「チリで一番醜い町」

▷11月14日/チリ、カラマ〜アントファガスタ

 

 

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朝イチで出発しようと思っていたのに、気がつけば8:30を過ぎていた。14ドルもする宿だけあって、泊まってみればそこそこに居心地がよかった。

部屋のドアを開けるとそこには昨日の夜に干したTシャツが足元に叩きつけられてあった。きっとスタッフがやったんだろう。なぜ外に洗濯物を干すのがいけないのか理解できない。

テキパキとパッキングを済ませたぼくはさっさと宿をチェックアウトした。

 

 

 

ついに今日はヒッチハイクで旅を始める。参考にしている”hitchwiki”にはチリはかなりヒッチハイクがやりやすいと書いてあったが、果たしてそれは本当だろうか?

 

 

町外れまでは2kmほど距離だったので、僕は歩いてそこに向かうことにした。

雑貨の詰まったバックパックと手提げ、そして片方の手にはギターを持っているもんだから移動はしんどかった。15分も歩けば汗がにじんだ。

ただ、ここが高所ではなかったのでペルーやボリビアののような息切れは感じなかった。

 

 

なんだかんだでヒッチハイクの場所まで到着するのに一時間がかかっていた。

一旦荷物を起き、昨日買ったりんごジュースの残りをすべて飲みきった。よし!やるぞ!

 

 

 

ダンボールに”ANTOFOGAST”と書き、久しぶりに僕はヒッチハイクを始めた。前回はメキシコだったかな?

数台の車が通り過ぎていった。ちゃんとボードを見てくれているし、中にはニコニコして手を振ってくれる人もいた。

 

 

手応えを感じているとすぐに車が止まった。

開始わずか10分の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

NISSANのワゴン車を運転するレオナルドさんはジャズが好きな50代の白髪のおじさんで英語が喋れた。

車のハンドルにはマジックテープが貼ってあり、スマートフォンをそこに貼り付けられるようになっていた。「これは私の発明なんだ!」と得意げにレオナルドさんは言った。使っているのはiPhone6s。けっこうお金持ちのようだ。

 

車はまっすぐ続くハイウェイを走った。辺りは相変わらず乾燥した大地が広がっている。

どうやらここら辺では銅山が沢山あるらしい。レオナルドさんはアントファガスタ州で100年以上続く銅山の発掘の会社でエンジニアをしているらしい。

レオナルドさんは「昔勉強した英語を思い出しながら喋るから君との会話は私にとっていい機会だよ」と言っていた。英語そのものはそこまで早くなったが、僕の知らない単語が時々出てきた。会話は途切れることなく続き、あっと言う間にアントファガスタに到着した。

 

海沿いの町、アントファガスタ。海の見える町はいい♪

あとで聞いた話では、この町は「チリで一番醜い町」の称号をとってしまったらしい。たぶん物価が高いのが大きな原因なのではないだろうか?

 

 

 

 

レオナルドさんは僕が雑貨を郵送したいと言うと、郵便局まで車を走らせてくれた。

やって来たのは、カラマでもあったChileexpressだった。だが時すでに遅し、店はもうしまっていた。

ちょうど中から職員のおばちゃんが出てきたので、レオナルドさんは船便に関して彼女に尋ねてくれたが、ここでも船便なんてないと言う。

 

 

困ったことになった。雑貨はすぐに郵送してしまいたい。だけど今日は土曜日。明日も定休日。月曜にならないと店は開かない。

どうする?このまま重たい雑貨と共に先に進んで移動距離を稼ぐか、もしくはー…

 

 

 

 

僕たちのいる場所はちょうど歩行者天国だった。土曜日ということもあり、道は賑わっている。レオナルドさんも「路上で歌うならここだよ」と言っていた。

お礼を言ってレオナルドさんとは別れた。一応、船便を扱うらしい別の店の名前も聞いておいた。

 

ひとまず僕は宿を探すことにした。マップアプリにホステルが検出されたので、そこに行ってみたのだが、なんと値段が15000ペソだと言う。21ドルってどこのホテルだよ‼︎

ホステルとか言う名前の割には、スタッフには愛想の欠片もない。どう見ても空室がありそうなのに「満室だよ」と言われた。

僕は近くを歩き回ってみたが、どこも同じような金額で、スタッフたちは憎らしいほどに愛想のないヤツらだった。中には「二泊以上しないと泊めない」とかいう条件を突き付けてくるバカもいた。

僕は野宿を迫られていた。だが、ここで負ける訳には行かない!

