朝日が昇り
周りの様子がくっきりと見えるようになる頃、そこには来場者たちの姿はなくなっている。
さすがに飲食店も24時間営業をしているわけでもなく、ほとんどのテントは入り口を閉じられてしまっている。
また来場者がここへやって来る前に準備が始まり、忙しく駆け回る一日に備えているんだろう。
出店者はどこに泊まっているんだろう?
活動で夜を明かしてボヤボヤした頭をかかえて、僕たちはそれぞれの寮まで戻った。
活動が終わったばかりで何人かのボランティアスタッフはぺちゃくちゃ楽しそうにおしゃべりしながら帰路を歩く。まるで宿へ帰るまでの時間を愛おしんでいるように。
はっきし言って、僕はそういう風にぐだぐだと行動するのが好きじゃない。よっぽど気のあったヤツらとじゃないと、そういう喋りたい気分じゃないとサクサクと歩を進めてしまうのだ。
オアシスエリアから入場ゲートをくぐったところに着くころには、のろのろと歩いている他のスタッフの姿は後ろの方になってしまった。
まぁ、いいや。あとは寝るだけなんだ。
第二明岳寮に戻った僕は、洗濯を済ませ、風呂に入ると布団の上に体を横たえた。
外にはフジロックの第二日目を迎えようとしている来場者たちが入場ゲートへ向かう姿が見える。夜のフジロックと昼のフジロックではやはり、客層も違うんだろう。

目が
さめると、外には雨が降っていた。
時刻は12時。強制的に夜型の生活リズムになるので、アラームをかけても一発で起きることはできずに、なんどもスヌーズをかけてしまった。
窓の外を見ると、空模様はうっすらとしたグレー。雨が止む気配はなさそうだ。
僕は本日の13時からバスカーに出演することになっている。
顔を洗って歯を磨き、出発の準備をすませると、僕は入場ゲートをくぐった。ヘブンエリアをそそくさと抜け、僕はオレンジカフェにあるバスカー・ストップの受付へと向かう。

そこでお兄さん(去年もいた人だ)に声をかけて、あとどれくらいでステージ入りができるかを僕は尋ねた。そるとお兄さんはこう言った。
「いやーーーー、、今、押しに押してて。ちょっと待っててもらってもいいですか?」
「え?どれくらいですか?」
「3時間後にもう一度来てもらってもいいっスかね?」
悪びれた様子も見せずに、ただただステージの進行状況を僕に伝えるお兄さん。いやいや、3時間押しってどういうスケジューリングだよ?
「え..??!!ちょっと、それは困りますよ。だって、僕も友達に何時からステージがあるとか言っちゃいましたもん。それより、何が原因でこんなに遅れているんですか?」
「いやーーーー…、それは僕に言われてもわからないっスよ?」
「え~~~~???」
「どうします?出ます?」
僕は少しムっとした。
なぜなら、その時の尋ね方が僕に喧嘩を売っているようにしか聞こえなかったからだ。「別にあんたが出ようがこっちはどうでもいいんですけどね。あなたがどうしてもステージに出たいっていうのであれば、出してあげてもいいですけど?」みたいなニュアンスで。
売られた喧嘩は買うしかない。
っていうか、ここで退がったら、せっかくディジュリドゥを持って来た意味がなくなってしまう。
「いや、出ます!」
僕はそう宣言した。
すると、お兄さんは僕のディジュリドゥを預かってくれた。
こんな雨のなか、それも高価な楽器なので他人に預けるのには抵抗があったが、ここは腐ってもフジロックだ。楽器の扱いには慣れているはず。僕はその好意に甘えて楽器をお兄さんに渡した。
振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。キャップにメガネ。そして一番目を引くのはたっぷり蓄えられた縮れたヤギ髭だ。
デザインはかっこいいんだけど、素材的にはコンビニで売られているようなぺらぺらしたレインコートを纏った彼を見て僕はこう叫んだ。
「マサ!!!!!」
僕の目の前にいたのは”バケツドラマー MASA”だった。
小田原出身の彼とは、長谷にあるゲストハウス「IZA KAMAKURA」のイベントで2回ほど顔を合わせたことがある。
年齢も同じで、同じディジュリドゥを吹き(彼は塩化ビニールの自作ディジュリドゥを持っている)、バスカーであるということもあり、僕は彼に対してシンパシーを感じていた。
アーティストとしては彼のほうが各が高く。静岡県で行われた「りんご音楽祭」にも出場した経験がある。その攻撃的なビートはマジでかっこいい!
