世界一周586日目(2/4)
昨日ここ
を紹介してくれたマサは
(今僕が泊まっているホテルだ)
15分遅れてやって来た。
僕は30分まで待って来ないようなら、
『失礼千万!けしからヤツだ!』とプリプリ怒って
ツアーの約束なんてキャンセルして、
個人的に近くの村に行ってみようと思っていた。
『来ない方が実はありがたいんだけどなぁ』とも思っていた。
だけど、彼はエチオピア人にしては
(っていう言い方は失礼なんだけどね)時間を守って来たのだ。
ここはエチオピア、ジンカ。
エスノツーリズムが盛んな場所だ。
多くの観光客はここにムルシ族やその他の民族に会うために
この小さな町にわざわざやって来る。
この日、いつものように寝坊した僕は、
近くのカフェで朝食代わりのコーヒーとクッキーと呼ばれる
パサパサしたパンをかじった。
通常3ブル程度のコーヒーが僕が行ったカフェでは
5ブルという強気な価格設定で、
『え?いつもなら3ブルっしょ?』と抗議したが、
お店の女のコは「いいえ。うちではいつも5ブルなのよ」
とニコニコしながら答えた。
横にいた英語の喋れる兄さんがやけに優しかったので、
『ボラれているんじゃないか?』と勘ぐったくらいだ。
釈然としないまま部屋に戻り、
テーブルに向かってノートに漫画を描いた。
そして13時前になりると、
日本人のマナーとも言える「時間厳守」を全うするために、
宿の外で直立不動でマサのことを待ったのだ。
マサは
アリ族出身だ。
町の中心地から彼の村は7kmほど離れているため、
バイタクで向かうと言う。
一応今日のアリ族の村へ行くガイド料を
100ブル(592yen)払うつもりだとマサには伝えておいた。
もちろんマサの分の交通費は僕持ちだ。
だからバイタク、それも一人一台で村まで行くと
マサが言い出した時には
「一台に三人乗ることはできないのか?」
と訊いてしまった。
バイ(ク)タク(シー)と言えども、
そこら辺にいるバイクを持った暇そうなお兄さんとおっちゃんに
お金を払ってアリ族の村まで送ってもらうという内容だ。
一台30ブル(178yen)。
文字で書くと安いのだが、現地にいると高く感じてしまう。
僕を乗せたバイクはジンカの町を離れ、ボコボコした道を走った。
アイツけっこう楽しそうだな。
村への道の途中は全く舗装されておらず、
車やバイクが何度も行き交ったおかげで砂利道がむき出しになり、
そこを走ると砂煙がもうもうと立ちこめた。
特に前からバスやトラックが来るととてもじゃないけど、
目など開けていられなかった。
振動もなかなかのものだった。
ガタガタと揺れっぱなしで、
30ブルの金額に見合った交通のような気がして来た。
アリ族の村で降ろしてもらい、僕は二人にお金を払った。
「毎度アリー!」
マサが先頭に立って村へと入っていく。
僕は彼の後ろに続いた。
アリ族の村は山の中にあった。
山と言ってもそれほど山奥ではなく、
ジンカの町に比べると回りに山があり、
生えている木の数も多い。住居も簡素なものばかりだ。
一体どのような心構えでここを訪れたらいいのか
自分でもよく分かっていなかった。
ただ、沢山の民族が住むジンカに来たのだから、
そのうちの一つでも尋ねておいた方がいいだろう、
というツーリストの気持だった。
ここの住んでいる人のことなんて
これっぽっちも考えていやしない。
向こうからやってきた村民と目が合うと
「ハロー」と愛想良く挨拶したつもりだったが、
かなりぎこちない挨拶だったと思う。
マサの案内に従って、僕は村の中へと入っていった。
林の中にポツポツと家が立っている。
「ここでは何人くらいの人が住んでいて、
うんたらかんたら〜」
公式なガイドではないにせよ、
自分が住んでいる村について英語で説明してくれるマサ。
僕も「ハハン」と適当に相槌を返した。
途中、一軒のカフェに立ち寄った。
中ではおっちゃんたちが
のんびりと黄色い液体を飲んでいた。
「あれね。”ハニー・ワイン”だよ?飲んでみる?」
昼間っからアルコールとは、まったくピースフルなところですね。
出てきたのはまるまる一本の瓶。
それで10ブルという格安の料金だった。
コップに注いでマサと二人でハニー・ワインを飲んだ。
ハニー・ワインは口に含むとほんのりと
お酒っぽい苦みがあったが、
アルコール分は含んでいないとのことだった。
なんだノン・アルコールってことか。
これならお酒に弱い僕でも飲めるな。
いきなりカフェにやってきたアジア人を、
他のみんなは興味深そうにチラチラと見てきた。
僕は作り笑顔をして、彼らに挨拶をした。
しばらくすると向こうのテーブルに
大きな平皿に盛られた食事が運ばれて来た。
なんだろうとそれを見ていると、
お店のおばちゃんがこちらのテーブルに食事を少し分けてくれた。
運ばれて来たのは豆とコーンを蒸したもので、かなり熱かった。
「アリ族はね、一人ではご飯は食べないんだ。
こうしてみんなで食べるんだよ」
マサはそう説明した。
食事はかなりシンプルなものだったが、新鮮で美味しかった。
それを表情や言葉に表すと、
回りのみんなもちょっとだけ心を開いてくれたような気がした。
僕はみんなを喜ばそうとハーモニカをふいてみたり、
ノートにへったくそな似顔絵を描いたりした。
似顔絵を描いてみて思ったのは、
黒人の肌を斜線で塗るのを彼らは
どう思うのだろうということだった。
見せる分には難しいね。
食事を済ませてアリ族の村の見学は続いた。
子供たちは「チャイナ!」といきなり現れた僕に対して
楽しそうに声をかけてくれる。
小さな男の子がマンゴーをわけてくれた。
僕はありがとうと言って1ブルを渡した。
「お金なんて渡さなくても
ここじゃマンゴーなんてタダで手に入るんだよ。
そこら辺に生えてるからね」
「まぁーー、なんて言うのかな?
