▷12月30日/ニュージーランド、クライストチャーチ⇨クイーンズタウン
公園で目を覚ましてテントから顔を出すと、どこからともなくスケボー持った三人組が現れた。歳はいくらか僕よりも上で、オーリーくらいしかトリックができなさそうな感じだった。
僕に気づた三人は「よう。うまく眠れたかよ?」なんて冗談を言った。僕がテントを片付けている間に、三人のうちの誰かの子供がやって来て、みんなで遊具で遊んだりなんかしていた。
僕が公園を去ろうとすると「こっち来てビールでも飲んでけよ」と誰かが言った。僕は「悪ね。行かなきゃならないんだ」と返した。
こんな真昼間からいい大人がビールなんて飲むなよと思ったが、よくよく考えてみればもう年末なんだ。きっと彼らの仕事も休みなんだろう。僕が目にしたのはそんな平和な風景だった。
iPadやiPhoneのバッテリーが少なくなっていたので、僕はバスターミナルへと向かうことにした。中心地にあるバスターミナルにはコンセントがいくつもあるのだ。
ターミナル内にある小さなカフェで4NZドル(¥332)のフラット・コーヒー(ミルク入りのコーヒーのこと)を買うと、僕はテーブルの一つについてコーヒーをすすりながらモレスキンのノートに絵を描いた。
そうしているとあっという間に時間が過ぎてしまった。
このまま今日は室内ですごそうかとも考えたが、それでも僕はヒッチハイクで先に進むことにした。なぜならクライストチャーチの街はいるだけで疲れてしまうくらいに人がいなくて静まり返っていたからだ。
ヒッチハイク場所まではバスで向かうことにした。クライストチャーチの中心地から街はずれまでは10kmちかく離れていたからだ。
3.5NZドルを支払いバスに乗った。僕の後ろに座っていた地元の男女は乗客全員が聞こえるくらいにバカでかい声で会話をしていた。いや、バスが静か過ぎたのかもしれない。僕も人のことは言えないのだけれど、周囲の人間を気にせずこのように振る舞うと、教育のない人間のように見える。まぁ気をつけたいよね。
ホーンビイという名の街はずれでバスを降りた。そこには大きなショッピングモールがあり、ちょうどそこから車の速度制限が50kmから70kmに引き上げられるのだ。いわばハイウェイの始まりみたいなものだ。
僕は車の止まれる場所にポジションを構えると、そこで昨日買っておいたリンゴを一つ食べて、「Queenstown」と書いた段ボールを掲げた。

ニュージーランドをヒッチハイクしている時に誰かが
「クイーンズタウンはニュージーランドで最も美しい町だよ」
と教えてくれた。せめて新年はそこで迎えたいと思ったのだ。
今日もすぐに車が止まってくれた。
乗っていたのはエンドリルさんというツアー会社で働くおじさんだった。「ほんの先までしかいかないけど、ここよりもヒッチハイクがしやすいと思うよ」とのことだったので、僕はありがたくそこまで乗せて行ってもらうことにした。いい流れだ。
ほんの2〜3kmほど走った場所でエンドリルさんは僕を下ろした。確かにそこには先ほどの場所よりも車の止まれるスペースがある。お礼を言ってエンドリルさんを見送った。
車の速度制限は引き上げられていたので、やってくる車はスピードに乗っていたのだけれど、2台目の車もすぐに止まってくれた。