そんなマサがなぜフジロックに?
その質問の答えは自分が一番分かっていた。
それは間違いなくバスカーストップへの出場だろう。
彼がフジロックに参加するのは二日目の本日だけらしい。明日は仕事があるとかなんとかで、今日中には帰ってしまうのだとか。なんだかもったいないな。
マサは時間的な余裕がなかったため、友達にバスカーストップの出場を頼んでおり、その予約と自分の出演時間を確認しに来たみたいだった。
マサのライブをフジロックで聴ける贅沢。ちょっと見たいけど、バスカーストップのタイムテーブルが押している以上、僕は予定が合わなさそうだな。
心のどこかでは本業のミュージシャンの後に出番がなくて、胸をなでおろしていたのはここだけの話。
ステージを見に足を運んでくれたとびーを見つけて、僕はタイムテーブルが笑ってしまうくらい押していることを伝えた。
もちろん、とびーも見たいステージがあるだろうし、お互い夜から明け方にかけてのボランティア活動もある。
僕たちはひとまずボランティア本部のあるオアシスエリアまで戻ることにした。
グリーンエリアまで戻った時、とびーの友達とばったり出くわした。
とびーの友達というのは、かつてごみゼロナビゲーションでコアスタッフをやっていたことのある人物だった。
ごめん、名前忘れちゃったよ。えっと、そうだな。便宜的にKとでも描こうかな?ごめんね。

Kは彼女を連れて僕たちの向こう側からやってくるような形で、グリーンステージのはじっこ(あの鉄塔が立っているあたりだ)でばったりと出くわしたのだ。
「来てたんだ!」みたいなノリで会話が始まったかと思ったのだが、そういうわけでもなかった。
Kはしきりに今回のごみ箱ペイントのことをとびーに話していた。
というのも、学生スタッフ以外にごみ箱のペイントを依頼する立案者がとびーだったからだ。僕も彼を通してごみ箱に絵を描かせてもらう機会を得ていた。
今回、フジロックに設置されたごみ箱のうち、2箇所は別のアーティストによって描かれたものだ。
そのうちひとつはレッド・マーキーにある。山の神々と動物たちが描かれた美術チックな絵。これは自由大学に通うでいみーが描いたものだ。

そしてもうひとつの絵は、なんだか残念な箇所にあった。
もう一人のアーティストの名前はけっぴーという中学校の美術教師をするやんちゃ気なお姉さんの絵だった。
その絵は男の子と女の子が互いに手を取り合う絵で、中心には暖かな太陽が描かれている絵だった。
僕は神楽坂の倉庫で製作する時に彼らと会っているので、それらがどんな風にしてできてきたのか見てきた。
僕がフジロックに来てケッピーの絵を見て思ったのは「大事な部分が隠れてしまっている」ということだった。
フジロック当日にそのごみ箱が置かれていたのは、入場ゲート前の物販エリアと飲食エリアがある箇所だ。
ここはいつでも人がいるし、フジロックに来た人が一番最初に目にするごみ箱である。
そんな重要なポジションに置かれてるのにもかかわらず、そのごみ箱の前には電柱が立っていた。
その電柱は絵の一番かなめの部分を遮り、その絵を目にした人はせっかくの絵が電柱のせいで損なわれてしまっていることがすぐにわかっただろう。
Kが話したかったのはこのことだったのだ。
まず最初にKがとびーに伝えたのは「ありがとう」ということだった。
僕もごみ箱のペイントの関わっていた人間として、彼らの話は聞いておかなければならないなと思ったので、話には入らずに聞いていることにした。
Kの話を聞いていて分かったのが、
けっぴーの絵をアイプレッジのスタッフに移動してもらったということと、
けっぴーはフジロックに来れないということだった。
Kはいわば、フジロックに来ることのできなけっぴーに変わって思いを伝える代理人のような立場にいた。
けっぴーは、自分が魂を込めて描いた絵が、あのような場所に置かれてしまったことに対して大きなショックを受けているようだった。
