3月11日/台湾、台北
繰り返しの毎日に、今日がなんの日だったかあまり実感がなかった。
震災が起こって、原発事故が起こってから今日で五年だ。
関東に住む僕にとってあまり実感のなかった震災。
画面の向こう側で仮設住宅暮らしを強いられる人たちを目にすると、それが別世界で起こっていることのような気になってしまう?
僕には何ができるのだろうか?
自分の無力さ、力の及ばなさを認識した上で、僕は世界をよりよくしたい。世界というのは自分の暮らす身の回りの世界だ。
世界平和や戦争のない世界なんて僕ひとりの力では到底叶わない。
だけど、目の前の人を笑顔にさせるくらいは
できるかもしれない。
僕には僕なりのこの陰鬱な問題ばかりを抱えた日本に対するアプローチの仕方がある。そう僕は考える。
僕が滞在している台湾、台北の天候は雨の日の方が多く、それは僕にイギリスを思い出させた。
あちらは一日に数時間雨が降るだけだ。こちらは雨の日ならば雨の日らしくずっと降り続いている。
今日はスターバックスに直行せずに電化製品を扱う「光華商場」という場所へ行ってみることにした。目的はMacBook Proの下見だ。
以前会った台湾人のジェフが「ここが台湾の秋葉原みたいな場所だよ」と教えてくれたのだ。
ヤマダ電機みたいなものだろうか?もしかしたらここでちょっと安くパソコンが手に入るかもしれない。
光華商場は「忠孝復興駅」のすぐ近くにあった。
改札を抜けて地上に出ると、まだ雨は降り続いている。僕はアウターのフードをすっぽりかぶった。
そこにはいくつかの電化製品が軒を並べていたが、数はそこまで多いようには感じなかった。
あとから知ったのだが、その場所は光華商場の近くにあるただの電化製品通りなだけだった。
朝の段階では店もまだ開いておらず、僕はそこらへんのコンビニでコーヒーをすすりながら店が開くのを待った。
10時半になるとボチボチと店のシャッターが開き始め、11時になると全ての店が営業を開始するようになった。
僕は店をひとつづつまわり商品をチェックしていった。
目当てのパソコンはMacBook Proの15インチ、Retinaモデル。
これはiPadPro。早くタブレットで作業できる時代よ、来い!
日本で買った場合、整備品の19万から新品の22万円までだ。カスマイズによっても値段は上がっていくのだが、正直そのへんはよくわからない。
一応新しくパソコンを買う上でどれを買えばいいのかFacebookで知り合いに相談してみると、画像や動画を編集するの出れば15インチがいいとの意見をもらった。
そのアドバイスをくれたのはトヅくんという男の子で、僕はベトナムのサイゴンでほんの5分ほど立ち話をしただけの仲だったのだが、彼とはFacebookの友達申請をしていた。彼もまた旅好きな大学生で、僕が旅に出ている間に留学などもしていた気がする。
だいたい僕はこういう大きな買い物においては、ケチってついつい安いモデルのものを買ってしまう。
最初はMacBook Proの13インチでもよかったが、これから日本に戻ってデジタルで漫画を編集したりする場合にはやはりスペックの高いマシンの方が使えるだろうと思ったのだ。
なお、2016年中にはMacBookの新製品が発表されるらしい。
が、詳しい日取りも未定だし、新品はやっぱり高いだろう。何よりそこまで待てない。僕はできるだけ早くパソコンが欲しいのだ。安いのを見つけられたら中国語のキーボードでも構わず買ってしまおうかと僕は考えた。
だが商店にあったパソコンのほとんどはWindowsが主流でAcerやソニー、他のメーカーのパソコンがほとんどだった。
数件MacBookを扱う店もあったのだが、値段はどこも同じ感じだ。
そんな中で一件の中古品を扱う店を僕は発見した。
ショーケースには日本製のカメラが並べられている。中古品といっても状態のいいものを売っている。そんな印象を受けた。
僕はダメ元でその店に足を運んだ。テナントが詰まる地下、一階、二階のある平屋のような雑居ビルの二階部分にその店はあった。
なかはそこはかとなく高級そうな雰囲気が漂っていた。店員たちは若く、バックパックに手にはギターを持って入ってきた変なヤツ(僕だ)に困ったような笑顔を浮かべた。
商品のほとんどは一眼レフだったが、そこには中古のパソコンも売られていた。
そしてなんと
目当ての15インチのパソコンが
そこにはあった。
なんとキーボードには中国語が書かれていない。つまりUS使用ってことだ。
しかもなぜだか13インチよりも値段が安かった。
僕はどこか問題があるんじゃないかと気になったので、店員に言ってパソコンを見せてもらうことにした。
そのMacBook Pro15インチ(Retinaモデル)は2013年のものだったが、状態は中古品と思えないほど綺麗な状態だった。塗装もほとんどはげていないし、目立った傷もない。それどころか指紋だってついていなかったのだ。いや、指紋は店側で拭きとったんだろうけどね。
これが中国だったら外っつらだけ同じで、中身がそっくり入れ替わっているなんてことがありそうだが、ここは台湾だ。
え?台湾のクオリティってどうなの?
