▷二度寝が幸せな季節がやってくる

 

 

 

二度寝は危険だ。

睡眠不足を別にしてたいていの場合、それは意識的な部分で眠るのであって、二度寝を体が欲していることはあまりない。

二度寝には中毒性があって、下手をすると二度寝が三度寝になったり四度寝になったりすることだってある。スヌーズ機能を使って『あと10分..』と細切れの睡眠を繰り返したのち、結局トータルで2時間くらい寝ちゃうことだってある。

 

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いまだかつて人類は有意義に二度寝を使いこなせたことがあるだろうか?

我々は常に起床直後の意思の弱さと戦っていかなければならない。生まれたばかりの動物が外敵からの危険にさらされながらも生きて行く本能的な力強さを持ってして。

我々はこれからやってくる厳しい冬の寒さに立ち向かっていかなければならないのだ。

本能が心のそこから叫ぶ。「戦え!」と。

 

 

 

 

 

ある寒い日の朝、ベッドから出て冷え切った外気に体が触れた瞬間はまるで拷問のようだ。いや、拷問なんてこの人生で一回だって受けたことはないんだけれど、その寒さには悪意のようなものさえ感じる。

僕自身は気持ちよく今日の一日を始めたいっていうのに、人間ではない何者かが僕の起床の邪魔をする。どう考えたってそれには意思があるようにしか思えない。『お前を起こしてなるものか』とでも言っているように感じるのだ。

スリッパを入った裸足が一気に冷たくなる。吐く息が白い。おいおい。なんで家の中で息が白いんだよ?ここ外かよ?いつも羽織っているフリースジャケットを探すが今手元にはない。

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これがシャキッとした目覚めのよい朝だったらいいけど、目覚まし時計やアラームに叩き起こされて、フライパンの上に乗ったばかりの固まっていない目玉焼きみたいに頭がボヤボヤしているような状態の時は様々な誘惑が頭の中を駆け巡る。

 

『元来た道を戻ろうか?時間だって15分、いや、30分程度なら睡眠に追加しても大丈夫なんじゃないか?』

 

体温を残してきた掛け布団から見えない手が手招きをしている。あぁ、もうだめかもしれない。

僕はモヤモヤした頭を抱えてベットの脇に立ち尽くす。

 

 

 

 

 

この時脳内会議では「二度寝をするか否か」を巡って激烈な討論を繰り広げている。

議会の雰囲気はまさに一瞬即発。テーブルの上に置かれたコーヒーカップやソーサーはやかましくカチャカチャと音を立て、怒号が飛び交い、みな顔を真っ赤にして各々命名に言いたいことを叫んでいる。今にも大乱闘になりかねないような状況だ。

過激派の連中はショートスリーパーの存在を肯定しているので、二度寝というのは甘えに他ならないと考えている。彼らはしょっちゅう精神論を持ち出してくるのが悪い癖だ。「気合があればなんとかなる!」そう彼らは口々に叫ぶ。

穏健派は議会に過半数以上の議席を持つマジョリティーだ。彼らは「体の健康。充実した一日」を理由に挙げて二度寝を肯定する。もしこのまま一日中眠気に襲われていたら、その日の行動に支障をきたしかねない。それならばここでしっかりと睡眠をとった上で一日を始めた方がベターだと考える。彼らは基本的に楽天的で、意思に対してはおばあちゃんの大好きな黒飴のように甘い。

中立派は割りと現実的だ。ひとまず起きてみて、顔を洗ってみてはどうだろうか?キッチンでお湯を沸かしてコーヒーを飲めば、だいぶ眠気は収まるのではないだろうか?と提案するが、議会における中立派の割合は少数だ。声は過激派や穏健派やそのた諸々の派閥にかき消されてしまう。ここにはサイレントマジョリティーは存在しない。

 

議決に及ぶまでのプロセスには公正もクソもない。どれだけたくさんのもっともな理由が提示できるかによって決まってしまう。

そして気温やその日のスケジュールなどが議席数に影響を及ぼす。気温が下がれば下がるほど穏健派は力を増していく。

そしてほとんどの場合、可決されたことがひっくり返ることはない。

 

 

 

 

 

 

一瞬迷ったのち、iPadのアラームを30分延長し、僕はするりとベッドに戻る。掛け布団はまだまだ暖かい。

 

 

布団を発明した人は偉大だと僕は思う。

布団の暖かさ。それは人肌の暖かさだ。時には家族の。時には恋人の。時には自分自身の暖かさがそこにはある。

その暖かさを感じることはは愛情を直接肌に感じることでもある。一種の胎内回帰本能と考えてもいいかもしれない。我々は男であろうが女であろうが誰しもが一人の女性の体から生まれている。体内にいる時は栄養や体温を分かち合い、胎内ですくすくと育ち、そして一人の人間としてこの世に生まれてくる。

 

また、睡眠をとっている状態というのは起きていない状態だ。

意識は日常生活を送っている時のように考えたり現実に対して感情の起伏を感じることもない。それは生まれてくる前の状態と似ている。冬になると木々が葉を落とし春に向けて力を蓄えるような内的充実でもある。

また、睡眠をとることで人は誰にでもなくなる。睡眠をとっている人たちの間に貴賎は存在しない。だから人は暖かい寝床で眠りにつくと幸せそうな顔を浮かべるのであろう。

 

言うまでもなく二度寝した僕の顔は満ち足りた顔をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

二度寝から覚めると、僕は一気に現実を叩きつけられる。時間は一気に進んでしまっている。

自分の意思の弱さを責めたて、下手をすると自己嫌悪を感じてしまう。あぁ、おれはなんてダメなヤツなんだって。

あれだけ気持ちのよかった二度寝も今では単なる時間の浪費にしかすぎない。30分で済めばよかったものの、アラームやスヌーズを駆使して必要以上に寝てしまったのはいつものこと。後半なんてもはや惰性で寝てしまっている。

発想を転換すれば自分にはもしかして睡眠をとる才能が金脈みたいに隆々と眠っているんじゃないかなとさえ思ってしまう。自己嫌悪を感じずにポジティブに思考を切り替える方がテクニックが要求されるのだ。思考的な技術だ。

 

 

 

『よし!今日もばっちし必要以上に寝たのだから、気持ち良く一日を始めようではないか!』

 

 

 

まぁ、そんな感じで一日僕は生きてます。

二度寝が幸せな季節がやってきます。

なんとか自分を奮い立たせよう。ぜ。

 

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