ごみ箱を設置したアイプレッジからの連絡はなく、けっぴーの友達がごみ箱のありようをけっぴーに伝えたらしい。それもいけなかったみたいだ。
自分の絵がそのような扱いを受けたこと、ごみ箱を設置を指揮したアイプレッジ側から連絡がなかったことに、けっぴーは動揺し、怒りを覚えていた。そして心の底から悲しんでいた。
そうして、けっぴーはフジロックのチケットを取っていたのにもかかわらず、会場には足を踏み入れないという決断をした。他の人が描いた絵を見たら、自分の悲しみが再び蘇って来てしまうからだ。
けっぴーの想いはKの口を通して語られた。それを聞くとびーも複雑な顔をしていた。
なぜなら、ふたりはお互いに絵を描いた本人でもなければ、ごみ箱を設置した張本人でもないからだ。
それをわかっていながら、Kはけっぴーの想いを語るしかなかった。
その間、雨はずっと降っていたため、Kの着ていたゴアテックスの雨具がだんだんと濡れていくのがわかった。
雨具に雨が染みていくのは僕もとびーも同じだった。
Kの彼女はしばらくは近くにいたが、話が長引くのがわかると、一人どこかへ去っていった。
それを追わないKから察するに、この話はそれ以上のことなんだと思った。

Kの必死さは、とびーに話をすればわずかながらでも、それが当事者たちに間伝わるのではないか、という切な願いも込められているように僕には思えた。
話をする相手が直接関係がなかったとしても、なんとか自分たちの想いを届けたい。そんな話ぶりだった。
Kの話を聞いたとびーはアイプレッジの統括たちに掛け合って、無理を言ってごみ箱の位置を変えてもらったらしい。そういえば、朝に明岳寮の前を通った時に、けっぴーの絵はそこに移動していたような気がした。
というか、一人のアーティストの私情が、フジロックでという現場で反映されたことに対して、僕は驚いた。
普通の現場だったらここまで人は動いてくれないだろう。
というかーー…
僕はーーー..
Kととびーの話を聞いていて、僕は
『果たして自分にけっぴーと同じくらいの気持ちが絵に込められていただろうか?』
という疑問が浮かんだ。
僕の場合は、違う。
僕はその時の100%を画面に向けるが、それを完成させた後は、意識は次の作品へと向いてしまう。だから、過去の作品を見ると自分のダメだった部分にしか目が行かないため、なんだかやり直したい気分に駆られる。
僕は、いつまでもフラフラと絵を描いていればいいわけじゃない。いつだって頭のどこかには焦りがある。
早く稼げるようになりたい。絵や漫画でメシが喰えるようになりたい。
そのためには日々修練を重ね、描き続けるしかないのだ。過去に囚われている時間なんて僕にはないのだ。
確かに、
僕の絵が同じように扱われたとしたら、ショックだろう。怒りを覚えて、一時的にせよ誰かを恨むことになるかもしれない。
だけど、僕はそれでも、「自分のレベルなんて、まだまだそんなもんなんだ」と考え直して、溜飲を下げることになるだろう。
なぜなら、僕は自分のことを認めていないからだ。
いつだって、「こんなんじゃねえだろ?」って自分に言い聞かす。絵を描いていて満足なんてしたことない。
たとえ、それが前回よりいい出来だったとしても、いつも何かしらの絵に対するフラストレーションのようなものを感じている。
僕が描きたいのはこんなんじゃないんだ。
もっと絵が上手くなりたい。もっと。
自分の作品の対するスタンスというのは、人それぞれだと思う。
自分の作品をないがしろにする人間はいないと思う。中には僕のような次の作品に意識が向かっているようなやつもいれば、
けっぴーのように魂を削って自分の想いを作品に込める絵描きもいる。
Kの口からけっぴーの想いを聞いた僕は、彼女の想いを知るのと同時に、ごみ箱の設置の裏には様々な人の想いがあることに気づいた。
もちろん設置した方も、けっぴーの絵が多くの来場者の目に留まるようにあの場所を選んだというが、去年ごみ箱を設置した場所は土が削れてしまっており、やむおえずごみ箱を置く位置をずらした結果が、そうなってしまったということだった。だれも悪いヤツなんていなかったのだ。
