2月4日/オーストラリア、タウンズビル→ケアンズ
起きたのは線路の真横の草むらだ。
もう暑くてたまらないのでテントの中では下着姿で寝ている。これで誰かに声をかけられたり、中をチェックされたらかなり危うい状況になると思うけどね笑。
貨物列車は明け方には動き始めていたので、それに合わせて僕も早起きしなければならなかった。
今日もヒッチハイクでケアンズを目指そうと思う。オーストラリア東海岸最後の街だ。
タウンズビルからのヒッチハイクの情報はサイトに書かれてあった。ヒッチハイクポイントまでの行きた方をグールグルマップで調べて、まずはそこへ向かうためにバスに乗ることになった。
最寄りのバスはショッピングモールから出ていた。
だが、郊外まで行くバスの本数は少なく、僕は1時間近く時間をつぶさなければならなかった。
ショッピングモールの外にあった個室トイレでいつものようにTシャツを洗濯すると、濡れたまま着た。この湿度と暑さではそれすらむしろ心地よいのだ。
注意しておきたいのはそれは外にいる間だけであって、これが冷房のガンガン効く店内なんかだとまた話は違ってくる。僕はハングリージャックというバーガー屋で時間をつぶすことにしたのだが、店内が寒すぎて外のテーブルを使うくらいだった。
ヒッチハイクポイント付近のバス停はハイウェイ沿いの公園にあった。
そこは工事中で車も速度を落として走ってくる。これはいいポジションだ。詳しくは”hitchhiking”を見てもらえればいいだろう。
1台目の車は10分もしないで止まってくれた。
ティムさんはここから100kmほど離れた場所へと僕を連れて行ってくれた。
途中で車を降りる際には、一応「ヒッチハイクのしやすそうな場所で降ろしてください」と頼んでいる。
ティムさんは町外れのガソリンスタンドで僕を下ろしてくれた。町の外に出る車はみんなここを通るというわけだ。そんなローカルなスポットはネットには書いてない。
そしてだいたいこのローカルスポットは高確率でうまくいく場合が多い。
次の車もまたすぐに止まってくれた。しかも行き先はケアンズだった。
オーストラリアの最後のヒッチハイクだ。
にも関わらず、僕は運転していたお兄さんの名前をメモするのを忘れてしまった。
後部座席に二匹の犬がいて、地質学者だとか言っていた。そういうのをテーマにしてオーストラリアを旅することもあるのだとか。また別の仕事も持っていた。なんだったかは忘れてしまったけど。
僕たちはそれなりに会話を楽しんでケアンズまでドライブした。
やっぱり会話が少なくなってくると寝落ちしてしまい、起きた時はまた少し気まずい感じになるんだけど、犬がいてくれたおかげで空気は和やかなままドライブを終えることができた。
車に乗せてくれたその地質学者らしいお兄さんは、僕をラーメン屋の前で降ろしてくれた。だが、その店ののれんは下がっていなかった。ま、まぁ、いいけどね。
いずれにせよありがとう。ここまですげーたのしかったっス。
そんな風にして僕はケアンズにやって来たのだ。
時刻は14時前でまだまだ活動することができた。
僕は少し町を歩き回ってみたのだけれど、ケアンズという町外れのそれほど大きくないことがわかった。
日本にいた時からどこか馴染みのあった名前だけど、実際着てみると、一体全体何でこの町が日本人にポピュラーなのかが分からなかった。きっとケアンズのイメージ戦略がうまくいったのだろう。
ケアンズもまた蒸し暑い町だった。
湿度が高すぎて、僕は思わず冷房の効いているショッピングモールへと逃げ込んだ。
そこで僕はウダウダと時間を過ごした。なんだかバスキングできそうな場所もないような気がしてきた。
ずっとショッピングモールにいるわけにもいかないので、食事を済ますと僕は外に出てみることにした。
他の人のブログで調べてところによると、海の近くのエスプラネードというストリートでバスキングができるようだった。だが、そこに行ってみても人通りはまばらで他のバスカーもなかった。やはりオフシーズンということなのだろうか?
僕はバスキングに繰り出せずいた。
そこで目に入ったのは一軒のディジュリドゥショップだった。
ダニエルという店員は少し日本語が喋れ、いかにも南国の島国で育ったというようなのんびりとした話かただった。いや、ディジュリドゥなんてそんなポンポン売れる楽器じゃないから、暇でしょうがなかったんだと思う。
ダニエルはディジュリドゥの吹き方を僕にレクチャーしてくれた。
さっきから書いているこの「ディジュリドゥ」はオーストラリア原住民アボリジニを起源とした世界最古の木管楽器なのだ。唇を震わせることによって重低音を出すことができる。
最初は僕はあまりこの楽器に興味がなかった。トラディショナルな演奏をするプレヤーのディジュはどこか物足りなく感じた。
だが、その価値観は旅をして、何人かのディジュリドゥプレヤーに出会うことで変わってきた。今のプレヤーのたちはクラブミュージックやエレクトロに影響を受けた吹き方をするのだ。早い話「ノれる」のだ。
僕は30分ほどその店でディジュリドゥを吹いていたと思う。
ちょっと悪い気もして5ドルを差し出そうとしたのだが、ダニエルは受け取ろうとしなかった。そのだディジュリドゥに興味のある人間なら誰でもウェルカムという雰囲気に僕は感心してしまった。
ディジュリドゥの試奏を楽しんだ後、僕はようやく重たい腰を上げた。
まぁダメだったらそれでいいじゃないか。とりあえず、とりあえずバスキングしてみようよといった感じ。気負わない方がいい。
夕方になってもまだまだ蒸し暑く、じっとしていても汗をかくくらいだったのだが、二組くらいのバスカーの姿を見た。人通りも先ほどよりも増えた気がする。どうやらケアンズでバスキングをするのなら夜がベストなのかもしれない。
23時くらいまで粘ってアガリは79ドル。
それでもオフシーズンのビーチに比べればケアンズでバスキングするのは楽しくもあった。
ビールもらったりしてさ。
バスキングを終えた僕は寝床を探すことにした。
ケアンズの野宿スポットで有名なのは海沿いの公共プールである「ラグーン」だ。何人かの貧乏バックパッカーがここを利用していた。安全だしシャワーもある。
だが、それは数年前の話だったということを僕は理解させられた。
24時を回っても見回りがおり、ラグーンの隅に寝ていても叩き起こされるのだ。芝生という芝生の上ではスプリンクラーが狂ったように水を撒き散らかしている。
僕は五回くらい叩き起こされてラグーンで寝ることを諦めた。
少し歩いたところにある遊具の中に隠れたが、そこにも見回りがくる始末だった。寝れやしないのだ。有名なのは観光地では。
僕は運良く遊具の中で見つからずにいたが、明日も使えそうな感じではなかった。
気がつけば朝日が昇っていた。
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