2月15日/オーストラリア、パース
いつからだろう?
髪の毛が勝手にドレッドヘア化するようになったのは?
そう、あれはコロンビアで髪をいつものように頭の後ろで束ね用と思ったらおもっくそ変な絡まり方をしていることに気がついたのだった。
その時は数時間かけてほどいたが、またいつの間にかドレッドヘアができあがり、放っておくと極太のものになっていた。できるのはきまってツムジ付近。髪をお団子ヘアにするのと野宿をしていること、それにかれこれ一年以上髪を切っていない、すいてさえいないことに大きな関係性があるような気がしてならない。
ドレッドヘアなんてヒッピー的な人間のトレードマークかなにかだと思っていた。あれって髪を放置していたら自然のできるものなんだね。原子回帰運動から始まったヒッピーカルチャーやアフリカンカルチャーに生きる人たちに通じるところがあるのだよ。ドレッドヘアは。
え?僕?
僕はホームレスだよ。都市型キャンパーと言ってもいい。
だから毎日髪を洗うことと、適度に間引く(すく)こと重要性を思うのだ。
また、寝る前に解こうと試みるんだけど、解けては絡まっての繰り返しでいっこうに解けない。日本に帰ったら刈る以外にこのドレッドヘアから抜け出す手段はないだろう。
うーむ。日本では爽やかにお団子ヘアができる、男の色気ヘアを目指したいのだが笑。

そんなボサボサ頭の浮浪者はパースの小さな入り江で目を覚ました。
未だかつて一度もこの場所に人が入ってきたことはない。朝は自転車通勤の人がやたらめったら近くを走るので、自然とその音で目がさめる。
いくら夏と言っても朝方のシャワーを浴びるのは少し寒い。これが温水じゃなかったらかなりキツかっただろうと思う。
一応パース駅には公共のシャワーがあることにはあるのだが、なんと値段が11ドルもするのだ。バカ言っちゃあいけないよ。だれがそんなシャワーを使うってんだ。オーストラリアの金銭感覚は時々分からなくなるよ。
シャワーを浴びるとしばらく日なたにつたって髪の毛を乾かす。もちろんタオルドライをしていのだが、ドライヤーのない今の状況では最後は自然乾燥に頼らざるえない。中途半端に濡れたまま髪を結ぶとまた絡まってしまうからね。
一体おれはあと何回このドレッドヘアについて日記に書くつもりだろう。どこかのお節介な誰かさんがまた僕にアドバイスをくれるはずだ。いい加減その髪を切らないと日本社会で生きていけませんよと。

似顔絵の描きっこした台湾人の女のコ。
ちょっと今日は髪の話題をもう少し引っ張りたいのだが、
日本にいる全ての男性が短髪というわけではない。日本人でも僕よりも長い髪の毛で立派に日本で生きている方もいらっしゃる。
彼らはたいていの場合、スーツを着て働くような人間ではない。何かを創る人間であることは多いだろう。
僕は思うのだけどね、髪の毛が長くても日本でも働いていけるっていうことは一種の自分の生き方、指針を打ち出したことになるんじゃないだろうか?
男の長髪は社会に対する挑発的な態度だ。
ギャグじゃないよ。
だからカウンターカルチャー側の人間は髪を長く伸ばすんだろう。
ちなみに相棒のまおの髪の毛は割と長い方だ。職場が音楽フェスや野外のイベントとも関わりがあるから、きっちりやるべきことをしていれば服装にはあまり言われないみたいだ。まぁ最低限のドレスコードはあるんだろうけどね。

漫画のお買い上げありやとやす!
1日の始まりは同じなので、これと言って特筆することはない。
ただ図書館にいる時間が少しだけ長くなった。
僕は日記を書く時間よりもYouTubeを観ている時間の方が長いんじゃないかってくらいだ。まぁ相変わらずディジュリドゥ関連の動画なんだけれど。僕は一度ハマるとついついディグってしまうのだ。えっと、ディグるってのは見聞を深めるとかそういう意味かな?仲間が使ってたから真似しただけ。
14時過ぎに図書館を出て昨日と同じショッピングモールの二階の通路に向かった。
やはりここは歩行者との距離が近い。
ここでパフォーマンスをしているヤツはいないので、人々が僕に注意を向けてくれる時間が長い。
だけど、バスキングでレスポンスのいい日もあれば悪い日もある。いくら路上パフォーマンスが栄えた街だからと言って、そう毎日稼げるわけじゃない。
描いた漫画が一枚売れて、似顔絵のオーダーが人組入っただけだ。そして僕は新しい話を二本描いた。

18時になると、バスキングを切り上げ図書館で時間を潰し、20:00からマレーストリートで歌った。

お金を入れると手に持っている黄色い花がもらえます。いい匂いがした。
連日歌うことによって感覚が戻ってくる。
今の僕にとって弾き語りは遊びでしかない。特にアガリを気にせずに楽しんで歌うことができる。時には自分の持ち歌の持つストーリーに感情を込めて歌う。それはまるで3分そこらの演劇か何かを演じているみたいだ。
選挙活動でも有名な三宅洋平が広島かどこかの小さなイベントで歌った「マラドーナ7人抜きの歌」というのだがある。どこかの著名人が彼のライブはリスナーを引き込むと称賛していた。
僕もそのライブをYouTubeで観たのだが、僕が感じたのは彼の発する言葉には言葉以上のものが宿っているということだった。プロとはいついかなる時でもそのようにライブできる彼のような人間をいうのだ、とモチベートされたのを覚えている。
弾き語りのバスキングだけで40ドルが入った。きっと僕の気持ちは多少なりとも伝わったのではないだろうか?
近くの店から出てきたのはFacebookにメッセージをくれたハナコさんという方とそのお友達だった(っていう言い方はちょっと失礼だけど笑)
ハナコさんは二週間前にオーストラリアにワーキングホリデーに来たばかりで、同じようにワーホリでここにやってきた人たちとの交流会を終えたばかりだった。そこにいた一人を除いてみなアジア人だったのっちょっと面白かったけど。
そしてアジア人以外の一人というのは、ここでリフティングのバスキングをするサムであった。いや、アイツおれと同い年なんだけどね、アジア人好きなんだよ。しょっちゅうアジア人の女の子を目で追っては「カワイイーー…」とか呟いてるんだから。
その場の流れで僕たちは酒でも飲むことになった。
いや、僕が無理やりついて行ったんだけど。あの時は同行させてくれてありがとうございます。いやぁ、歌い終わったあとの一杯は最高ですね。
僕はバスキングの差し入れでいただいたケーキを半ホールをサムにあげて、代わりにサイダーをひと瓶おごってもらった。
今日はそんな感じ。一日の最後に楽しいひと時を有難う。

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