ジーンさんの目的地はクライストチャーチら20kmほど離れた場所だった。
彼女は地元愛の強い人で、それでいてどこかヒッチハイカーとおしゃべりしたいような感じがした。
何を話したかというと、確かーーー、友達にインド人がいて、インド式の結婚式は五日間にも及び(言わずもがなめちゃくちゃ金がかかるみたいだ)、親族や友達からプレゼントされる食べ物を食べている写真がポピュラーで、結婚式が終わると新郎か新婦がカメラ目線で食べ物を口に運んでいる写真だらけになってしまうだとか、そういう話だった。
あれ?なんでこんな話をしたんだっけな?あぁ、そうだ。「どこが一番印象に残った国か?」と訊かれて、いつもみたいに「インド」って答えたからだね。
車を降りる際に「そこの境界を通り過ぎた場所だったら車が止まってくれやすいと思うわ!」ジーンはそう僕に教えてくれた。
僕は言われた通りにそこまで向かった。途中に別のヒッチハイカーを見つけた。彼の目的地もまたクイーンズタウンだった。もしかしたら今はヒッチハイカーがこぞってクイーンズタウンを目指すのかもしれない。
彼よりも20メートルほど先に進んで僕はヒッチハイクを再開した。10分も経たずに車がスピードを落とし、僕よりもほんの少し先に止まった。ヒッチハイクに順番なんてあってないようなものだ。悪いね。
車に乗りこみ自己紹介を済ませると「ほらね。やっぱり日本人だと思ったのよ」と言われた。
奥さんのマグリッドと旦那さんのインディさん(なのかな?聞き取りミスかも)はかつて日本からの留学生を多く受け入れていたようだ。震災後、家を移らなければいけなくなり、それ以来留学生を受け入れていないらしい。十三年もホストファミリーを続けていたのよと、マグリッドさんは言った。あの地震は二人にとってもターニングポイントだったみたいだ。

二人の目的地はクライストチャーチとクイーンズタウンの中間に位置する場所にあった。ハイウェイもいくらか狭まっていたので、ここで長い距離を走る車に乗ることができてラッキーだった。
しばらく走ると雨が降り出した。牧草が生える草原に羊や牛の群れが見える。雨に濡れた彼らはどこか物悲しくも見えた。
飼い犬のチリを撫でながら僕は外の風景を眺めた。
途中にどこかの町に寄った。
そこには有名なパイ屋さんがあった。こんな雨だというのに、店内は客足が途絶えず、店員には活気があった。僕はそこでサーモン&ベーコンのパイを食べてみた。
普段なら、僕は5ドルもするようなパイは食べないだろう。だけど、マグリッドさんから「ここのパイは有名でよく雑誌なんかに取り上げられるのよ」と訊かなければ食べなかっただろう。味は文句なしに美味しかった。 マグリッドさんたちに会わなければ、ヒッチハイクなんてしなければ、このパイを食べることはなかったのだなと、しみじみ色々なものに感謝をした。それほどパイは美味しかったのだ。

二時間ほど走ったところでインディさんが僕に提案してくれた。
そこは”Tecapo(テカポ)”という名前の小さな町だったが、観光地で湖のほとりには有名な教会が建っていた。
「我々は一旦友達の家に寄らなければならないんだ。もし君がもう少し先に行きたいのであれば一時間後にまた乗せて行ってあげるよ?」
僕はありがたくその提案を受けさせてもらうことにした。
ちょうどその頃には雨は上がっており、僕は適当に教会を見て(立地を除けばほんとうにちっぽけな教会だったのだ)ガソリンスタンドでトイレを済ませ、近くで菓子やらフライドポテトを買って時間を潰した。

車を待っていた時にふと思ったのは「これで彼らがこなかったら、僕はそうとう困った状況に追いやられるぞ」ということだった。僕は車内にバックパックとギターを置いてきたからだ。あの日本人の留学生を十三年間も受け入れていたとかいうのは、僕を油断させるための嘘で、本当は僕の荷物が狙いだったのかもー…
そんな馬鹿げた空想をした。そうだよな。南米ではそういうことに気を張っていたけど、ここはニュージーランドだもんな。もうそんなことを心配する必要なんて1ミリだってないのだ。
マグリッドさんとインディさんちゃんと僕を拾いに来てくれた。お礼を言って車に乗り込んだ。
降ろしてもらったのは、Terras(テラス)”という場所で辺りは何もなかった。そこはハイウェイの真ん中のようで、ちっぽけなレストランとちっぽけなガソリンスタンドがあるだけだった。人の気配はない。年末だもんな。
向こうからやってきた車が止まった。
中から同い年くらいのヤツが顔を出して「クライストチャーチかい?乗せてってあげるぜ?」と声をかけてくれた。いやぁ、マジでビックリだよ。彼は段ボールの裏に書かれた文字を見て止まってくれたんだってさ。僕は同じ段ボールの両面を使っていたんだよ。僕はお礼を言って彼を見送った。
下された場所は車の通りも少なかった。しばらくして向こうから車が何台かやって来た。僕はギャグっぽく片膝をついてレーサーに周回数を教えるヤツみたいに段ボールを掲げた。陰気臭くやってもしょうがないだろ?
すると一台のキャンピングカーが止まった。
「おー。クイーンズタウンな。乗れよ」
マジで…笑。

