▷12月29日/ニュージーランド、ピクトン〜クライストチャーチ
フェリーの中はとてつもなく寒かった。
他の乗客たちは寝袋だとかブランケットを持ってさらにはアウターまで着込んだ上での乗船だったのに、僕ときたらTシャツにいつものボタンシャツ(ちょっと臭う)しか身につけていなかった。
73NZドル(¥6,050)も支払ったのにこれはちょっとないんじゃないかってくらい冷房が効いていた。船内では乗客たちが体を横たえるために床に寝ているくらいだった。
僕はうっかり横になれる分の席を取り損ね、テーブルで日記を書いた後はシートに座って凍えていた。
船は朝6時頃にピクトンの港に到着した。シャトルバスでターミナルまで移動すると荷物を回収した。
乗客は各々はけていった。そのうち何人かが歩いて町まで向かった。と言っても町まではせいぜい1キロもなかった。
もちろんこんな朝早くなので開いている店はほとんどなかった。パン屋が開いているくらいだった。物価ももちろん高い。ちっぽけなコーヒーカップで300円以上するのだ。僕は一番安い菓子パンを買って町を歩いてみた。
町を歩くには10分もかからなかった。それくらいピクトンの町は小さかった。あまりの何もなさで、バスキングなんてやったら惨めな気分になっちゃいそうな感じだ。僕は帰りのフェリーのチケットを11日後にしてしまったことを少し後悔した。これからどうやって時間をつぶすかが課題になりそうだ。
そして僕はものすごく眠かった。フェリーの冷房が効きすぎて一睡もできなかったからだ。
このまま起き続ければ今日一日頭がボヤボヤしたままで過ごす羽目になるのは目に見えていた。僕はどこかのグラウンドの隅っこのテントの本体部分を敷くとその中に荷物を入れて昼寝をすることにした。
二時間くらいして僕は目を覚ました。
空には青空が広がり気温も過ごしやすいくらいになっていた。僕は荷物をまとめると町外れに向かって歩き出した。
やることと言ったらひとつしかない。ヒッチハイクだ。
最初は小さなラウンドバウトで親指を立てたが、やって来る車そのものが少なかった。
今回はiPadに「South」と書いてボード代わりに使ってみたのだが、ドライバーからのリアクションはほとんど見られない。
このアイディアは2011年に世界一周をした青木優くんがブログで書いていたのだが(確か高城剛氏の引用だったと思う)、実際やってみるとわかるのだが、ずっとiPadの電源をつけておかなくちゃならないし、バッテリーが消費が気になる。何より目立たない。アイディアとしては面白いとは思うけど、やっぱりヒッチハイカーと言ったら段ボールだよ。
僕がヒッチハイクをしていると、自転車に乗った地元のおじさんが「やるんならちょっと歩いた先にあるガソリンスタンドだよ」と僕に教えてくれた。地元の人の情報は有力だ。僕は早々に場所を代えることにした。そこまでも途中で段ボールも見つけることができた。段ボールなんてどこにでも落ちてるもんなのだ。
教えてもらったガソリンスタンド付近にはすでに他のヒッチハイカー二人の姿があった。僕は彼に断って10メートル先でヒッチハイクをすることにした。これはいよいよ長丁場かもしれないな。
10分もしないで彼らの元に車が止まった。定員があと一名だったようで、一人だけ車に乗り込んでいった。どうやら彼らは別々の旅行者だったようだ。
そして少し経つと、僕の元に車が止まってくれた。あれ?やっぱりヒッチハイクをするときはビッグ・スマイルがあったほうがいい。先に待っていたヒッチハイカーに対して申し訳なく思わなくもない。ゴメンね♪
車に乗っていたのは運転手のゼックとデンマーク出身のマリーナだった。
彼らの目的地は20kmほど離れた”Bleheim”という町だ。少しずつ進めばいい。目的地に近づけば近づくほどヒッチハイクの成功率も上がるからね♪