それでも、心はすれ違ってしまう。
そして、僕はこれほどまでに人のこと想って必死に訴えかけるKの姿を見て心震えた。
僕は、自分が生きるのに精一杯で、Kのように人を想うことなんてできない。
だからこそ、今目の前で友達の気持ちを苗場まで持って来たこの男に対して心がゆさぶられたのだ。
雨の中で30分以上続いた話した終わり、二人は僕に対して「話を聞いてくれてありがとう」とお礼を言った。
僕は何気ない言葉を返そうとしたのだが、声はすぐに嗚咽に変わり、目からは涙がこぼれた。自分でもよくわからない涙だった。自分のことでもないのに。
二人はオアシスエリアの方へ行くと言ったが、僕はこのまま二人といても泣きっぱなしになりそうだったので、適当な理由をつけて二人と別れることにした。
Kととびーが去って言った方とは逆方向へと歩いていった。
足早にグリーンステージを横切り、そのままところ天国を通過して、ホワイトエリアの直前にあるボードウォークへと進んで行く。
あ~~~…、泣くなんてすげえ久しぶりだな。
雨が降っていたおかげで、僕の顔はそこまでひどくはならなかったはずだ(まぁ、もとがあれですけど)。
この時ばかりは苗場の雨に感謝せざるえなかった。


ボードウォークは
ホワイトエリアの直前からヘブンステージまでを結ぶ、森の中を横切る木でできた歩道橋のことだ。
ボードウォーク自体は道幅があまり広くなく、人が二人並んで歩いたら、追い抜かすのに苦労する。
ここが近道なのかそうではないのか僕にはよくわからないが、人の大勢いるエリアを抜けるのにうんざりした時に、僕はここを通るようにしている。
ちょうどボードをウォークを歩き始めたところで、一人の来場者が何もせずに立っているのが見えた。
彼の視線の送る方向にはホワイトエリアが見える。
と言っても、そのポジションからでは森に生える木々が邪魔をしてモニターもちゃんと見れないのだが、音はよく聞こえることは確かだった。
そこでライブをしてたのは”10-FEET”だった。
さすが関西のバンドということもあり、ライブの合間にあるコール&レスポンスアの掛け合いはもはや漫才。観客の煽り方を聞いているとなんだか笑えてきてしまう。
僕はボードウォークで立っていた来場者と同じようにして、ホワイトステージの方向を眺め、一曲ちょっと音に耳を傾けていた。
「お前らーーーーーー!楽しんでるかーーーーーー!」
「うぉおおおお~~~~~!!!」
「うるさーーーーーーーいっ!お前らがなぁ、そんなにステージ前で暴れまわるから地面グチャグチャやろーー!」
「おおおおーーーーっっっ!!!」
「だからうるせーゆっとんねーーん!」
それらのやりとりを聴きながら僕はボードウォークを通過した。
彼らのやりとりがどこか心を温めてくれた。
僕はグスグスしながらボードウォークを抜け、そして、バスカーズストップへと向かった。
今日は一日中が雨が降り続いている。
こういう時に、雨をしのげる場所があることがどれほどありがたいか身に沁みる。
バスカーストップは相変わらずの進行具合だった。
タイムテーブルがひっちゃかめっちゃかになり、とてもじゃないけど「バスカー」がプレイするような感じではなかった。
まぁ、飛び入り参加が許されている以上、そこはバスキングができるってことなのかもしれないけれど。
時間まで1時間以上あった僕は、トイレを済ますと、バスカーストップのすぐ近くにあるケータリングでコーヒーを買った。
こういう時だからこそ、ホットコーヒーは僕をじんわりと温めてくれる。

コーヒーのケータリングカーのちょうど向かい側にはタバコのメーカーであるメビウスのブースがあった。
どうしてフジロックにメビウスがブースを出しているのかはわからない。そこらへんの事情はどうなんだろうって思う。これがアメリカンスピリットだったらまだわかる気がするんだけど。
