世界一周783日目(8/21)
どういうわけだか
ちゃんと出発の朝はバッチし起きられるのだ。
試験がある日とかって
なんでこんなに早く起きれるんでしょうね?
暗い部屋で机の上を片付けたりシーツを運んでいると、
タケくんも起きて来た。
タケシさんはちっとも眠たたそうな素振りを見せずに、
ガスコンロで何かを温めていた。
ここはメキシコ、サンクリストバドル・デ・ラスカサス。
8日間いた日本人宿「カサカサ」とも今日でお別れだ。
向かうは世界一周52カ国目。
グアテマラ。
出発前にタケシさんは
ホット・チョコレートを作ってくれた。
メルカドでかったビター・チョコレートを溶かして
それを溶かしたものに、加熱したミルクを注いだものだ。
日が昇る前はほんの少し肌寒かったが、
ホット・チョコレートがじんわりと体の内側を温めてくれた。
7時を少し過ぎた頃にドライバーが宿に迎えに来てくれた。
ここら辺では宿とバス会社が提携を結んでいるらしく、
移動もスムーズに行うことができる。
それを2400円でグアテマラまで行けるだなんて
なんて良心的なんだ!
タケシさんとタケくんは外まで見送りに来てくれた。
「それじゃあ「バイバーイ!」って
感じで写真もらっていいですか?」と訊いて、
ムリヤリにお別れのシーンを作ってもらう。
車の運転手はガタイのいい目の色が茶色のメキシコ人だったが、
急いでいるらしく、僕はさっさとお別れを言わなければならなかった。
色々勉強になりました。またどこかで。
そうしてシャトルバスは夜明けの町を走り出した。
シャトルバスと言っても、
10人くらいのれるバンのことだ。あんなデカいバスじゃない。
サンクリストバドルを出る途中、他のツーリストも拾って行った。
今現在車には僕を含めて8人の乗客がいる。
シャトルバスは
マヤ文明が栄えたであろう山岳地帯の道を
快調に飛ばして行った。
遠くの山に雲がかかっているのを見ると、
ここが高地であることが分かる。
今まで見たことのない景色を見ると、
また自分が旅をしているのだという感覚を味わうことができる。
旅の中の移動は好きだ。
何もすることがなくてもただひたすら外を見ている。
時々、
『この移動がもっと続けばいいのに..』
と思うこともある。
町を出て2時間くらい経ったこで休憩を挟んだ。
どこかのレストランの前で車は停まった。
レストランはまったく客がいない小綺麗な場所だった。
従業員は笑顔でトイレを貸してくれた。
僕の他に乗っているのはフランス人のカップル。
オーストラリアとニュージーランドのカップル。
そしておばあちゃんを連れた夫婦だ。
欧米人は中でコーヒーを注文していたが、
見た感じ高そうだったので僕は外に出た。
5分くらい歩けばコンビニがあるのだが、
そこまで行っている間に車が出てしまうのではないかと不安になった僕は
コンビニを横目にただ指を加えていた。
近くにいたメキシコ人の家族が僕を呼んだ。
彼らはトータス(サンドイッチ)とコーヒーを僕にふるまってくれた。
あぁ、この優しさはどこから来るのだろうな?と僕は思う。
思い返せばメキシコの人たちには優しくしてもらってばっかでした。
ありがとうございます。
スペイン語が話せれば国境を越えられるのだ。
宿を出てから4時間くらいで国境に到着した。
一緒のシャトルバスのオーストラリア人。
メキシコ側のイミグレーションの通過はあっという間だった。
出国税を払うものだと思い込んでいたのだが、
それを請求されることはなかった。
欧米人カップルたちは
「なんであなたはお金を払っていないの?」
と納得のいかない顔をしていた。
僕はわざわざ列に戻り、
「お金を払わなくてもいいのか?」と尋ねたのだが、
入国管理官は「これがシステムだ」と言ったきりだった。
アメリカからやって来た時に支払った入国税のレシートが
パスポートに挟まれていたので、それが証明になったようだ。
そこから緩衝地帯まで移動し、
僕たちはグアテマラのイミグレーションへと歩いて向かうことになった。
国境付近ではレート通りに両替してくれる
良心的な両替屋がいたのでグアテマラ・ケツァールの調達には
困らなかった。
出国税に用意してきた300ペソが浮いたため、
別にいくらかレートで負けようとも構わなかった。
グアテマラ側の入国審査も簡単だった。
隣りのカップルが入国税のようなものをとられそうになっていたが、
グアテマラに入国税はないのでそこはうやむやにしてスルーだ。
イミグレーションの前で車を乗り換えることになった。
イミグレーションの辺りにはバス町の欧米人が日陰でしなびており、
向かいには生活雑貨を売るマーケットがあった。
こんな場所でマーケットだなんて誰が来るんだろう?と思うけど、
きっと地元の人や出戻りの人が利用するんだろう。
二台目のシャトルバスを待っている間、
オーストラリアとニュージーランドのカップルと話した。
彼氏の方はサーフボードを持っていた。
彼女の方は薄化粧の女性だった。
話を聞くと5ヶ月くらいオーストラリアでスペイン語を習ったそうだ。
「向こうに帰ったら、
どんどんスペイン語を話す機会が減っていくでしょう?