マリーナはデンマークで英語の先生をしていたそうで、彼女のしゃべる英語はとても聞き取りやすかった。反対にニュージーランド人のゼックの英語はほとんど聞き取れない。同じ英語を喋っているのにもかかわらずマリーナが通訳のようなことをしてくれた。
到着したブレナムの町はピクトンの町よりも大きかった。Wi-Fiの早いバーガーキングだってある。二人は僕を別のヒッチハイクポイントへと下ろしてくれた。町の中心のような場所だったが、そこには車の止まれるスペースがあった。
二人にお礼を言って写真を撮らせてもらうと(大体は降りる時に車に乗せてくれた人の写真を撮るのだ)、すぐにそこでボードを掲げた。拾ったボードはかなり大きめのサイズだったのでいい具合に目立つことができた。そんな僕を見てドライバーもニコニコと笑っている。いい感触だぞ。
2台目の車は15分以内に止まってくれた。
サウスランドでもヒッチハイクのしやすさは変わらないみたいで僕は安心した。
ドライバーはエレンさんという耳の少し遠いおじいさんだった。モゴモゴと話すので何を言っているのかうまく聞き取れない。自己紹介を簡単にすませると、「天気がいいですねぇ」なんて中学校の英語の教科書に出てくるような会話に収まった。
エレンさんはブレメンの町から20kmほど離れた場所にあるスーパーマーケットで降ろしてくれた。僕はヒッチハイクを続ける前にスーパーでリンゴとポテトチップスとミネラルウォーターを買って小腹を満たした。
ヒッチハイクを再開するとどこからともなく二人のバックパッカーが現れた。そういえばそこら辺で横なっていた奴らがいたな。彼らは「いい場所が取られちゃったな」というような笑を浮かべて、僕よりも前方でヒッチハイクをやり始めた。
こんな辺鄙な場所だから今度こそ一時間くらいは待つだろうな。そう僕が覚悟した矢先に本日三台目の車が止まってくれた。
ドライバーは僕と同い年のドイツ人でヨーゼフというヤツだった。ワーキングホリデーで二ヶ月前にニュージーランドにやって来たらしい。しかもこの車を買ったのは昨日だというじゃないか。車自体は中古で随分と年季が入っていた。
ヨーゼフはニュージーランド以外にもオーストラリアで一年間ワーキングホリデーをしていたこともあり英語が達者だった。その時は農場で働いていたらしい。そして現在はカイコウライという海辺の小さな町でコックをやっているというのだ。
「じゃあもともとそういう道に進もうと思ってたんだ?」
「いや、違うよ。大学では環境資源について学んでたね。ほら、料理ができたらどこでも働けるだろう?」
ヨーゼフはこれから二ヶ月ほどコックとして働いた後、買ったばかりのこの中古車でニュージーランドを旅するのだと話してくれた。
話の成り行きで、僕は日本でいうアウトサイダーなのだと卑下したよう言った。するとヨーゼフはこう言った。
「おれは今の生き方の方が好きだよ。色んな経験ができるからね。22とかそこらで自分の人生を決めてしまうのには早すぎるよ。おれはワーホリが終わったらドイツに戻ってまた大学では勉強しようと思ってる」
彼もまた自分の流れの中でドリフトする粋なヤツだった。いついつまでにどいなっていなければならないという切迫感のようなもの感じない。僕は彼みたいな自由なヤツ会うと嬉しくなる。
車は沿岸線を走った。時折アシカの姿が見えた。それは僕にアメリカの西海岸をヒッチハイクで旅した記憶絵を蘇らせた。
「景色が最高だろ?だからおれは海辺の町で働こうと思ったんだよ」
「あー、わかるよその気持ち。おれも海を見ているだけで十分だな」
一時間半ほど車は走り、僕はカイコウライの町に到着した。ヨーゼフは僕を町外れのヒッチハイクポイントまで連れて行ってくれた。
そこにも何組かのヒッチハイカーたちの姿があった。
僕は彼らよりもさらに後ろに下がってそこでボードを掲げた。こういう競争、もしくは順番待ちみたいな状況に対して、ドライバーはどう感じているのだろうか?