僕は台北の街にある新光三越のビルだとか、日本発の店を思い出した。
ほんとうにこれが大丈夫なのかしつこいくらいに店員に尋ねたが、店員が「このパソコンは問題があります」なんて教えてくれるわけない。なぜここまで綺麗な状態のままで売られてしまったのか?僕は気になってしょうがなかった。
価格はなんと13万円。新品よりも7万円も安い。
これは金をケチったことになるのか?いや、今年に新しいのも出るそうだし、もし故障したとしても浮いた金で払ってもいいんじゃないか?せいぜい3万だろ。釣りは来るさ。
よし。壊れること前提で使おう。
っていうかさ、ここまでの状態で売られているだんて、それも台北で!
これって運命じゃない?
このパソコンはおれのことを待っていたんじゃない?
今が買うときなんじゃない?
そうじゃない?
「よし!これ買います!」
僕はバスキングで稼いだ100NTドル札を束にして積み上げた。
店には紙幣を数えるマシンがあり、「カタカタカタカターーーッ」と間違いなくそこに100枚づつ紙幣があることを確かめてくれた。
保証は1週間つくらしい。
さすがに一週間以内に壊れることはないと思うが、まぁ、あとは運任せって感じだろう。これで故障したらやっぱり安物買いはよくないね。僕はやっぱりアホだねってことになる。ただそれだけだ。誰も困らない。
紙幣を入れていた紙袋が一気にしぼんでしまった。その代わりに僕は2kgの15インチのパソコンを手に入れた。サブバッグにギリギリ収まる大きさだ。
店員は僕にソフトカバーのケースをくれたが、それだけでは心もとなかった。
旅においてパソコンを持ち運ぶケースというのは非常に大事な気がする。
僕はアマゾンで1500円くらいの衝撃吸収を謳うケースを買ったのだが、縦方向からの衝撃に強くても、側面からの衝撃には強くはなかった。
以前13インチのMacBook Proを使っていたときは特に落とすことはなかったが、なぜだかWiFiがよく壊れた。
移動で振動が加わることが多かったことと、様々な環境化でパソコンを使ってきたというのがあるだろう。意外とキーボードにかけるカバーって大事。
まず僕は丈夫なケースを買うことにした。
中古ショップの店員に教えてもらった場所に行くと、そこには正真正銘の「光華商場」があった。
中は想像通り、日本の大手電化製品店のような作りになっていた。
4階までフロアがあり、様々なテナントがひしめき合っている。
帰国後に買おうと思っているタブレットも売られていたが、設定言語が中国語のみだったので、こちらは日本で買うことにしよう。
僕は片っ端からケースを売る店で商品を手にとってみた。
「ジャケット」はパソコンにそのまま装着できるカバーだが、なんだか見てくれが好きになれなかった。
MacBookはやはり何もつけずにそのままテーブルに上に広げるからこそワクワクするのだ。シールなんか貼るのも好き♪
そうやって世界中のAppleユーザーは自分だけのお気に入りのマシンと共にカフェなんて行ったりするのだ。
だから僕の買うケースは、ラップトップを中に入れる通常のケースということになった。
ショック吸収のケースは売られていたのだが、やはり側面からの衝撃には弱い作りになっていた。
ここでもくどいくらいに悩み倒した。
観光客慣れしている店員さんは英語で「ここでケチってパソコンを壊してもしょうがないよ?それなら」と8000円くらいするクソ丈夫なケースを売りつけようとしてくる。
あまりに悩んでいると、キーボード用のカバーもつけてくれると言ってきたので、僕はそのクソ高いケースを買うことにした。
“COZISTYLE”ってやつ。まぁ、頑丈ってことは確かだ。
おねーさん、ありあがとう!