 

 

 

 

重たい荷物を引きずって戻ってきたのは歩行者天国。電柱を背にして荷物を置きギターを構えた。

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歩行者天国上では他のバスカーの姿があった。どいつもこいつもアンプを使って大音量をまき散らしている。

幸い歩行者天国はそこそこ長かったので、彼らとは音のかぶらない場所で演奏することができた。

レスポンスは昨日のカラマと比べるとあまりよくないように思えた。音楽をやるバスカーたちが他にいるせいで、町の人間の耳が肥えているのかもしれない。

 

だが、ポツリポツリとレスポンスが入るようになった。100ペソコインは17円の価値だが、入れられる時はジャラジャラと数枚で入る。もちろん、それ以下の10ペソだとか50ペソのコインもあるが、一番多いのはこの100ペソコインだ。

 

 

だんだんと調子が上がってきたタイミングで警察だかがやってきた。赤いビブスを着た小柄なメガネをかけたおじさんだった。

スペイン語は分からないが、ここで演奏するするなと言っているようだ。

ダメ元で僕は引き下がってみた。「あっちでもパフォーマンスしている人がいましたけど」とジェスチャーで抗議する。

すると歩行者たちが急に僕らの前に集まり始めた。僕の代わりに「ここでやらせてもいいじゃないか!」と言ってくれているようだ。見回りのおじさんへの当てつけのように、演奏もしていないのに
ギターケースの中にコインや紙幣が投げ込まれた。「おれたちは好きで聞いてるんだ!」とでも言うように。

多数を相手におじさんはムスッとしてその場から立ち去っていった。女の人がわざとらしく「チャオ〜!」と二度言った。

 

さぁ、こうなると困ったのは僕だった。まだ僕の周りには人だかりができている。こういう時はベタか曲で逃げるのがベター。なんつって。
鉄板の”Stand by me”を歌い終わると聴衆の大半ははけて行った。

というか、さっきの見回りのおっちゃんのおかげでレスポンスが増えた。お邪魔キャラのように思えて、ラッキーを運んできてくれたのだ。

二時間ほど歌い上げて僕はバスキングを切り上げることにした。今回もコインでギターケースがずっしりと重くなっていた。

 

 

 

 

 

僕は再び宿を探すことにした。今いる歩行者天国と直角にぶつかるようにして別の歩行者天国があった。こちらは出店が多く、わりかし年齢のいっているヒッピーたちがアクセサリーを売っていた。

僕が彼らの前を通り過ぎると、そのうちの一人がニッコリと「オラー!」と声をかけてきてくれた。僕もそれに返事をし、通り過ぎようとしたが思い直して引き返した。

 

「ねぇ、もしかして安い宿知ってる?」

「え?知らないなぁ。あ、コイツなら知ってるんじゃないか?」

 

横でアクセサリーを作っているヒッピー僕が尋ねると、なんと5000ペソの宿があるというじゃないか!しかも先ほどいた歩行者天国のすぐ近くだ!さすがヒッピー!

お礼に僕は300mlの小さなコーラを買って、情報提供料として彼に渡した。

 

 

ヒッピーに教えてもらった宿は確かにそこにあった。レセプションは薄暗く陰気な感じがする。

僕は受付のおばさんに「友達が5000ペソの部屋があるっていって来たんですけど」と言って料金を訪ねた。おばさんは「そんな部屋ない。あるのは10000だ」という。

「え〜〜〜…」と唸っていると

「エコノミカで8000のはあるけど」と付け足した。なんだよ!あんじゃん!

