2月23日/オーストラリア、パース
出発が明日の朝6時45分。
今日の夜までには空港に行っていたい。パースのシティーセンターに滞在できるのは夜までということになる。
ルークの家で起きて一緒にシティーセンターまで向かった。
今日はジュリアが休みなので、僕が助手席に座った。朝早くから頭がボヤボヤするが、僕はできるだけ話すように心がけた。
ルークがイギリスからオーストラリアに移り住んできた理由は、彼の出身地であるロンドンよりもオーストラリアの方が子育てに向いていると考えたからだそうだ。
確かに寒く一日に必ず一度は雨が降るようなイギリスよりかは年中常夏のオーストラリアの方が子供ものびのびと育つのではないかなと、僕はその考えに同感だった。
話していてちょっと驚きだったのは、ルークはセキュリティ会社のけっこういい役職についていてたことだ。ちなみに年齢は僕の一つ上の28歳。つくづく人生にはいろいろな生き方があるのだなと僕は思った。
イギリスにいたころは大手セキュリティ会社に勤めていたようで、セレブなんかの住むエリアだかマンションだかのセキュリティを管理していたそうだ。セキュリティと言っても単に出入り口で来訪者をチェックするわけでもないのだ。
ルークは以前インドにも行ったことがあるのだと以前僕に話してくれた。
インド関連のトークだったら割と引き出しの多い僕だ。トークのフックとしても最適だった。ルークが訪れたのは六年くらい前、ゴアの田舎に三ヶ月ほど前の彼女と滞在していたらしい。
「彼女は肺を病んでいてね。「死ぬ前にインドに行きたい」そう言っていたんだ。悲しいけどね。彼女の容態は今も変わりない。インドにまだ暮らしているよ」
そう言うルークはどこか悲しそうに言った。
僕たちは少し遅れて家を出たので出勤ラッシュと重なってしまった。僕はルークが仕事に遅刻してしまうことを少し心配したが、ルークは「僕がボスだから大丈夫さ♪」なんてジョークを言っていた。
最後にキチンとお礼を言って別れた。ウォールペイント製作量は材料費込みで350ドルのはずだったのに、ルークからは350ドルがもらえた。彼も納得いく出来だったんだと思う。もし引っ越すならあの壁ごと持っていかなきゃね笑。
パース最後にいい経験ができた。ルーク・アスピリンには深く感謝したい。
シティーセンターに到着すると、セブンイレブンでコーヒーとマフィンを買い、噴水近くのテーブルでイラスト製作の続きに取り掛かった。

図書館が開くとそちらへ移動してまたイラストの続きを始めた。
昨日はしっかり(と言っても五時間ちょっとだけど)睡眠をとったので、今日は昨日ほど頭が回らないなんてことはなかった。集中の質もいい。これならいい絵がかけるだろう。
そんな時にひょっこり顔を出してきたのは、ダイゴさんだった。

僕が記事を寄稿している「世界新聞」で彼もまたライターをやっており、テーマは「旅先で手紙を届ける、手紙トラベラー」というものだった。
ライター同士で名前は知っており、彼もまたパースにワーホリでやってきたというので、時間が合えば会いましょうという話になっていたのだ。
僕はイラストを完成させなければいけなかったので、どこで作業しているかを伝えておくだけにとどまった。まさかわざわざ会いに来てくれるだなんて。
さすがに図書館で話すのは迷惑なので(というか同じテーブルの人たちが露骨に顔をしかめていたので)僕たちは外に出て話すことにした。
似顔絵を描いて欲しいとリクエストがあったので、一枚プレゼントした。

ダイゴさんもまたバスキングをしているとのことだった。
内容は人の体にリクエストされた漢字、もしくは簡単なイラストを描くというものだった。使っている道具は日本の小学生が使っているような習字セットだ。
こんなごくありふれたものでも日本でなければ手に入らなかったとダイゴさんは言った。やはり日本が世界一の文房具大国なのだ。
ダイゴさんは僕に習字をプレゼントしてくれた。
習字用の紙にカタカナで「シミ」と書き、周りには味のあるイラストがちりばめられていた。お世辞にも上手いとは言えなかったが、どこか温かみのある作風だった。こういう人からから作品は縁起物としていただいておくことにしている。ありがとうございました♪
僕はダイゴさんに手紙を託すことにした。
手紙というか漫画だ。以前漫画のオーダーをくれた女のコとはあれ以来会えていなかった。僕が漫画を届けてくれないだろうかお願いするとダイゴさんは快く引き受けてくれた。
話は一時間くらいで切り上げるつこりだったが、ダイゴさんは昼飯をおごってくれると言ってくれたので、僕はありがたく昼食をいただくことにした。向かった先は「TAKA」という安いジャパニーズレストランで、僕はそこで8ドルのカレーをいただいた。

