世界一周673日目(5/3)
マクドナルド
の一番隅の席で大判ブランケットをかけて
座ったままの体勢で2時間ほど寝た。

7時を過ぎた頃から店内は客が増え始めた。
8時を過ぎてようやく僕はマクドナルドを後にした。
マクドナルドでオールなんてするもんじゃねぇな。
何回かやっているけどさ。

外は気持ちのいい天気だった。
これならいいヒッチハイクができるだろう。
ガソリンスタンドで菓子パンをふたつほど買うと、
それを食べながらハイウェイの入り口まで歩いた。
ここはアメリカ、コロラド州、グリーリーの町。
“Denver(デンバー)”までは50kmほどの距離だ。
今日は日曜日なことを思い出した。
どうりで車の量が少ないわけだ。
これで車なんて捕まってくれれうのだろうかと思ったが、
僕はデンバー方面へ続くハイウェイの入り口でボードを掲げた。

ボードを掲げてから二台目の車が止まってくれた。
30mほど走ってから思い直したように停止してくれた。
僕は荷物をまとめて車に駆け寄った。
中には家族が乗っていた。
助手席に旦那さん、運転席にはお母さん、
後ろの席には男の子と女のコが乗っていた。
僕はお礼を言って子供たちの隣りに座らせてもらった。

いつも自己紹介の時に名前を訊いているのだが、
みんなが名前を言うものだから僕は覚えられず、
メモすら取れなかった。
お父さんは以前アーミーに所属していたらしく、
もし行く機会があるのであれば
ヒロシマとナガサキに訪れたいと言っていた。
片耳が悪いのか、なかなか僕の声が届かなかった。
お父さんは今では養蜂の仕事をしているらしかった。
家族の目的地はデンバーとの中間地点にあるようだった。
「ボルダーには行かないの?」と訊かれ、僕は行き先を変えた。
昨日車に乗せてくれたシェリーさん曰く
「ボルダーはアートな町」
らしいのだ。
これも何かの縁かもしれない。
ここまですっ飛ばしてやって来たんだ。
寄り道したっていいだろう。
僕はボルダーまで送ってくれるようにお願いした。
途中、朝ご飯を食べに
車はタコス屋さんに停まった。

「FALGON TACOS」という名前のお店で、
お父さんは「ファッ◯ン・タコスだな!」
とくだらないジョークを言った。
鈍ったように言うとそう聞こえるのだ。
僕は朝ご飯を食べていたので、家族に同行してタコス屋に入った。
店内に入っていてもお父さんは自分のジョークが気に入ったのか、
「ファ◯キンタコス!」とか言っている。
僕は娘さんに「お父さんの真似しちゃだめだよ」と忠告をしておいた。
娘さんは何も言わなかった。
男の子とお母さんはなぜか別の店に食事を買い求めに行っていた。
注文したタコスが届くと再び車に乗って
僕たちはボルダー方面へと向かった。
今日はお母さんの実家の牧場に行く途中らしい。
牧場に着くとお父さんだけおり、
車はわざわざ10分ほど離れた距離にあるボルダーに
僕を送り届けてくれることになった。
ボルダーまでの途中に分かったことは、
子供たち二人はお母さんの連れ子で、
さっきの男性は彼女のボーイフレンドということだった。
ふーむ。
なんだかポカポカしたいい感じの家族だと思ったんだけどなぁ。
なんでこんなにアメリカって離婚が多いのだろう?

お母さんはボルダー周辺の土地を僕に説明してくれた。
近くは高級住宅地になっており
自然に囲まれた敷地に大きくはないが(アメリカにしてはだが)
整った家が立ち並んでいた。
僕は子供たちに簡単な質問を投げかけてみた。
「スポーツとかやるの?」
「まぁね。野球とかサッカーとか」
すまし顔のお兄ちゃんが答える。
「へぇ。学校では何の教科が好き?」
「地理」
「君は?」
僕は妹に訊く。
「…」
「その子は絵を描くのが好きなのよ♪」
お母さんが代わりに答える。
「君たち歳はいくつ?」
「12」
「わたしは9。
それでお母さんはー…」
「いや、そこは教えなくてもいいんだよ?」
なんだか微笑ましい。
なんでお母さんの年齢知ってるんだよ笑。