ケースまで買うと日本での新生活に準備が一段落進んだ気分になれた。
今日はスタバに篭って一日中買ったばかりのパソコンをいじってもいいんだけど、ここに旅のテーマを忘れちゃいけない。
そうバスキングだ。
雨は依然として降っていたが僕は『お客さんなんて来なくてもいいさ。公開練習だと思えばいい』と軽い気持ちでバスキングを始めることにした。
看板犬よ。そこに寝るのはいかがなものか?
さすがに三日連続で同じ店の前ではできなかったので(たぶんやらせてくれたと思うけど)、今日はいつもと違うアーケードのあるこじんまりとしてた場所で漫画を描くことにした。
普通に歩いている分には通り過ぎてしまうような場所だ。最初っからお客さんが来るなんてことはあまりない。
そんな中でなんと一番はじめのお客さんは日本人だった。B系のお兄さん三人組がやってきて「値段が決まってないんなら100ドルくらいでも大丈夫?」と訪ねてきた。
もちろん最初のお客さんがどれだけ重要な意味を持っているかは、僕にしかわからないだろう。似顔絵を描き始めると、ボチボチとひとが集まってきた。
描いた似顔絵をお兄さんたちは気に入ってくれたみたいだ。なんと一人づつ100ドルも渡してくれたのはありがたかった。
ありゃりゃりゃ〜〜〜っす!
そこからいい感じでオーダーが入り、17枚の似顔絵を描いた。
中にはタイから旅行に来た女のコがいたり(タイ語で名前書くの難しかった)、昨日もきたトモというヤツが今度はおばあちゃんと弟をつれて来てくれたのも嬉しかった(それで彼自身も似顔絵をオーダーしてくれた)。
この日のアガリはメモをするのを忘れてしまったのだけれど、たぶん4000ドルくらいだと思う。
ニックネームがコーギーって可愛いな!
今日は雨だから、イラストもそんな感じ。
トモ。これから連日会うことになる。
似顔絵をここまで遊ばせ過ぎると、お客さんのリアクションも悪くなる。反省。
で、似顔絵メインに戻す。
「もう一枚描いてくれよ。今度はおれだけで」「お〜!いいよ!」
寝る前にドイツが作った原発のドキュメンタリーを見た。
テントを張っている市民プールからWiFiが流れてきたのだ。
内容は福島原発には工事の段階から設計ミスがあったとかそういう内容だった。事故は起こるべくして起こたのだと、そのドキュメンタリーは伝えていた。
僕はそれをテントの中で寝袋にくるまって観た。
戦後、経済大国になった日本は、どうしてだか、同時に巨大な悪のようなものも内部に孕むようになった。
保身のために問題やミスを摘発したりはしない。故障や欠陥を直さないのは問題が表面化することで自分の職を失いたくないから。もちろん原発から金を得ている人間は都合のいいことしか言わない。
個人の力で組織に打ち勝つのは不可能だ。
個人でできることは「逃げること」だと伊坂幸太郎は「ゴールデンスランバー」のなかで書いていた。
では、今抱える日本の問題をよくするためにはどうするのがいいのだろうか?
僕はやはり過半数以上の人間が同じベクトルに向かって日本を良くしていくしかないと思う。欲を言えばみんながそういう意識を持ってできることをやっていく。
別に僕は今のような世界を望んだわけじゃない。この世界を作ったのは上の世代だ。その上の世代によって世界は作られている。
考えてみたらおかしな話だ。人間はいずれは死ぬのに。徐々に徐々に世代は変わっていく。
そのはずなのに、状況が改善されている気配は感じないのはなぜだろう。洗脳されてんのか?
まぁ、僕なんかがあーだこーだ言ってもしょうがない。前向きにポジティヴに。
最初にも書いたけど、僕は僕なりのアプローチで世界に働きかければいいじゃない。
「何かいいことあったらいいね」
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