ロバート・ハリスが世界を旅した40年以上前はもっとヒッチハイカーがいたみたいだ。確か「エグザイルス」にそう書かれてあったような気がする。ヒッチハイカーの順番待ちで、ハリス氏は親指を立てずにニコニコしながら手を振ったという。ドライバーは順番なんて関係なしにすぐに止まってくれたのだとか。
僕の場合もそうだった。順番待ちのヒッチハイカーなんて関係なしに車が止まってくれた。七人乗りのワゴン車で後ろには遊び道具のたっぷり詰まったカートが牽引されていた。
乗っていたのはオーストラリアのゴールドコースト出身の家族たちだった。
ノリというか波長の合う人たちで会話も弾んだ。マリアちゃんという7歳の女のコがいたのだが、僕のくだらない冗談にも反応してくれたので、初対面での印象はよかったと思う。
だが、軽快なトークも30分後には失速してしまい、あとは寝落ちをしていた。いや、よくよく考えてみたら今日はまとまった睡眠がとれてなかったんだ。そりゃしょうがないよ。
そうしてピクトンから車を乗り継ぎ、僕はクライストチャーチへとやってきたのだ。
車を降りる際に、お父さんのデインさんはカップヌードルやクッキーなどの食料を僕に分けてくれた。マジありがとうございます!ヌードルはお湯がわかせないので、そのままいただきました笑!
僕が車を下されたのは町から5kmほど離れた場所だった。
歩いて行くのには少し遠い距離なので、町の中心地まではバスで向かうことにした。3.5NZドル(¥290)。二時間有効だ。
日本で震災があった後に、クライストチャーチで直下型の大きな地震が起こった。
そう。あれは四年前の話だ。僕は日本で起こった地震とその影響にばかり気を取られ、ニュージーランドのことなんてちっとも考えなかった。
僕は関東に住んでいたので東日本大震災の影響なんてほとんどなかったけれど、それでもニュースやネットからの情報から、日本の先行きに対してネガティヴな思いを抱えていた。あれは色んな意味でターニングポイントになった。
クライストチャーチがどれほどの被害を受けたのかさえもよく分かっていなかった。あれから月日は流れたけど、街はどのように変わったのだろうか?
街中心にあるバスターミナルに着くと僕はまた眠気に襲われた。ベンチで座ったままの体勢で一時間ほどフリーズしてからの行動開始だった。
サウスランドの中で一番大きな街とされているが、街は静まり返っていた。これが年末だからなのか、地震の影響なのかは分からないが、とにかく僕はこの街でも人のいない寂しさを感じた。何かがらんどうな印象を受けた。
ショッピングモールへと行き、そこで夕飯代わりのフルーツを買った。モールの中のフードコートではすでに店員が椅子を片付け始めていた。
外に出てもこれと言って特にどこへ向かうだとかそういうのはない。とりあえず街は静まり返っている。
街の目の届くどこかでは建物が工事中で、その近くにはコンテナが積まれているが目についた。
僕はフラフラと街を彷徨い、結局辿り着いたのはこんな年末でも営業しているバーガーキングだ。店内にはほとんど客はいない。
1.5ドルのコーヒーを注文し、閉店前まで時間を過ごすと寝床を探しに外に出た。
僕が歩いていると車が止まって、同い年くらいのヤツが「大変そうだね。手を貸そうか?」と声をかけてくれた。少し声の抑揚を上げて「ノープロブレム!サンクス!」とお礼を言った。
うん。大丈夫だよ。
ただ、誰もいない街を歩くのって、なぜだか僕をちょっと疲れた気持ちにさせるんだ。
どうしてだかは分からないけど。
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