僕はすごいタバコを吸いたい気分だった。
その一服したあとの筋肉の緩みがどうしても必要だった。
ブースはメビウスの新製品をテイスティングすることによって、携帯灰皿がもらえるというものだ。
普段もらいタバコばかりしている僕はこの時ほど、タバコのブースに感謝したことはなかった。
トコトコとブースの中に入ると、そこには露出度の高いお姉さんたちがカウンター越しに来場者たちに新製品の説明をしているばかりだった。
ブース内には僕とお兄さんがひとり。
ふたりして新製品の説明を受け、「フ~~ン..なんかいつもと違いますねぇ」なんて言ったりして、適当に相槌を打つ。
ほんとうのことを言うと、確かにメンソールが従来のものより強かいということはわかっても、それ以外の吸い心地なんてこれっぽっちも僕には分からなかった。
というか、そこまでタバコを吸っていないからね。味がどうこう言われてさっぱりなのだ。
おまけにもう一本タバコをいただいた僕は、飲みかけのコーヒーを片手にメビウスが出しているキャンピングカーのようなワゴン車の中に入ることにした。
車内にはレコードプレーヤーとジャズのレコードが置いてあり、ここに入ってきた来場者が好きに曲をかけていいという粋なブースになっていた。
僕が入った時点では来場者(もちろん喫煙者だ)が女性が二人いた。
雨やどりがてらこのブースでくつろいでいるみたいだった。
フジロックには実にいろいろな楽しみ方があるのだ。こういう風にまったり過ごすのも悪くない。
僕は彼女たちから火をもらい、ちびちびとコーヒーを飲みながら、その合間にタバコをふかした。
あぁ、誰かここにいてくれたらいいのになっていつも思う。その「誰か」は分からなくて、僕は今でもその人を探しているような気分になる。スプートニクの恋人にもそんなくだりがあったっけ。
ジャズの流れる車の中で時間をつぶすと、僕は三度バスカーストップに出向くことにした。
「あと、どれくらい時間がかかりますか?」と尋ねると、サングラスをかけたチャラめのお兄さんは「もうでれますよ?」なんて言う。
やれやれ。
そんなサラっと言わないでくれよ。こっちだって三時間も待たされたんだぜ?僕のフジロックの予定もクソもあったもんじゃないよ。
ナイト班のみんなは誰も見にきてくれないだろうなと僕は思った。事前に連絡していたものの、予定は狂っちまったし、他のアーティストをよそに僕のたった数分のライブを見にくるなんて、どんだけ奇特な人なんだっての。
預けておいたディジュリドゥを渡してもらい、マイクを二本セットしてもらう。
一本はディジュリドゥの下に、そして残るもう一本は自分の口元に。
フジロックの片隅にある小さなステージからでも、舞台の上に立つと景色は変わる。もう世界中の路上でバスキングをこなしてきたので、このくらいのステージであれば、緊張はほとんど感じない。まぁ、そもそも人がほとんど見てくれてないからなんだけどさ..。
オレンジカフェにいる人々は大きなテントの下で各々に食事をとり、2割くらいの人たちが飲食店の前で列をなしている。
そしてごく少数の人がステージ前の椅子に座って、これから何が始まるのか、わずかばかりの興味を僕へ向けてくれる。
そこで同じボランティアのりょーたとじゅんのすけの姿を見た。
たぶん連絡なんて行ってなかったろうけど、たまたまここに来たら僕のライブがやっていたなんていう偶然だってあるのだ。知り合いがその場にいてくれることがどれだけありがたいことか。
始まる前に、僕はMCで、けっぴーのペイントについて話した。
ここに来れなくなっちゃったひとりのアーティストのペイントをどうか一人でも多くの人に見てもらえますようにと。
ディジュリドゥの即興のライブは、はじめて人前で「ライブ」としてディジュを吹いたにしても上出来だったと思う。後で、じゅんのすけがLINEで共有してくれた動画を見て僕は自分で自分を褒め称えた。
ライブが終わったあとに、僕はすぐに舞台を降りて二人にお礼を言った。