ボルダーの
中心地で僕は車を降ろしてもらった。
別れ際に「安全な旅をね!」と言って
お母さんから20ドルを渡されたので、
ありがたく受け取っておいた。

アメリカをこの僕みたいなスタイルで旅していると
ほんとうにお金を頂く機会が多い。
僕はお礼を言う傍ら、いつも冗談めかして
「これで毎日コーヒーが飲めます」なんて言っているけど、
これは貴重な食費だ。
だけど、いっつもジャンクフードや安物に
手が伸びてしまうのはなんでだろう?
今日は日曜日ということもあり、
町の通りには様々な露店のテントが立っていた。





こういう野外のイベントは僕をワクワクさせてくれる。
聞いていた通り、お店自体もかなり個性的だった。
日曜日ということもあって、人の数も多く、
既に数組のバスカーが等間隔でパフォーマンスを繰り広げていた。
中にはフリーライブが行われている場所さえあった。
僕はそれを横目に通りを一往復して、何軒かの店を冷やかした。
アメリカにはこことポートランドに二店舗しかないという
“Montbel”のストアや、

少し離れたセカンドハンドのお店などだ。
僕はその古着屋でカーキ色のpatagoniaのジャケットを発見した。

数年前のデザインなのだろうが、保存上体はかなりいい。
少し重いが裏地はかなりあたたかそうだった。
サイズはジャストフィットで値段は45ドル。
僕は真剣にこのジャケットを買うか悩んだ。

店員も「それはいい服だよ」と言っていた。
だが、今の僕にはそのジャケットは必要ないものだった。
買えば日本に帰ったあとでも
ずっと使い続けていくことができるだろう。
だが、今は必要ない。
シカゴで頂いたダウンジャケットもあるし、
これから寒いところには行かないだろう。
僕の心を惹き付けているのは
フィッツロイのマークなのだということに気がつくと、
僕はそのジャケットをハンガーにかけて戻した。
いやぁ、でもいいジャケットだったなぁ。
服は買わなかったが、
次に見つけた画材屋で僕はついにCopicの0.03ミリのペンを買ってしまった。
ごく一部の画材屋にしか置かれていない日本製の極細ペン。
現存するペンにおいてここまで細いペンは売られていないだろう。
僕は何度も試し描きをし、
他に詰め替え様のカートリッジとペン先をクレジットカードで購入した。
あぁ、ありがとうございます。
みなさんのおかげで僕はこうして画材が買えるのです。
先ほどいただいた20ドルはまさにペンを買うために使われたのだ。
お金を
使ってしまった僕は、
バスキングをしに最初の通りへと戻って行った。
なんとか演奏できるスペースを見つけてギターを弾いたのだが、
あちこちで路上演奏が行われているため、
レスポンス自体はかなり薄かった。
1クールだけ演奏して、手に入ったのはわずか4ドル。
僕は見切りをつけて日記や絵を描ける作業を探すことにした。
町には学生通りのようなものがあり、
そこではバックパッカーの姿を何人か見かけた。
みんな僕と同じ様なバックパックを背負い、小汚い格好をしていた。
自分の姿がああ見えるのかと思うと、
見た目にもう少し気をつけなくてはならないぁという気持ちになる。

右上の方に野宿しているヤツらがいるのね。
ガソリンスタンドの売店でチョコ・バンを買うと、
僕はまた町を散策し始めた。
なぜだか唐突に
「ガソリンスタンドのスイーツ食べ歩き企画」
を思い浮かべ、
見つけた売店やセブンイレブンのドーナッツを食べ歩き、
案の定どんどん気持ち悪くなって行った。

作業に適した場所はなかなか見つからなかった。
雨が振り出しスターバックスは人で溢れ、
席数の少ないファストフード店はすぐに追い出されそうだった。
この町にはマクドナルドがなかった。
意外に町の中心地よりか、端の方にマクドナルドがある場合がある。
サブウェイはあるのだが、
まぁ、アメリカのサブウェイは追い出されそうだからパス。
野菜が食べたい時にしか行かないだろう。
結局僕は「FOOD COURT」と書かれた
小さなテナントがいくつも入った場所に逃げんこんだ。
注文しなくても席に着くことができた。
僕はそこで22時まで作業すると、近くの公園にテントを張った。
あぁ、都市型キャンプ生活だと時間の使い方が鍵だなぁ。

今日はぐっすり眠ることにする。
雨が降った後だったので、外を出歩く人はあまり見られなかった。
雨の日のいいところはそういうところだろう。
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