だから彼とはスペイン語で話そうかと思っているの」
なんて言ったけど、どうだろうな?冗談かな?
30分ほどでシャトルバスはやって来た。
こちらもしっかりしたバンだった。
よくあるオンボロでなく、
シートは綺麗で空調も効いている快適な車だった。
山を昇るようにして車は走った。
ここがグアテマラだという実感はあまり湧かなかった。
途中ガソリンスタンドに寄ったが、
物価はメキシコとあまり変わらないような気がした。
シェラ
で降りる人間は僕一人しかいなかった。
どこかのガソリンスタンドで降ろされ、
すぐに「ハポネス!タカハウス?」と訊かれ、
時間のロスもないような乗り換えだった。
車に乗ったのは僕一人しかいない。
これでお金を請求されるんじゃないか?と頭によぎったが、
そんなことはなかった。
バス会社間でしっかりと連携が取れているに違いない。
「ここがタカハウスだ」
と言って降ろされたのは
味気ない建物の前だった。
日本国旗がなかったらここが宿だって分からないだろう。
クチコミだけで成り立つ日本人の宿…か。
呼び鈴があったのでそれを押すと、
中からタカコさんという管理人さん(だろうか?)が現れ、
事務的に宿の説明をしてくれた。
ドミトリーで一泊30ケツァール。
2015年の時点で「1ケツァール=16円」。
メキシコから来た旅人は「ペソの二倍がケツァール」と覚える。
そしてなぜだかみんな
「ケツァール」を省略して
「ケツ!ケツ!」
と言う。
なんだよそれ?
最初聞いた時笑いそうになったじゃないか。
「タカハウス」は年季の入った日本人宿だった。
僕が案内されたドミトリーはベッドが三台隣り合うように並べられ、
ベニア板とカーテンで仕切られていた。
意外に日本人がここに泊まっているのに驚いた。
ここでスペイン語学校に通っているらしい。
僕が外に出ようとすると、タカさんが
「危ないから気をつけてね」と注意を促した。
ATMでお金を降ろそうと思っていたが、
何かあった時に係員を呼べないと困ったことになるので、
財布だけ持って外に出た。
シェラはグアテマラで二番目に大きな都市らしいが、
宿の周辺は一階建ての建物と石畳と路地で構成されていた。
あまり大きな街という感じがしない。
これは宿の前。
宿ではシェアメシがあるそうだが今日は遠慮しておくことした。
ここでどんなものが食べられるのか見たかったってのもある。
適当に屋台で食べ歩いた。
やはり物価はメキシコと大差ないみたいだ。
ご当地タバコのようなものを見つけて一本買いしてみたが、
あまり美味くはなかった。
てか、黒ジャンパーの人怪し過ぎだろ(笑)
この町の第一印象。
パン屋をチラホラ見つける。カスタードは美味♪
石細工の工房も多数。
JKがいる。
あ、探してもこの写真には写ってませんぜ、旦那。
「さてと、そろそろ宿に戻るか..」
シャワーも済ませ、
ベッドの脇にある備え付けの小さな机で絵を描いていると
外からオーナーのタカさんの声が聞こえた。
同室の人と話しているみたいだ。
まるで子供に怖い話を聞かせるように
グアテマラのチキンバス強盗事情と、
その被害者の話を熱心に話していた。まるで稲川淳二みたいだ。
同室の女性は「怖いですねぇ。
それじゃあチキンバスよりもツアーバスを使った方がいいですね」
と真に受けているように思えた。
グアテマラで安いのは交通費だ。
それは「チキンバス」と呼ばれる
払い下げられたアメリカの通学バスを再利用した地元民の”足”なのだが、
時には強盗に遭遇する場合があるというのは有名な話しだ。
だが、それも二年くらい前の話しだ。
グルジアとドイツで会った写真家のメグミさんは
「強盗に遭いそうになった」と言っていたが、
それも2013年の話だ。
僕は気になって最近の強盗事情を調べてみたが、
注意すべき場所はあれど、強盗に巻き込まれたという報告はなかった。
きっと怖がらせ屋なんだろう。
夜のシェラは冷えた。
ブランケットの他に毛布が二枚が支給された意味が分かった。
それにWi-Fiが遅い。アニメ観れないじゃないか..。
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