▷12月7日/アルゼンチン、ブエノスアイレス
朝目覚めると昨日の不安はいくらかマシになっていた。
一晩寝れば大抵の悩みは軽減されるのではないかと僕は思う。
そういえばイランで会ったフランス人が「一晩寝て起きたらピュアになってるよ」と言ったのを覚えている。確かその時も僕はくだらないことでクヨクヨ悩んでいたような気がする。どんな悩みだったかはもはや覚えてないけど。
僕が抱える悩みの大半はその程度のものであることが多い。
昨日チェックインした日本人宿「上野山荘」は実に居心地のいい宿だった。
ビルの3階(実際は4階)にあるのだが、かなり広々としているのだ。特にリビングには4台ほどテーブルがあり、ちょっとしたカフェのようにもなっていた。
それにコーヒーやマテ茶が飲み放題というのも僕にはたまらなかった。マサトさんなてしょっちゅうマテ茶のティーバッグをいれたマグカップにお湯を注いでいる。
宿には水とお湯の出るサーバーがあったので、いつでも僕たちは暖かい飲み物を飲むことができた。
僕は強めのマテ茶(きっとカフェインが多めに含まれているという意味だと思う)を飲みながらテーブルにつくと、モレスキンのノートを広げた。
自分が日本に帰ったらどのように動いていくべきか?コネなんてない、ただの放浪者に一体何ができるのかを思いつくままに書いていった。
僕は考えがまとまらない時や、頭の中がモヤモヤして次に進めない時は、ひとまず紙に自分の考え書き出すことにしている。
そうすると自分の考えていることが文字として可視化されるからだ。目に見えることによって全体像が把握でき、次へのステップが見えてくる時もある。
少しだけ自分の方向性が定まると気持ちも軽くなったような気がした。
僕が一番ブエノスアイレスで楽しみにしていたのは、ここに大好きなアウトドアメーカー”patagonia”があるということだった。
Googleで店の場所を調べると僕は歩いてそこへ向かうことにした。

バスキングでそこそこお金を稼ぐことができたので、そいつで失くしたハーフパンツを買い直そうと思ったのだ。
店は上野山荘から歩いて5分くらいの距離にあった。驚くくらいに近いのだ。
辺りは高そうなホテルやらアパレル店があった。
店舗には電気が灯っておらず、中には誰もいなかった。もちろん入り口には鍵がかけられている。
…マジかよ⁈
現在アルゼンチンは四連休の第三日目。
それは分かっているんだけど、ネットで調べると本日は「営業日」と書かれていたのだ。
仕方がないので僕は一旦宿に戻り、時間を潰すことにした。
昼食にマサトさんにトマトパスタをごちそうになったあと、今度は13:30に店に向かったが、相変わらず誰もいる気配はなかった。
窓ガラスに額を押し付け中を覗く。このガラスを隔てた場所にパタゴニアがあるっていうのに、僕はその空気を感じることさえできない。てか、働けよ!
僕がブエノスアイレスにいれるのは明日までだ。
明日の23:59に次の目的地であるニュージーランドへの飛行機が出る。patagoniaを訪れるチャンスは今日と明日しかないのだ。
店員が誰か来ないものかと、しばらくその場所で中の様子を伺っていると、どこからか男性が歩いてきて、僕と同じように店の中を覗き、溜息をついた。
彼は僕に英語で言った。
「残念だね。今は連休中なんだ」
「知ってます。だけど、ネットには営業時間が異なるだけで、営業はすると書かれていたんですよ」
「なに?じゃあもしかしたら別の店舗は開いているのかもな」
彼はベネズエラ出身で、五ヶ月ブエノスアイレスに住んでいるとのことだった。
彼が言うにはこの店舗はまだオープンして間もないそうで、フロリダ通りに別のパタゴニア・ストアがあると言うのだ。
彼もフロリダ通りまで行くというので、僕も一緒にそこまで向かうことにした。
彼が案内してくれたのは、アパレル店が立ち並ぶ複合施設で、話は途中から別のアウトドアメーカーである「ティンバーランド」に変わっていた。
結局そこにはパタゴニアはなく、僕は肩を落として宿まで戻った。
諦めきれなかった僕はまた時間をずらして店に行ってみることにした。だが、店は静まりかえったままだった。
いつも使っているマップアプリに「patagoni」という服屋が別の場所に表示されたのでそこまで向かってみたが、あったのは全く同じ名前の別の店だった。
ムシャクシャした気分を鎮めるために、僕はスーパーでクッキーを買い宿に帰った。そしてドミトリーの自分のベッドで不貞寝することにした。
夕方になると僕はギターを持ってフロリダ通りまで向かった。

連休中でもこの通りには人が出歩いているようだ。営業している店も半数以上あった。
周りに他のバスカーのいない音の響く場所を見つけると、僕はそこでギターを構えた。
喉の調子もよく、いい演奏ができたのと思ったが、レスポンスが薄いのは今日も同じだった。
結局僕は一時間半で切り上げることにした。アガリは50ペソそこらで昨日よりも少なかった。
ブエノスアイレスは僕にとって、南米で一番レスポンスの悪い国だった。
日本でやったらもっとヒドいんだろうけど、都会の人間にはどこか通ずるところがある。
宿の管理人代理のけいこさんが言うには「ブエノスアイレスの人間はヨーロピアンをお手本にしている」らしい。旅行代理店の人間からそう聞いたそうだ。
帰りに今日の夕食の材料を買って宿に戻ると、20:00頃にキッチンで料理を作った。今日も野菜をふんだんに使ったスープだ。
塩胡椒で味付けをするだけのシンプルなもの。鍋一つあれば作れてしまう。
それをマサトさんと二人で食べ、デザートにリンゴとミカンを食べた。
たまたま本棚で日本のオルタナティブのミュージシャンたちのインタビューをまとめた本を見つけた。
そこで七尾旅人のインタビューを読んだのだが、彼は16歳で上京し、レコード会社と契約したものの、なかなか思うような作品作りができなかったとそこには書かれていた。彼の苦悩を知ると、僕なんてまだまだだなと思った。
成功したアーティストの下積み時代や売れなかった時代の話は好きだ。
それは後日談的な美談になってしまっているが、これから挑戦しようとする者にとっては勇気を与えてくれる場合もある。
昼寝をしたので、今日は夜遅くまで作業をしていた。
最近またブログが前のように長くなってきて嬉しいです笑
ついに南北アメリカ大陸縦断も佳境ですね、あれこれ後先考えずに直感で楽しみましょ!!笑
>じゃっきーさん
あ、ああああざっす!
そうなんですよねー。
もう南米とお別れってなると…
やっぱ寂しいっていうか、
あー、色々あったなァー、
って思い返して…
やっぱりペルーでコテンパンに
やられたことを思い出すのです笑。