▷ペルー(クスコ)→ボリビア(ラパス)(11/6)
クスコを22:30に出発したバスは朝の5時過ぎにプーノの町に到着した。
バスの盗難に身構えていた僕だったが、乗り込んだバスの乗客のほとんとがツアー客だったので、荷物が盗まれる心配をする必要もなかった。
バスは一時間ほどプーノのターミナルに停車していた。その間に僕は残ったペルー・ソレスをほとんど使い切ってしまった。
同じバスには韓国人のカップルが乗っていた。彼らは僕よりも5つほど年上だったが、外見上はほとんど年齢の違いなんてわからなかった。
彼らは二年かけて二人で200万円を貯めて旅に出たらしい。今現在で5ヶ月旅をしているというが、駆け足でアジア、ヨーロッパ、そして南米までやってきたらしい。
彼らの旅のプランは半年ほどのようだった。十分な資金があるように思えたが、節約するところはキッチリ節約していた。
僕がクスコからラパスまでのチケットを80ソルで買ったのだと言うと、彼らは顔を見合わせていたずらっぽく笑った。
「それって旅行代理店にボラれてるんだよ。僕たちは自分たちでバスターミナルまで行ってチケットを買ったからさ。コパカバーナまで55ソルとかだったよ?」
そう言って彼氏の方は僕にタバコを勧めてくれた。
でも、僕だったら13時間もかかるのに二千円で行けちゃうなんて逆に心配だ。
8:00前にバスはプーノの町を出発し、30分もかからずに国境へと到着した。バスは国境手前でわざわざ両替の時間を設けてくれたことがありがたかった。
ボリビアの入国審査は簡単なものだったが、他のバスの乗客たちとかぶってしまったので、イミグレーションオフィスの前には長い列ができた。
ちょうどその時、リマでお会いしたウメさんにバッタリ出くわした。ウメさんは「のんびりとした国境越えだねぇ」と呑気なことを言っていた。
見上げるとそらは快晴で、白い雲が低い場所にぽっかりと浮かんでいる。日向はポカポカと暖かい。秋の始まりみたいな気候だった。

ボリビアの入国スタンプを無事にパスポートに収めるとバスはコパカバーナへ向け走りだした。
海のように広大なチチカカ湖を沿うようにしてバスは走った。
チチカカ湖沿いには何かの畑が広がっていた。そこでインディヘナの人たちが農作業をしているのが見えた。
女性は(というかおばちゃんは)畑仕事の時ですら、山高帽にフリフリのスカートを身につけているのだ。まったくもってあの服装に固執する理由が分からない。あれって普段着じゃないのか?いくらなんでもオールマイティ過ぎやしないだろうか?
景色を眺めるのにも飽きてしまうと僕はkindleのアプリにダウンロードした「深夜特急」のタイ/マレーシア/シンガポール編や「ノルウェイの森」の上巻を交互に読んだ。そしてその合間に音楽を聴いて時間を過ごした。
パソコンを盗まれて、音楽のデータも失われてしまった。今僕が聴けるのはiPhoneに入れた10にも満たないアーティストの曲たちだ。
ただ、それでも僕には十分な気がした。きっとこれらの曲をまた、日本に戻ってから聴きいた時、旅をしていた当時の心境を思い出させてくれるはずだから。
コパカバーナに到着すると、ラパス行きの乗客たちたちはバスを乗り換えることになった。韓国の二人組は宿を探しに向こうの方へと歩いていった。
一時間ほどでラパスに向かう乗客が集まり、バスは再び出発した。時刻は13:00過ぎ。ここまで14時間以上が経っていた。
僕はバスの最後尾に座り、窓を開けて外の景色を眺めていた。時折排気ガスの匂いが鼻をかすめたが、風を感じながら外の景色を見ているのは旅の気分を盛り上げてくれた。
そうだ。ボリビアは世界一周で60カ国目になるんだ。
バスが湖を渡る時もあった。乗客は一旦バスを降り、小さな船に乗って向こう聞きまで渡った。
向こう岸につくと、そこでアルパカを見つけた。そのうち一頭の首には可愛らしい首輪が取り付けられていた。
あんなに可愛い動物を僕は他にも知らない。つぶらな瞳に長いまつ毛、キュートな口先に、なんと言ってもあのモフモフした毛並み‼︎‼︎
触っているだけで幸せな気分にさせてくれる動物がアルパカなのではないだようか?え?僕だけ?