たまたま見にきたとはいえ(二人は、まさか僕がステージに上がっているとは思わなかったと言って驚いていた)、知り合いに見にきてもらえるというのは嬉しいものだ。
自分のステージが終わると僕はディジュリドゥを回収して、二人と一緒に会場を戻り始めた。
その道すがら、オレンジカフェを出てすぐのところに怪しげな看板を僕たちは発見した。
そこには「この先に温泉がある」と書かれているではないか。
フジロックに温泉なんて初めて聞いた。
僕たちは興味津々でその先にあるものを確かめてみることした。
地面は雨でぬかるみ、ところによっては沼のようになっている。
どういうわけだかじゅんのすけのヤツはフジロックにバンズのスニーカー(しかもローカット)で来るという蛮勇を見せてくれていた。彼の足元はすでに泥水でぐちょぐちょになり、裸足の方が気持ちいいんじゃないかって思ったほどだ。
僕たちは数十メートル進んだところで立ち往生することになった。
道が想像以上に険しかったからだ。
これが晴れの苗場だったら、僕たちはその先の温泉があるのか確かめにいったかもしれない。だが、今日は一日中雨が降り続いているし、足場もだいぶ悪くなっている。
僕たちが引き返えそうとすると、ちょうど向こうから家族4人が温泉を目指して歩いてくるところだった。
僕たちは彼らの検討を祈ると再びフジロックの会場へと戻り、本部へ向かって引き返すことにした。

グリーンエリアにはこんな雨の中でも一定数の人たちがいる。
彼らはポンチョを着たり、テーブルを出したりしているのだけれど、僕は人々の着ている雨具の性能が気になった。
これだけ一日中雨に降られていたら、雨具も湿ってくるのではないだろうか?
こんな天気の中でよく頭に浮かぶのがベトナム戦争のことだ。
僕は小説や映画なんかでベトナム戦争に触れることがあった。
中でも「フォレスト・ガンプ」のワンシーンは強烈だ。
ガンプがジェニー向けて雨のテントの中で頑張って手紙を書く姿や、相棒のババと背中合わせになってスコールの中で眠るシーンなんて特に。
だから僕は、こんな風に雨が降りしきり地面がぬかるんでいる光景を目の当たりにすと、ついついそういうイメージが頭の中に浮かんでしまうのだ。
シフトは18時から始まる予定だったが、時刻は17時を過ぎたところだった。
こういう遊びにもいけない微妙な時間に自分の身を置いた時、僕はどこで時間をつぶせばいいのかと途方にくれてしまう。しかたがないのでトイレに行って、オアシスエリア内をふらふらと徘徊するにとどまった。

雨脚は弱まったり、強まったり..。
シフトが始まると、僕は自主的に場外エリアでの活動に志願した。
あぁ、「志願」って書くとまるで戦争にでも行くみたいだな。
ある意味、来場者に対するごみ資源の分別ナビゲーションってのは戦争でもあるんだよ。みんながご飯を食べる時間はバラバラなわけだし、メインアクトが終わった後は一気に飲食エリアに人が流れ込んで来るからね。
僕が場外エリアの活動に手を挙げたのは、昨日思う存分ステージが見れたからだ。
フジロック二日目のアーティストにはそこまで僕が見たいと思うアーティストもいなかった。
その代わり、他の班のメンバーは今日のアクトが見たくてたまらないってヤツもいる。こういうバランスが大事なのだ。みんなが気持ちよく活動できた方がいいからね。
それに、何も活動自体がつまらないだなんてことは決してない。
どんな場所にいても、そこはフジロックなわけだし、場所が変われば、そこから見える景色も当然違って来る。
まず最初に向かったのはキャンプサイトの脇にあるごみ箱だ。
ここのごみは、ありがたいことにあらかた分別されてごみが捨てられていた。
場外エリアは人が入らない時間帯もあるので、分別を促す人間がその場にいないと、ごみが好き勝手に入れられてしまうことが多い。
だが、時々このように来場者が分別に意識を向けてくれる時があるのだ。フジロッカーの意識も向上しているということなのだろうか?