TAKAの話は以前から耳にしていたが、実際に足を運ぶのはこれが初めてだった。中に入ると長机が何台も並べられ、相席するようにして客たちが席についていた。それがどこか高校の学食を僕に思い出させた。カレーの味も学食っぽい味だった。
その頃には僕はイラストは台湾から郵送すればいいかな?と考えるようになっていた。
ダイゴさんもなかなかに面白い旅をしている人で話をしているのが面白かったのだ。

ダイゴさんは給料が入ったばかりということで、ウクレレが欲しいと言っていた。
ヘイストリートに「Hi-Fi」という電化製品店があり、そこでウクレレが帰るというのだ。僕はダイゴさんにどうこうして、彼がウクレレを手にするのを見届けた。

むっちゃ嬉しそう。感情表現が豊かな人だ。
そうして僕は再び図書館へと戻りイラストの製作に取り掛かった。
しばらくすると、依頼人のビュンヒーからメッセージが来ていた。なんとイラストを引き取りにシティーセンターまでやって来たというのだ。
彼は図書館にまでやって来て、僕のすぐ隣の席でイラストの感性を待つ始末だ。まるで締め切り直前の漫画家のような心境だった。タイムリミットは図書館が閉まる20時まで。
ダイゴさん、なかなか顔の厚い人でした。作業は専らiPhone6。
って、寝とる‼︎

クジラシルエット。三匹とも種類は違う。
ペン入れをしていると、音楽を聴いているか、誰かの話が聞きたいものだ。その場にいたダイゴさんにはいい話し相手になってもらった。
最後に描いたイラストは大きな鯨と波の絵。
もともとのイメージはヨウスケさんからもらっていたので、あとはそれをどう僕なりのイラストにするかだった。波を描くにあたって頭の中にあったイメージはトム・ヨークのソロアルバムのジャケとだ。
描いてみると、まるで版画のような波ができあがった。いやぁ、あれ、ベタ塗るのマジでキツかったすよ!



20時に完成したイラストをヒュンヒーに渡した。
わざわざオフの日を使って僕に付き合ってくれた彼にはちょっと申し訳ない気もしたが、時間をフルに使ったおかげで良いものができたと思う。
別れ間際、彼は僕に巻きタバコの葉を少しわけてくれた。なんだかそれが嬉しかった。
空港へ行くバス停までダイゴさんと一緒だった。
やって来た空港行きのバスに乗り込む時、ダイゴさんは「残りの旅も楽しんで!」そう言って手を振ってくれた。

荷物を置き、シートに腰を下ろすと、バスはあっという間にパースのシティーセンターから離れていった。
二週間この街にいたわけだけれど、まさか最後の最後まで出会いがあるだなんて思わなかった。
そうだ。今日がオーストラリア最後の日でもあるのだ。
そう考えると、僕はここから離れるのが名残惜しいく思えた。
はっきりと言えることは
僕はこの街に来てよかった
ということだ。
パースへやって来る動機なんてそこまではっきりしていなかった。
気になっていたアーティストWHALES AVEに会えるかもしれない。バスキングも反応がいいかもな。そのくらいの動機だ。
だけど、こんなにも素敵なヤツらに出会えるなんて僕はこれっぽっちも想像できていなかった。まさか最後にウォールペイントとイラストが描けるだなんて。
空港に到着すると、外でビュンヒーからもらった巻きタバコを吹かした。
彼らは六月頃にヨーロッパを旅するらしい。鯨と同じように夏を追って。
僕の旅はもうまもなく終わりを迎えようとしている。
明日の朝、向かうのは台湾だ。
日本が近いや。
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