同じ物しか売っていないのだろう?
そしてよくこんな油でベトベトのフライドポテトと、
グニグニしたヤギ肉が支持されるのか、
僕にはまったく理解できなかった。
仕方がないので、その二つを夕食として食べたが
ちっとも腹にたまらなかった。
フライドポテトについてくるキャベツの千切りとトマトが栄養源だった。
宿に引き返す頃には辺りはすっかり暗くなっており、
雲の隙間からわずかに見える黒っぽい夕焼けを見ると、
なんとも言えない気持になった。
僕は近くでタバコを一本買って
風に吹かれながらゆっくりと吸い込んだ。
相変わらずタバコは美味しくなかった。
帰りにスーパーで袋入りのスナック菓子を買った。
物乞いの男の子にお金ではなくスナック菓子をあげるすると
男の子は服の裾を籠の用にしてそこにスナック菓子を集め、
ニコニコしながら僕にお礼を言った。
宿までの長い道のりはシャウトしながら歩いた。
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