「遊びには才能がいる」。
大人になってからは特にそうだ。
っていうか、このセリフはどっかの著名人の言葉なので僕のことばじゃないけれど、それについてあーだこーだ考えようと思う。
まず必要なのは時間だ。
遊ぶ時間がなければ遊べないのは当然だね。社会人なら毎日8時間働いて土曜日曜はお休み。単純に考えれば土日でどう遊べるかが鍵になってくる。タフな人なら翌日に仕事があろうがなかろうが夜の街へGO!ってこともありうる。そう考えると、遊ぶためには体力もいるんじゃないかって思う。僕は睡眠時間は削れないな。絶対翌日に影響が出るもん。
次に必要なのはお金だ。
まぁ、お金なくても遊べるんだけど、あったほうが遊びの幅が広がる。おいしい酒を飲んだり、どこかへ美味しいものでも食べたり、ショッピングだっていうなれば遊びと考えてもいいだろうし、遠くへでかける時なんかには交通費もかかる。
お金がなくても遊べるっていう人もいるけど、そこには最低限のコストみたいなのはかかるんじゃないかな?たとえば、楽器を演奏するにしたって、その楽器を買うのにお金がかかるじゃない?
最後に大事なのが一緒に遊ぶ仲間だろう。
一人でも遊べるけど、そういう遊びの才能に長けたヤツとつるむのは面白い。
ざっくり「遊びには才能がいる」の説明をすると、僕はどこかの有名企業に勤めてバリバリ働いて、それでもガンガン遊ぶ人をイメージするんだけど、僕の場合はどうなんだろうって考えたんだ。
お金はないし、最近は週4でバイトをしているから遊びに使えるのは3日ってことになる。
っていうか、この遊びの考えは仕事を「遊びじゃないもの」と考えているのがミソだ。「仕事=遊び」だったら、最高だよね。まぁ、僕の今やっているバイトは割とそんな感じかな。
まぁ、ここは遊びの時間があったとしよう。一生懸命仕事をして生きるためのお金を稼いで、それ以外の時間が取れたって考えたとしてさ。
そう考えた時、僕は「漫画」が果たしてどっちに含まれるのだろうと考えてしまう。
人から見れば「好きなことをしていてお前はいいよな」みたいに思われるかもしれないし、7年も漫画を描いていていつまでも同じようなことをつ付けていて、「それなんなん?」って思うかもしれない。
僕にとって漫画ってなんなんだろう?
ここ二日ブログの更新が止まってたのは、遠くへでかけたり、人に会ったりして遊んでいたからなんだけど、僕の心はどこか引っかかっていた。
常に切迫感みたいなのを感じている「絵を描かなくちゃ!漫画を描かなくちゃ!」そういつも思っている。どんなに遊んでいてもその言葉は頭の片隅にあった。
僕にとって漫画を描くことは「遊び」であり、
同時に「日々の鍛錬」であり、
「夢を叶えるための手段のひとつ」でもある。
製作中は思うようにペンが進まないこともあるけれど(頻繁にね)、それでも僕は漫画を描くことを楽しんでいるつもりだ(時々忘れるんだけどね)
だけど、漫画を描くのにはすごく時間がかかるし、描けば描くほど人付き合いが悪くなっていく。
何度も描くけど、僕は旅漫画が描きたいのだ。
世界一周を舞台にした、とあるバックパッカーの話を。
だけどそれを描くためにはすごく時間がかかる。頭に思い描いた世界観を表現するためにはまだまだレベルアップが必要だし、そこまで到達するまでのプロセスも楽しい。
人にもよるんだろうけど、僕は一人で黙々と作業することも案外苦じゃないのかもしれない。
新しい生活が始まって、それを楽しむ一方で、絵を描く時間はぐっと減った。
このままの生活を続けていたら、一体旅漫画を描くのにどれくらい時間がかかるんだろうとも思う。ほんとうにこのままでいいのか?今の自分の選択が100%正しいとは断言できない。
二足のわらじでバーテンダーやSEをやっていた小説家が、本業の小説家になるために、仕事を辞める決意もいまならわかる気がする。
もちろん「遊び」も大事なのだけれど、僕は時間の大切さも最近よく思うのだ。
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