車に乗っていたのは三人のドイツ人と一人のスイス人だった。
しかもスイス人のヤツは母国語がドイツ語だった。そう。面白い国なんだよスイスって。ドイツ語のほかに、エリアによってフランス語とイタリア語を話す人たちが暮らしているんだ。
クライストチャーチから300kmも離れていたのに今日も30以上待つことなく僕は車を乗り継いでいる。12月末のニュージーランドは19時を過ぎても空が明るく、一日を長く使えているような気分になる。
今日もありがとう。そうして僕はクイーンズタウンへと辿り着くことができたのだ。
キャンピングカーの四人と別れると、僕はいつものように町をぶらついた。
クイーンズタウンは湖に面した町で四方を山に囲まれている。町は賑やかで観光客の姿が多かった。みなここで年を越すためにやって来たのかもしてない。

湖にはクルーザー何台か止まっていた。
その近くで何組かのバスカーを見つけた。ガットギターを弾いているバスカーがエグいくらいに稼いでいたし、この時初めて似顔絵を漫画のタッチで描くヤツを発見した。まぁ、絵柄は特徴を前面に出してデフォルメするだけのヤツだったけど。一枚5ドルだった。お客さんを座らせる椅子があったのはいいな。
僕はいてもたってもいられずにギターを構えたさすがに同業者(似顔絵のバスカー)の横で同じことをするつもりにならなかったので、10mくらい離れた場所で音を鳴らした。
こんな観光地だってのに、レスポンスは相変わらずの薄さだった。というかそもそも歌ってても楽しくない。なんだか最近絵を描きすぎて歌に対するモチベーションみたいなのが薄れてしまったように思える。まぁ、それが本来あるべき自分の姿だったんだけどさ。
それでも一時間くらいで20ドルが入った。いつも似顔絵で手応えを感じている分、何か物足りなかった。
『このままじゃ引き下がれない!』
というか、いつもの流れでマクドナルドにしけこむのもつまらなかったので、バーのあるストリートで僕は漫画を描き始めた。
日が暮れると通りは一気にうるさくなった。
辺りにはアホみたいに薄着をして極限まで足をむき出しにしたショーツやらスカートを穿いた女のコが闊歩し、男どもはワーワーと騒いでいた。

そんな中でも漫画が描けちまう自分に自分で驚いた。集中力が増すに従って雑音が遠く聞こえる。これは親父の血だな。ありがとよ。
もうレスポンスなんてどうでもよかった。
「とりあえず一枚完成させる」それだけを考えて絵を描いていると、「ふっ」とオーダーが入った。5ドル。悪くない。
続いて似顔絵が売れて、鼻にピアスを入れた女のコと似顔絵対決みたいなことをやった。
オーダーをくれたインド人カップルは僕の使っているInstagramのアカウント名「indianlion45」の由来を訊くと(単純にインドが好きなのとシャカラビッツの「オレンジライン」という曲を当時聴いていたから)、50NZドルがもらえた。
中にはもちろんうざったい絡みをするヤツもいた。
ギターケースにタバコが投げ入れられたが、僕は悠々とソイツを吸ってやった。
ワンピースのゾロを描いたりもした。中華系の女のコを二人描いてこの日のバスキングは終了。
アガリは120NZドル(¥9,946)。
時刻は23時前。
辺りは酔っ払いで溢れ、絡みも悪化していた。気づいたら看板がなくなっていた。誰かが持って行ってしまったらしい。あぁ、オーストラリアのどこかのバーのある通りで金丸さんが一回しかやらなかった意味が分かるな。稼げるのかもしれないけど、別に彼らからのレスポンスは欲しくないかな?
まぁいい経験になったよ。1ページ漫画も売れたしね♪
さてと明日で2015年もおしまいだ。最後の一仕事といこうか。

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