おかげで最初のシフトは緩やかに活動を楽しむことができた。

そして時間が経ち、一部のメンバーはごみ箱の場所を移動することになった。
僕が赴くことになったごみ箱は奇しくも、今日けっぴーの絵が移動された場所だった。
そこにあったごみ箱は別のペイントへと代わっており、山盛りのごみが中には溜まっていた。フジロッカーに時間や天候なんて関係ないのだ。分別がほとんどなされずに溜まったごみを見て僕は肩を落とした。
僕とえだ(もう一人の活動メンバーだ)がまず最初にやったことは中のごみを掻き出すことだった。
150リットルの大きなビニール袋に溜まったごみをてみと呼ばれるプラスチック製の道具を使って掻き入れていくのだ。
残念ながらこの時掻き出されたごみは分別されずに、燃えるごみとして処分されてしまう。
勘違いしてほしくないのだが、僕たちはごみを拾うスタッフではないのだ。
フジロックの会場を綺麗にし、資源を回収するのは、そこにやって着た来場者のすることなのだ。これはアイプレッジのスタンスでもあり、フジロックの主催者のステイトでもある。
それに、いちいち分別をしていたのではまず時間が足りない。限られた時間の中で効率よくごみをさばいていくのには仕方のないことでもある。
あぁ、みんなもっとちゃんと分別してくれれば、こんな風に思うこともないのにな。
一生懸命ごみの掻き出しをしていると体がほてり、吐く息は白くなった。
空はもうすっかり暗くなって降り、ビーム状に伸びたライト光が雨雲を照らし出しているのが見えた。
場外に設置されているライトを見た時、そこに映し出されたのは、無数の雨粒がライトの明かりを反射している光景だった。
それは、雨粒よりももっと繊細で、霧のように漂うわけでもなく、ただ静かに音もなく地面へと降り注いでいった。
僕はその光景を見て、放射能から逃げるだなんて無理なことなのだと諦めに似た感情が浮かんだ。
肉眼では見ることのできない微粒子たちは風にのって日本のいたるところに撒き散らされてしまった。
あれから6年以上経ったけれど、自分がどのような影響を受けたのかはわからない。
原発事故なんて過去のことのように思うムードも一部では出来上がっているような気がする。政治家は都合のいいことしか言わないし、僕も自分の人生を生きるのに必死で、彼らと戦う気力を失くしてしまった。
体の調子が悪かったとしても、果たしてそれが放射能のせいなのかどうかさえもわからない。
僕にできることは、自分のことは自分でやるくらいしかないのだ。
自分の体を強くしてくことくらいしか、僕にできそうなこともない。
活動をしている間に僕が感じることはそんなことだった。
ひっきりなしにごみを捨てに来る来場者に分別のナビゲートをしていると時間はあっという間に過ぎていってしまう。
ナイトシフトだからといって、それは深夜のコンビニ営業のそれとは全く種類の違うものなのだ。
その夜、霧雨はずっと振りしきり、ヘブンステージで買った”GO WEST”のニット帽は雨を吸い込み、いくらか重くなっていた。

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