世界一周756日目(7/25)
義兄さんの
バースデイパーティーにこの日は呼ばれていた。

あ〜、日本に引けを取らない満員電車。だけど、みんな笑顔。
今日は土曜日。
外で歌えば稼げるだろうと思ったが、
いつもと変わらない日を過ごしていてもつまらない。
義兄さんとはMaoriさんの旦那さんの兄妹のこと。
僕はお誘いをありがたく受けることにしたのだが、
この日は朝から体調が悪かった。
朝飯と一緒に出るコーヒーで腹を下す。
胃が弱っていることが分かる。
『今日はもしかしたら行けないかもな..』
僕はそう思った。
ひとまずベッドの上で安静にしていた。
昼頃にはなんとか体調も回復したので、
僕はギターを持って外に出た。
ここはメキシコシティ。滞在12日目。
まさか体調不良が激辛のサルサソースだったなんて
この時はまだ知る由もない。
『おかしいな。なんでこんなに体調悪くなっちまったんだ?』
って考えても思い当たる節がなかった。
アフリカでも食事で腹をこわすこともなかったからだ。
胃腸の丈夫さには自信があった。
待ち合わせはメトロの
ブルーラインの終点であるタスケーニャ駅。
イダルゴ駅からメトロに乗り込み、
そのまま終点までずっと乗りっぱなしだった。

メキシコシティにいる間、キンドルのアプリにダウンロードした
「MaSaTos世界一周学校、どMチャレンジ」を読んでいる。

そんな。マサトさん。照れます♪
一冊299円とは随分思い切ったことをしたもんだ。
しかもKindleのクーポンが500円分ついてきたので、
実質100円で二冊が買えた。
利益なんて度外視してより多くの人に読んでもらいたいという
マサトさん想いに尊敬の念さえ抱いた。
仮に僕が電子書籍を出したのであれば
700円くらいに値段を設定しただろう。
というのも僕が日本にいた頃にVilage Vanguardで買っていた旅の本は
大体そのくらいの値段だったからだ。
中にはハードカバーの1000円以上したヤツもかったことがあったが、
大学生が帰国後に出版したような本は内容が薄過ぎて
僕には物足りなかった。
お気に入りの出版社は「幻冬社」だ。
「ガンジス川でバタフライ」とか
「行かずに死ねるか」を文庫で出版した会社。
こうして電車の中で本を読んでいると、
自分がメキシコにいることを思わず忘れてしまいそうになる。
ふと顔を上げて外の景色や周りに要るひとたちが日本人ではないのを見て、
あぁ、そうだ。ここはメキシコだったんだなと、思い出すのだ。
タスケーニャ駅に到着したのは約束の一時間前だった。

終点の駅ということもあり、
ここでは多くの人が利用しているようだった。
外にはバスの発着所があり、
メトロを降りた人がそのままバスを利用できるようになっている。
駅の外には露店が密集したエリアがあった。
僕はそこを眺めて、煙草を一本だけ買い求めた。
マルボロを近くで吹かし、
落ちていたカップに吸い殻を捨ててカップをごみ箱へ持っていた。
ごみ箱はごみで溢れていた。

駅周辺を少し見た後は、また駅構内へと戻って行った。
警察はどこでも待機している。
厚手のジャケットを着た彼らの姿はもう見慣れてしまった。
ここで目立つような犯罪をやらかす人間はいないだろうな。
僕はそう思った。
駅構内の物販もなかなかに充実している。
ソフトクリームが売られていたのでそれを買い求めた。
25ペソ(200yen)。
チョコソースとトッピングまでしてくれるのはありがたい♪
ソフトクリームを食べるとお腹が「コロコロ」と軽い音を出し始めた。

後ろのお兄さん、いい味だしてるね。
「おれのアイスクリームだぜッ!」って感じ。
巻いてくれたのはこの人じゃないけど。
「また時間ぴったしじゃないですか!すごいっすね!」
「え?遅れたと思ったんだけど」
Maoriさんは待ち合わせ時間丁度にやって来た。
本人にその自覚はないらしい。
いや、時間ピッタしってすごいっす。
僕は体調不良のことを伝えると、Maoriさんは
「それならコーラを飲めばいいんだよ!
こっちではお腹を壊すとみんなコーラ飲むんだよね。
風邪を引いた時はテキーラ!うちのママもそう言ってたよ」
とメキシコに伝わる対処法を伝授してくれた。
え?コーラ?
テキーラはなんとなく分かるきがするけど、なんでコーラなんだ?
バースデイパーティはポンチョさん(旦那さん)のお母さんの家で
行われるらしい。
駅からペセロというローカルバスに乗って家まで向かった。
以前は1ペソで乗車できたので「ペセロ」というらしい。
今は値段が上がったらしいが、それでも一人4ペソ(32yen)だ。
家の近くは野宿ができそうなくらいに平和な感じがした。
大きな公園があり、フットサルやバスケができそうなコートもある。
ここで野宿をするのなら遊具に紛れ込むますねと僕が話すと、
Maorisさんは「週末は酔っぱらいが来るから危ないよ」と言った。
もちろんここで野宿なんてしない。
だけど、治安が悪そうな雰囲気はこのエリアからは感じなかった。