レスポンスがしたくてさ」
僕たちが歩くと、先ほどの子供たちも後をついて来た。
ちょっとしたハーメルンの笛吹きだった。
気分がよくなった僕はここでもハーモニカを披露してみた。
ウケは抜群によかった。
マサは気を利かせて僕がハーモニカを演奏しているのを
写真に収めてくれた。
撮ってもらった写真をチェックしてみると、
お団子頭の馬鹿がハーモニカを吹く写真が
20枚以上も記録されていた。ちょっ…、撮り過ぎでしょ(笑)
ハーモニカ・ダンス!
こうして自分の姿を見ると、ほんとうバカっぽい。
ガキんちょを追いかける僕。必死で逃げるガキんちょ。
「ほら吹いてみ?」「プゥ〜〜〜〜…♪」
僕はだんだんとこのアリ族の村にいることに慣れて行った。
大事なのはここを訪れる自分の心構えだった。
物珍しさで冷やかしに行くのではなく、
大切なのは「会いに来た」という気持だと思う。
そこには、ここに住む人たちへのリスペクトも含まれているし、
村の人々と顔を合わせれば挨拶をする。
とてもシンプルなことだけど、
これがあるかないかでは村での過ごし方も違ってくるはずだ。
じいちゃんやばあちゃんの家に遊びに来た感覚にも近いかもしれない。
アリ族の村に遊びに来た僕を彼らは温かく迎えてくれた。
僕たちが最初にやって来た場所に
バスが停まっているのが見えた。
どうやらジンカまで戻るバスらしい。
「お~~~い!待って~~~~!」
大声で叫んでバスまで走った。
バスはちゃんと僕たちのことを待っていたくれた。
バスの中にはバンナ族の男性が三人乗っていた。
足の長さが目立つ腰布。アクセサリーの数々。
頭のてっぺんだけ編み込んでいる。
どういう流れだったかは忘れたが、
ここでも僕はハーモニカを吹いた。
彼らにハーモニカを渡すと楽しそうに
デララメなメロディーを奏でた。
僕はこのひと時が楽しくてしょうがなかった。
来る時は全然笑えなかったのに、
帰る時には自然に笑えるようになっていた。
「ツアー」という言葉に捉われる必要は全然なかったのだ。
砂煙をもうもうと上げてバスはジンカへと戻った。
ガイド料に僕は100ブル札をマサに渡した。
マサは
「ご飯を食べたいからもう50ブルちょうだいよ?」
と言ったが、僕たちは事前に
この金額で了承していたのだと僕が言うと素直に引き下がった。
明日は彼がマーケットに連れて行ってくれるという。
雑貨屋”Drift”に合った、いい商品が手に入るかもしれない。
もしいいガイドになってくれたら、
チップとして金額を上乗せしてもいいかもな。僕はそう考えた。
マサにWi-Fiが使えるネット屋の前で別れた。
だが、肝心のWi-Fiはうんともすんとも言わなかった。
ここは欧米人たちの利用者が多く、
中には一ヶ月もジンカに滞在する者もいた。
そしてここではみんな同じように
Wi-Fiが使えないことにヤキモキしていた。
この日の残りは部屋に戻って絵を描き、
夕飯は昨日と同じ物を食べた。
綺麗なトイレに綺麗なベッド。
満月から数日しか経っていない月の灯りは
煌々と夜空を照らし出した。
なんだ。なかなか場所じゃないか。ジンカ♪
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★世界一周ブログランキングに参戦しております。
いい経験ができました。マサに連れて行ってもらってよかったと思います。
僕はやっぱりどこかひねくれているから、
純粋にこういうツアーを楽しめないところがあるけど、
アリ族の村のように温かく迎えてくれると嬉しいのです♪
★旅する雑貨屋”Drift”
☞こちらは相棒のまおくんが手がけております。
★Twitter「Indainlion45」
俺のハーモニカが大活躍しておる。
嬉しい限りである。
>まお
ハーモニカ、というか楽器は旅の必需品だよね。
「ガキの大半は楽器(ガッキ)で落とせる」
なんつって(笑)
ハーモニカ・ダンス! いいね!!
エンターテイナーですね。
マサがいい人でよかった。
>あっきーさん
僕がこの技を編み出したのは
ラオスのルアンパバーンでした。
マサはなかなかに気配りができるヤツで
ちょくちょく写真を撮ってくれたのですが、
自分の姿を見ると
『あぁ、アホっぽいなぁ〜..』
と自分の姿を見て、ちょっとがっかりしました。
いや、ピエロなのか。