二泊分の料金を先ほど稼いだコインで全て支払った。それでも手元には20ドル分のチリ・ペソが残っていた。っつーことは今回も40ドル以上は稼げたってことか。すげーなチリ。

 

 

11ドルの部屋はベッド二台分くらいのスペースしかなかった。一応コンセントかがあるのが救いだ。もちろん宿にWi-Fiなんてものは存在しない。

僕はバックパックと雑貨の入った手提げを置いて一息ついた。

そして、先ほど僕をこの町まで連れてきてくれたレオナルドさんが「ジャズのセッションに来ないか?」と誘ってくれたことを思い出した。車内でかけていた選曲のセンスもなかなかだったし、ちょっと行ってみようか?

頭の中には「面白い方へ!」という言葉が浮かんでいた。

 

レオナルドさんには電話番号だけ教えてもらったので、僕は歩行者天国にある公衆電話から電話をかけた。100ペソコインを3枚入れた。

すぐにレオナルドさんが応答し、僕はジャズのセッションを見学したい旨を伝えた。自分が今いる場所がうまく伝えられずにいると、みるみるうちに300ペソ分の数値が減っていった。どうやら100ペソ一枚につき30秒間しか会話できないらしい。って短くねぇ⁈

さらに300ペソを投入し、レオナルドさんにはどこで拾ってもらうか約束を取り付けた。

タバコを吹かして待っていると、15分ほどでレオナルドさんが車で迎えに来てくれた。

 

 

 

練習場所はメンバーの家の一室だった。ギターとベースの二人はレオナルドさんよりも歳が若かった。

レオナルドさんはドラムステッキを忘れてきたようで、僕を置いて一度自分の家へと戻った。その間僕は二人の練習をずっと眺めていた。

 

最初、レオナルドさんに会った時、セッションなんて言っても素人に毛が生えた程度だろうと甘く見ていたのだが、二人のレベルはかなり高かった。安定したベースのリズムの上でギターが暴れまくる。それでいてジャズだった。どれだけ練習すればここまで上手くなれるのだろう?と思うほど、僕が弾くギターのレベルとは格が違っていた。

僕は何もすることがなかったが、音に耳を傾けているだけでよかった。じっくり耳を傾けていると、どれほどジャズが複雑なのか分かる。

 

 

30分ほどしてレオナルドさんが戻ってきた。そして三人のセッションが始まった。

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中には僕の好きなウェス・モンゴメリーの曲もあった。レオナルドさんのドラムの腕も上手かった。

これが果たして練習なのだろうか?と思えるぐらいに音が止むことがない。時々「だからここは「パッパラパッパー♪」なんじゃない?」みたいは感覚的な言葉が入るだけだ。今回が集まるのが二回目だというのが驚きだ。

練習は19:00から22:00まで続いた。最後の方は僕はジャズに耳を傾けながらずっと日記を書いていた。いい作業時間だったな笑。

 

 

 

練習が終わるとレオナルドさんは彼の家に僕を連れていった。この後別の友達と会う約束らしく身支度を整えたいと彼は言った。

レオナルドさんはカラマに住んでいるが週末になるとアントファガスタにやってくるらしい。つまり彼は二軒住む場所があるのだ。

 

 

彼の家はマンションの最上階である21階にあった。そこからはアントファガスタの町の夜景と海がよく見えた。

こちらの家はあまり使っていないらしく、最低限のものしか置いていなかった。

レオナルドさんは「お腹が減ったからサンドイッチでも作っていてくれ」と僕をキッチンに立たせた。だが、サンドイッチといってもそこにはベーグルみたいな生地の三角形のパンと固形チーズしかない。

彼が服を着替えている間に僕はいくつかサンドイッチとも呼べない代物を作って一人でパクパク食べていた。

彼は自分の分も僕に作らせたが、出発の前になって「今は食べる気がしない」とか言い出して、結局作ったサンドイッチは僕のものになった。家を出る前にブルーベリーのジュースを僕にくれた。ざっす。

再び車を走らせ、宿の近くで僕は車を下された。

なんだか、ファニーなおじさんだったな。まぁ、楽しかったから、よしってこと♪

 

 

宿に戻り、シャワーを浴びて僕はベッドに横になった。今日はクタクタだ。


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