ご近所さん。
Maoriさんのお義母さんの家へは門番がいるゲートを
通過しなければ行けないようになっていた。
頭上にはちゃんと防犯カメラもついている。
門番はゆるい感じのおっちゃんで、
仕事をしているのだか分からなかったが、
ここに住む人たちがどんな人たちなのか少し想像出来る気がした。
きっと所得の高い人たちなのだろう。
家に案内されると僕は驚いた。
まず築三十年の清水家よりも広く、綺麗だったからだ。

うわ!全然犬の顔見えねえ!
インテリアが棚に陳列され、高そうなソファが置いてあった。
それに愛くるしい小型犬が二匹そこにはいた。
スーキーとアヤカ。
アヤカはMoariさんが買っているポメラニアンだったが、チワワに見えた。
そんなバックパッカーには似つかわしくない豪勢な室内だったが、
全くバースデイパーティーの感じが全くしなかった。
というのもお義兄さんもポンチョさんと同じ歌を仕事にしているらしく、
今日はどこかで開催されているパーティだかイベントで
仕事をしているというのだ。
ホストが不在って…。
ここへ来る前に買ったコーラを頂いた。
そこまでお腹に作用するとは思えなかった。
家にはお義母さんの他に双子のお義理兄さんのホルヘさんの二人がいた。

時刻は16時だったが、昼ご飯を振る舞ってもらった。
僕は腹の調子が悪いのだと伝えると、
チキンの入ったおかゆのようなものを用意してくれた。

そのタイミングでご近所さんと、
Maoriさんの友達のシオザワさんがやって来た。
みんなで円卓を囲みながらご飯を食べる。
いただいたご飯はお腹にやさしい味わいだった。
しばらくはスペイン話の会話を理解出来ずとも耳を傾けていた。
時々Maoriさんが話のないようをかいつまんで僕に説明してくれた。
こういう昼下がりひとコマを見ていると、
あまり日本と変わらないなと僕は思った。
とてものんびりとした時間だった。
ご近所さんが帰って行き、お義母さんが二階に休みに行ってしまうと、
会話はシオザワさんを交えた日本語に変わった。
シオザワさんはサッカーに関連した仕事で職を探してると言った。

メキシコシティにある2チームのうち
どちらかで働けることが決まっているそうだが、
どちらの方が条件がいいか検討している最中らしい。
極度に乗り物酔いが激しいらしく、
できたら電車やバスは利用したくないと言っていた。
こうして、日本の外で暮らす日本人に会ってみると、
「あぁ、そん方もあるな生き方もあるんだな」と気づかされる。
この日はどちらかと言えば会話に耳を傾けていた。
シオザワさん
がメキシコに来るきっかけになったのは、
大学の留学プログラムだったらしい。

もともとその大学にはサッカーに
関連したメキシコ留学というのがあったらしいのだが、
シオザワさんが留学に応募した時には
そのプログラムは終了してしまったとのこと。
「それでもそのプログラムに参加した人はいたわけだから、
個人的に会って話を聞いたよね」
この留学プログラムはかなりサポートが手厚いのだと
シオザワさんは言っていた。
志望者も大勢おり、倍率も高かったに違いない。
シオザワさんは簡単にしか僕にメキシコまでやって来た経緯を
説明してくれただけだったが、
フットワークが軽く、ガンガン行動していかなければ
ここまでは来れなかったと思う。
やりたいことをするために、
ただ前に進んでいただけなのかもしれない。
その前に進む原動力はどこから来たのだろう?
迷いや不安はなかったのだろうか?
もちろんプレッシャーもあったのかもしれない。
それでも、
シオザワさんのスペイン語や淡々とした話し振りを聞いていると、
この人は今しか見ていないんだなと思った。
ポンチョさんたちの仕事が長引いたため、
今日の誕生日の主役であるお義兄さんも帰って来なかった。
せっかくギターを持って来たので、
ジャイアンリサイタルのように歌を披露して、
僕たちはシオザワさんと20時過ぎに家を後にした。

右の人がママさんですね。

みんなでパシャリ!
ペセロに再び乗り、タスケーニャ駅まで戻る。
駅で握手をしてシオザワさんとは別れた。

異国の地に生きる日本人の方とお会いして、
話をさせていただくと学ぶことが沢山ある。
先ほども書いたように生き方のひとつを知ることができるし、
日本を離れて暮らすことがどのようなことかを知ることが
できる。
それはたとえ断片的な情報でしかなくても
自分の未知への世界の新しい扉が開くのと同じことではないだろうか?
人は自分の知らないことを知っている。
外に出よう。人とを合おう。
そして話をしよう。

なんつって♪
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