コパカバーナ以降はすぐにラパスに着くと思い込んでいたが、数時間バスに揺られていた。クスコからラパスまでのチケットの値段約3000円も妥当な気がした。
青い空に白い雲。山々を抜けて、いくつか町を通り過ぎた。町にある建物のほとんどはレンガ造りで、砂っぽい茶色をしていた。ボリビアは他の南米諸国よりも貧しいと感じさせたのは、それらの建物だった。

ラパスに着いたのは17時を過ぎてからだった。運良く行こうと思っていた宿の近くでバスが停車してくれたので、苦もなく安宿に行くことができた。
“Inti Wasi Backpackers Histel”というのが僕が足を運んだ宿の名前だ。
二階と三階が宿になっており、客室もシャワーも十分過ぎるほどある。それでいてWi-Fiもあるのだ。なぜだか4ベッドと6ベッドのドミトリーの値段が同じ30ボリビアーノ(¥535)だった。
僕は両方の部屋を見せてもらうことにした。6ベッドの方は繋がった二つの部屋に3台ずつベッドが置かれていた。先客の男女がベッドの上で服を着たまま抱き合っていたので、居心地の悪さは予想できた。なぜかその部屋からはガソリンの臭いがした。
4ベッドのドミトリーの方は先客が一人しかいなかった。目つきの悪い中国人らしき女の子がそこにはいた。高山病なのかこの時間でベッドに横になっていた。
僕は自分のベッドを確保すると、ショルダーバッグだけでもって外に出た。
書き忘れたけど、リマでお会いしたウメさんからadidasのショルダーバッグをいただいたのだ。
ラパスは歩いているだけでワクワクした。ここに旅行者を狙った首締め強盗が出るのだということは分かっているが、発展途上特有のごみごみ、ごちゃごたゃして、砂にまみれたこの感じ。旅が始まった当初のワクワク感を思い出す。
道端で売られている食べ物をつまみながら僕は宿の周辺を歩きまわった。

そして20:00になると僕はギターを持って外に出てみることにした。もし演奏ができそうな場所があれば歌ってもいいかもなと軽い気持ちで持ってきたのだ。
パスポートは宿のセーフティボックスに鍵をつけて入れてある。
夜のラパスは人で賑わっていた。宿のすぐ近くに歩行者天国を見つけて僕はそこでギターを弾いてみることにした。
ラパスも高所にあるので、声がうまく出ない。だが、それにもいくらか慣れてきた気がする。
意外にレスポンスもいい。クスコなんかより断然にこっちの方がいい。時折通り過ぎたあとでわざわざ引き返してコインを入れてくれる人もいた。
入るのはせいぜい1〜2ボリだが、レスポンスがあるのは嬉しいことだっだ。
一時間半ほどで場所を変えようとウロウロしていると、どこからともなく日本語の歌が聞こえた。
マスダさんはラパスのレストランで働いて一年になるお兄さんだった。「いつも同じポジションじゃ飽きられるから」と、わざわざ人気の少ない寂れた場所でギターを弾いていた。個人的な楽しみ。そんなスタイルのバスキングだった。
声をかけたのは僕からだったが、お互い初対面でどう敬語や丁寧語を使ったらいいのか距離感があやふやで、会話もチグハグしたものだった。
面白かったのが、僕が日本人であることを知った直後に言った
「もうそろそろか…」という一言だった。
というのも、まもなくボリビアは雨季に入り、ウユニ塩湖には水が張り鏡張りが見られる時期になる。そうなると日本人の観光客がどっとボリビアに押しかけるからだ。ラパスはちょっとした日本人街になるらしい。
少しだけお話をさせていただいてマスダさんと別れた。
宿に戻ると、数時間前と同じポジションで中国人の女の子がスマートフォンをいじっていた。ワークキャップを目深に被りちょっと話しかけずらいオーラを出している。どうやら、座っているソファの裏にコンセントがあるらしいのだ。
ドミトリーにコンセントはあるが、Wi-Fiは入らない。充電しながら作業するならそこのポジションしかないのはすぐにわかった。
女の子が部屋に戻った後、今度は僕がそのポジションに座って日記を書いている。
キーボードが恋しい。フリッカーで長文打つのダルいよ…。
俺も同じ場所で写真を撮ったなぁ。
今シミがそこにいると思うとなんか不思議だ。
南米楽しんで!!
>まお
不思議なもんだね。
まおが卒業旅行に行ったペルーとボリビアに今こうしているんだから。
ほんで今はウユニだ。
まおの時とは違ったウユニを見てくるよん♪